中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

更新休止

諸般の事情により、本ブログは、今後、当面の間、更新を休止します。 再開時期は未定で、少なくとも、数年は更新しない見込みです。 凍結期間中も情報収集や頭の体操は続ける予定ですが、その間の状況によっては再開せずこのまま終了となる可能性もあります…

幻の第七回全国運動会(1937)の上海市予選など

国民党時代の全国運動会は、1935年が第6回、日中戦争をはさんで第7回は1948年のはずだけれど、上海市では1937年6月に、第7回全国運動会のための予選が行われていたらしく、6月8日の時事新報に、男女の射箭、弾丸、踢毽、拳術、博撃の「初選」についての記事…

「田州土司瓦氏女将の双刀で槍を降す法」など

まとまりのない感じになっているけれど、色々整理がついていない点も含めて、とりあえずの備忘録・頭の体操として。 ******** 少し前にSNSで、倭寇と戦う明軍兵士が双刀をもっている画像が流れてきた。 www.facebook.com その後、地元の図書館に行って、この…

倭寇期の「客兵」について

馬明達「抗倭英雄瓦氏夫人」(『説剣論叢』所収)は、瓦氏夫人の武功の代名詞である双刀を謳った呉殳『手臂録』「双刀歌」につづいて、 「嘉靖六年(1527)、瓦氏の夫、岑猛と子どもの岑邦彦が相次いで死去し・・・」と書いてある。 あまりにもさらっとした…

馬場毅『近代中国華北民衆と紅槍会』

前からずっと読みたいと思っていた本の古本がお手頃価格で入手できたので、年末をはさんで読んでみた。 筆者によれば「紅槍会」の語には、「一つは、文字通り赤い房(紅纓)のついた槍を持ち「刀槍不入」の信念で団結した秘密結社を指す狭義の意味」と「当時…

「洋人大力士」たち2

SNSで、王子平と北京の中央公園で戦ったとされる「康泰尔(爾)」に関する写真が、日本で「発見」された、という記事が流れてきた。 Mantis Boxing and Staff Combat: Chongdetang (Чундэтан) 記事によれば発見者はF.Kuvasovという人で、彼が発見したという…

競技と伝統 競技ルール改訂のための検討会(2020.12.10-12.12)

2020年12月10日から12日まで、武術運動管理中心は全国から11名の優秀審判員(具体的な名前は記事には出ていない)を招いて、套路競技のルール修正・改善のための検討会を開催した。 www.wushu.com.cn 3日間の討論を経て専門家たちは、 「動作の完成」と「功…

太極拳のユネスコの無形文化遺産登録

12月18日の朝、ネットニュースを見たら、太極拳がユネスコの無形文化遺産のリストにのった、というニュースが流れてきた。 www.afpbb.com www.chinanews.com 無形文化遺産、中国的にいえば非物質文化遺産については、このブログをはじめた当初から、ユネスコ…

『鏢門 Great Protector』、『捻軍と華北社会』など

チャンネル銀河で10月9日から12月1日まで放送されていた、中国ドラマ『鏢門』。 公式サイトによれば中国では「圧倒的高評価」を得たとのこと。このブログ的には、『逝去的武林』の徐浩峰が脚本で参加しているということもあって、見てみた。 www.ch-ginga.jp…

『中国伝道四五年 ティモシー・リチャード回想録』

たまたま地元の図書館で手に取った本。 en.wikipedia.org 以下は、飢餓救済のためにリチャードが山西にいたころの出来事。 ある日、儒教の書院の院長が私のところにやって来て、「われわれの古典のなかには、体の組織の破壊を食い止め、結果として動物の冬眠…

幻の?中央国術館東北分館など

1948年の8月と9月に、上海で中央国術館が東北分館設立の資金集めのために表演大会を開催していて、告知記事や記者発表の様子、実際の活動の様子いくつかが短い記事になっている。具体的には以下のとおり。 東南日報8月10日の記事は開催趣旨が明確。開催はも…

R.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏』など

約1年前に入手した『完訳版 紫禁城の黄昏』、買ってすぐに読まずにいるうちに、関心が別の問題に移ってしまい、しばらく置いておいたままにしていたのをようやく読み終えた。 直接的には武術と関係ない本なので、武術について言及されている箇所もあまりな…

渋川玄耳『岱嶗雑記』など

明治のジャーナリスト・渋川玄耳の『岱嶗雑記』には、馬良の中華新武術について触れた個所がある。馬良は確かに書家としても有名だけれど、「妙な風の字を自慢に書く」と評しているのが面白い。 ※以下の引用はすべて現代表記に適宜改めた。 済南鎮守使馬良は…

丁汝昌提督の死・・・からの頭の体操

張作霖の軍事顧問を務めた町野武馬の父・町野主水を主人公にした小説『その名は町野主水』を地元の図書館で借りたついでに、同じ著者の『侍たちの海─小説 伊東祐亨』を読んでみた。 北洋艦隊の丁汝昌提督への降伏勧告と、丁提督の自決のエピソードは、なかな…

満州国建国十周年慶祝東亜競技大会(1942)の国術代表団

1940年の東亜競技大会(東京開催)には国術代表団がいたことがわかっていたけれど、それに続く1942年の東亜運動大会(満洲国 新京開催)に国術代表団がいたことは知らなかった。 『新申報』1942年6月21日付の記事と代表団の名前を以下に記しておく。別の競技…

全国国術考試挙行状況報告の件(昭和3年10月24日)

「国術」とか「国考」というキーワードで検索しても出てこないので見落としていたけれど、アジア歴史資料センターのデータベースの中に、昭和3年10月24日付で、南京の岡本一策領事から、田中義一外務大臣宛に、国術国考の実施を伝える公電というのがあ…

山左聊城鈺山馬永勝とその周辺 老衆成鏢局、南強武術会、呉県国術館など

以前にメモしたけれど、中央国術館の張館長(このときはまだ「館長」という肩書はないので、「理事」と呼ぶべきか)は、国術館(研究館)の設立後まもない1928年の6月に西北軍以来の随員や、王子平らを引き連れて蘇州青年会の招きで蘇州を訪れ講演と演武を行…

暴虎馮河の勇 など

加来耕三『大警視 川路利良―幕末・明治を駆け抜けた巨人』(注)をたまたま地元の図書館で見つけて読んでみた。この本の中で、川路良利の受けた伝統的な薩摩の教育のなかで、「いろは歌」「歴代歌」「虎狩物語」など、藩が選定した歌や物語を暗唱した、と書…

中国武术协会关于加强行业自律弘扬武术文化的倡议书

いちいち追いかけていないけれど、2017年の魏雷とMMAの徐暁冬の対戦後、中国武術の「大師」(自称含む)と格闘家の対戦が、その後も繰り返されている。 中国武術協会は6月28日付で「中国武术协会关于加强行业自律弘扬武术文化的倡议书」なる文章を発表。 www.…

ベルリンオリンピックの国術代表団(代表選考その他)

ベルリンオリンピック(1936)の国術代表団の選抜過程について、その後新たにわかったこと。 いろいろ脱線したり、詰込みすぎの感もあるけれど、そもそもが備忘録、雑記帳なので気にしないでおく。 1934年の10月には、早くも選考基準らしきものが発表されて…

Hoji Shinbun Digital Collection、北京警務学堂の柔術教習など

最近さかんに参照している、華字新聞データベースは、発行地域に限りがあったり、メジャーな新聞が入っていなかったりという限界はあるけれど、もはやこの時代のことを語るのに、裏を取る意味でも参照しないことはありえないほど貴重な情報源になっている。 …

青島紡績会社の罷業事件 海軍陸戦隊の上陸と国術館閉鎖要求(1936.12)

1936年11月、上海で起きたストライキが青島の日系紡績工場に波及し、背後でデモ隊を使嗾している者(上海からの運動員の潜入も)がいると日本側が疑いをかけるなか、市政府側の対応の遅さに業を煮やした日本軍が「邦人保護」を理由に海軍陸戦隊を上陸させ、…

馬良「振災武術団」(1921)など

アジア歴史資料センターの公文書より寺西秀武「青島に於ける張樹元と馬良」(大正十年五月二十六日付の、「九江ヨリ南京ニ下航中(第一報)」の一部) 「小生去ル四月二日青島二着シ張樹元ト同宿シ四回張馬両人ト密談ヲ交ヘタリ 右両者ハ表面何等野心無キカ…

藝術家唐越石

この前、唐豪の1910年代後半から1920年代前半の活動(理由はおおよそ想像がついたけれど、書籍等ではほとんど紹介されていない)について調べていて気が付いたのだけれど、唐豪には唐越石という名前の弟がいたらしい。 北京の国立美術専門学校の優秀な学生(…

関清拙『達磨の足跡 : 禅僧の支那行脚』、上海における中華新武術 など

笠尾恭二『中国武術史大観』(復刻版が出たけれど手元にあるのは旧版のみ)をぱらぱらと見直していたら、馬良の中華新武術について紹介した箇所で、1918年の5月に日本の禅僧・関清拙が済南の馬良邸を訪問しており、そこで中華新武術を含む各種の武術の演武を…

張之江の元随員たち 中央国術館の成立前後2

1927年12月14日の民国日報に、張之江が国民政府委員に任命されたときに、彼にしたがって、彼の「河南勦匪総司令部の随員」は一律国民職員に編入するとして、以下の人々の所属と肩書が紹介されている。 秘書長 孫玉誠 国府秘書 上校参謀 駱斌 国府一等候差員 …

中央国術館の設立前後(当時の新聞報道から)

「Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers」で、中央国術館の成立前後から、第一回国術国考あたりまでの動きについて調べてみた。 新聞報道を時系列で眺めてみると、いろいろな発見がわかり、『中央国術館史』の記述もかなりアテにならないことが…

中士乙等留学生 葉雲表(1915)

先日見つけた華字新聞のデータベースから、中華武士会会長を退いたあとの葉雲表の動向について、いくつか興味深いことがわかった。まずは、どうやら二度目(三度目?)の日本留学を目指していたらしいこと。 専攻分野としては一回目の留学と同様に「商科」を…

華字新聞データベース「Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers」

華字新聞のかなり充実したデータベースを見つけた。 gpa.eastview.com 年代がやや限られるのが惜しいけれど、使い方によってかなりの情報を引き出すことができそうな気がする。 手探りでメモしてきたベルリンオリンピックの国術代表団についても、選考過程が…

「山口高等商業学校清国留学生二関スル件」など 中華武士会とその周辺の日本関係者2 葉雲表

天津中華武士会の初代会長、葉雲表については、よくわからないことが多い。 具体的には特に、 1.なぜ、彼が会長に選ばれたのか。 2.会長就任が設立後数日でしかないのはなぜか。 3.中華武士会会長就任前後、どこでなにをしていたのか。 といった点に特に興味…