2017-01-01から1年間の記事一覧
同じ時代のことだから当たり前といえば当たり前だけれど、いろいろ関心をもっていることがなんとなく繋がってきた。それぞれ掘り下げてゆければ大きなテーマに発展する可能性があるものの、とりあえずのところ連想ゲーム的にメモ。 1. 日本人馬賊-小日向白…
以前のメモで、1943年に蔡龍雲も出場したボクシングと中国武術の対抗戦の際、一部の記事では当時の蔡龍雲の年齢を14歳と書いているけれど、15歳が正しいのではないかという疑問を書き留めておいた。 zigzagmax.hatenablog.com この点に関して、蔡龍雲自身が…
掲題の「小説」をネットでたまたま見つけて、読んでみたら面白かったのでメモ。 〇全文のリンクはここ。冒頭に、かつて日本で発表されたかのような記載があるけれど未確認。雑誌『武術』で李文彬が尚氏形意拳を紹介していた頃(VHSテープを買った気がする…
ブルース・リーが生きていれば77歳の誕生日を迎える11月27日前後に、「そっくりさん」主演の映画を含めて、いろんな情報が流れてきた。 なかでも印象に残ったのは、ブルース・リ(呂小龍)のReturn of Bruce (『忠烈精武門』) 出典:Rare Kung Fu Movie Web…
少し前に修剣痴についてメモした際に、沙国政が長沙講武堂で修剣痴の指導を受けとされていることをメモしたけれどその前後、雲南省で武術を教えるまでの沙国政の足取りをざっと調べてみた。 1927年ごろに山東から天津に出て、王之和、馬興義らと交流を深め、…
調べものをしていて、以下の記事に、「鼻子李」こと李瑞東の弟子の李子廉の弟子に郝明という人がいて、ベルリンオリンピックの国術代表団の引率(領隊)を務めたと書いてあった。おそらくは、張文広『我的武術生涯』等では郝銘と書かれている人物のことだと…
11月4日に開かれた雲南省武術協会の全体委員拡大会で、胡宝林が全会一致で主席に選ばれたらしい。 胡宝林といえば、自分が武術を始めた頃の現役選手で、四川の任剛とならぶ通背拳の名手だった。ライバル任剛は四川省武術協会の主任としてさまざまなアイデア…
1.紅拳、「峨眉派趙門」、太祖拳 少し前に『全球成功夫網』に載っていた安徽省蚌埠の太祖拳についての記事が面白かった。 www.qqgfw.com 说起太祖拳,其实是精湛的拳种,属“红拳”,拳术套路和器械套较多,由于传承甚少,为知不多,究其原因还是宣传交流不够…
1.海朝英 張作霖・張学良について調べていたら、海朝英という、孟村出身の武術家にたどりついた。 弾腿の名人で、なおかつ回教のアホンであったらしい。 弾腿のほかに鐵(黨)、鐵鞭、虎頭雙鉤が得意であったともいわれる。 百度百科の紹介では、1931年の「…
ちょっと小ネタが集まったので、まとめてメモ。 1. 『ドラゴン怒りの鉄拳』のクライマックスでブルース・リーと戦い、かつ『大魔神』の(わけのわからない日本語だ(笑))橋本力氏が10月11日に逝去された。 『大魔神』三部作は、ブルーレイプレーヤーを買っ…
ネットで調べものをしていて、晩年の蔡龍雲が套路運動について語った動画を見つけた。2014年10月、上海体育学院における講座らしい。ということは、お亡くなりになる約1年前だと思われるけれど、ときどき立ちあがって実演してみせる動作や、ウィットに富んだ…
ロシアのカザンで開催されていた世界大会では、日本人選手たちもメダルを獲得したらしいけれど、捜狐の記事では、中国チームの厳平コーチのコメントを引用しながら、外国人選手の演武に欠けているものについて指摘している。 www.sohu.com やや乱暴だけど、…
ベルリンオリンピック時の国術代表団、実際に渡航したのは補欠を含めて9名だけれど、予選には全部で25人が参加したらしい。そのうちわけは以下のとおり。 1936年5月11日,各地被保送的国术选手在上海延平路申园举行初次预选。参与者有赣、豫、浙、京、青、沪…
かつて中国駐在中に、地元の図書館で見つけた『東方雑誌号外 第六届全運会画刊』の、女子国術入賞者の記事と写真に出ている名前を判読しようとして調べていたら休日が半日つぶれてしまった。それでも、なんとか全員判読できたような気がする。 判読した結果…
ベルリンオリンピックの国術代表団については、いちど寇運興についてメモしたけれど、少しずつ情報が集まってきたので、ここらで一度メモしておきたい。 まずはこの動画。3年ほど前に、FB上で発見して、こんな動画が残っていたのかと度肝を抜かれた。長ら…
人に誘われてツイ・ハークの『西遊記2』を観てきた。 www.youtube.com ツイ・ハークの映画は2008年から2010年の中国駐在中に『女人不壊』を観て以来。『女人不壊』は武術とは全く関係ない3人の女性が主人公の映画だったけど、当時観ていた金庸原作のドラマ…
天津で開催された中華人民共和国第13届運動会は、8月30日に套路競技、9月4日に散打競技が終了した。 公式サイトに出ている套路競技、散打競技の成績はそれぞれ以下のとおり。 〇套路競技 第十三届 男子长拳、刀术、棍术全能1 山东 孙培原 29.1302 江苏 …
気になっていた掲題の本が出版されていたことを知り、ネットで取り寄せて読んでみた。 内容は、以下のとおり(日本語に仮訳) 第一章 峨眉武術の起源と萌芽 第二章 峨眉武術の形成と成熟 第三章 峨眉武術の発展と繁栄 第四章 峨眉武術の全面発展と高度昌盛 …
前回、朱国福について調べていて、『中国武術人名辞典』の朱国福の項に、12歳から馬玉堂について形意拳を学ぶ前に張長発に少林羅漢門拳術を学んだ、と出ていたので、その張長発について調べてみた。 張長発は「鉄羅漢」の異名をもち、程廷華に八卦掌を学び、…
1.1923年の中西対抗ボクシング競技 先日、1943年の国術とボクシングの対抗戦についてメモしたけれど、中西対抗ボクシングの競技で一番はじめに勝ったのは朱国福だといわれている(注1)。 時期は1923年8月11日。翌12日の「申報」の記事に、「中華体育会会員…
二つ前のメモの冒頭に貼り付けた写真で、王潤生の隣に修剣痴が写っていたので、 修剣痴と長沙の関係について調べてみると、1920年前後から大連で通背拳の指導を行なっていた修剣痴は、早期の弟子の韓鵬堯(後述)の推挙で湖南省第2回国術考試(1932年10月)…
ネットで見つけた高嶋航『「東亜病夫」と近代中国(1896–1949)』(京都大学人文科学研究所編『近現代中国における社会経済制度の再編』所収)は、西洋の比喩表現としての「病夫」が、中国では違った意味で受け止められ、尚武や軍国民思想、身体鍛錬による「…
2017年7月15日、四川省武術協会が伝統弓連合会を成立した開催されたというニュースが流れてきた。 sports.sohu.com 伝統弓術といえば、2016年12月出版の、馬廉禎主編『武学』の第2集は伝統弓術の特集だった(未入手)。 逸文武學書館>武學—中國傳統射箭專輯 …
1. 王潤生、不肖生、楊昌済、柳午亭、毛沢東など 清末の日本留学生の中に、湖南の「拳王」八拳の王潤生がいる。平江不肖生こと向愷然の「拳術見聞録」や「拳術伝薪録」では王志群と記されている人物で、帰国後は太極拳にも興味をもち、年下の呉鑑泉にも学ん…
去る5月、香港に本部をおく国際武術文化研究院が、「国際武術文化伝承人」の認定を行なったというニュースが流れてきた。 2017年の認定は4回目の認定で、今回認定されたのは以下の15人 名前と地域だけでも、邵智勇は紅拳の人だとか、程克锦は陳式太極拳の人…
ネット上で調べものをしていて、武術学校について、複数のリストを見つけた。武術学校については、問題点が少なくないという報道などに食いついていくつかメモを残しているものの、なかなか基礎的な情報が得られないと感じていたので、こういう情報は貴重だ…
国会図書館の『東亜競技大会番組表』、以前に調べたときはデジタル化されていなかったのだけれど、改めて調べてたらデジタル化されており、提携図書館での閲覧が可能になっていたので、さっそく地元の図書館に見に行ってきた。 東亜競技大会番組 (大日本体育…
6月10日、中国は「文化(遺産)と自然遺産の日」だったらしく(注)、各地で行なわれたイベントの中には武術に関連するものもあったようで、検索するといくつかの関連記事がヒットしたので、いくつか気になったものをメモ。(順番には特に意味無し。) (注…
前にちらっとメモしたけれど、2、30年代の上海の映画界で活躍した査瑞龍は、精武会の出身だというけれど、佟忠義のお弟子さんでもあったらしい、ということで改めて佟忠義について調べてみた。 zigzagmax.hatenablog.com 王子平と並んで「滄州二傑」と評…
先月のメモで、「七小福」のDVD化を強く望む、と書いたところだけれど、その数週間後に、「七小福」たちの師匠・于占元の娘で、七小福のメンバーが姉と慕っていた于素秋が亡くなっていたことがわかってびっくり。享年88才。 www.recordchina.co.jp 以下は…