ベルリンオリンピックの国術代表団3(領隊、監督員、選考委員)
調べものをしていて、以下の記事に、「鼻子李」こと李瑞東の弟子の李子廉の弟子に郝明という人がいて、ベルリンオリンピックの国術代表団の引率(領隊)を務めたと書いてあった。おそらくは、張文広『我的武術生涯』等では郝銘と書かれている人物のことだと思われる。当時は南開大学の国術教官を務めており、ベルリンの代表選考時には、褚民誼、張之江、徐致一、葉良、何忠義とともに、代表選考の審査委員も務めている。
審査委員のうち、褚民誼、張之江、徐致一はいいとして、葉良というのは、上海市国術館の常務董事や教務科主任をつとめた人らしい。何忠義についてはいまのところ未確認(注)。
なお、張文広『我的武術生涯』は、代表選考は上記のとおり褚民誼、張之江、徐致一、葉良、何忠義の6人が選考委員になり、南京国術館の競賽場で選考(初選)が行われたとしているけれど、武術研究院の『中国武術史』(1996)は、褚民誼が招集して褚民誼、張之江、沈嗣良、葉良の四人が選考委員になり、上海申園健身房で選抜の表演が行われたと記している。以下の記事には両方からの引用がある。この間の事情は未確認。
王正廷(1882~1961年)奥运先驱 ——中国武术在线 名人名家
〇上海国術館の紹介 葉良の名前がでている
〇代表団(男子)左から、張文広、金石生、寇運興、郝銘、顧順華、温敬銘、鄭懐賢、張爾鼎
出典:台湾精武体育会のブログ
代表団の監督員をつとめた顧舜華は上海交通大学の体育館の副館長で、入場パレードでも旗手を務めている人らしい。(旗手をつとめている写真は見た気がするのだけれど、見つけられない。)「国民簡易体操」のレコード、『太極操教本』(三通書局 1941年)、『国民体操』(中央青年幹部学校, 1943)などに名前が見える。
上海交通大学といえば、その前身の南洋公学以来、いちはやく武術を取り入れた学校として知られることは以前にメモした。
余談ながら李瑞東の弟子のうち、高瑞周は、京劇の梅蘭芳の太極拳の師としても知られ、梅蘭芳との推手の写真が残っている。李派太極拳の代表的な套路・太極八卦奇門拳の動画とあわせてメモ。
〇梅蘭芳(右)と高瑞周(左)
出典:https://kknews.cc/history/q24y49o.html
〇梅蘭芳
出典:https://kknews.cc/history/q24y49o.html
一番上の記事に戻り、廊坊武術協会の主席で李派太極拳の張紹堂の李派太極拳
(注)
これは、単純に、引用元資料の誤りで、「佟」忠義が正しい。
2020.7.12加筆