中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

ベルリンオリンピックの国術代表団2 (+予選参加者)

ベルリンオリンピック時の国術代表団、実際に渡航したのは補欠を含めて9名だけれど、予選には全部で25人が参加したらしい。そのうちわけは以下のとおり。

 

1936年5月11日,各地被保送的国术选手在上海延平路申园举行初次预选。参与者有赣、豫、浙、京、青、沪、六省市及中国驻日留学生监督处等七单位,选手二十五人。国术表演选手名单如下:
一、南京市——翟涟源温敬铭张文广傅淑云何秀媛、冯星五。
二、上海市——孟健丽朱文伟、马子文、王明禧、郑怀贤、田景星。
三、浙江省——顾士岐、潘振声、何长海、虞星如、王正华、陈枝青
四、河南省——金石生寇运兴刘玉华贾长春
五、江西省——胡炯
六、青岛市——乐秀云
七、中国驻日留学生监督处——张尔鼎

 出典は以下の記事で、このうち青字にした9名が実際の代表。

それ以外の選考参加者のなかで紫色にした人物については後述。

www.fx361.com

 

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9名のメンバーのうち、唯一、詳しい情報が得られていなかった張爾鼎については、たまたまチェックしていた『全国運動会1933年専刊』の写真で、褚民誼、周子和、張英健と並んで写っているのが張爾鼎と読めるような気がして、競技記録を確認すると、拳術中量級の三位に「张尔鼎」という名前があるのは彼である可能性が高いと思う。

 

 〇『全国運動会1933年専刊』より

 右から数えるべきか、左から数えるべきか、記事中には説明がないけれど、

 以下の『勤奮體育月刊』の写真と比べると、右から2番目に移っているのが張爾鼎ではないかと思われる。一番右は褚民誼だろう。

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さらに、以前にメモした「武術文史」のFBページに彼のベルリンオリンピック参加時の所属が「留日」とあり、このメモの冒頭の記事にも「中国驻日留学生监督处」所属とあるのを手がかりに調べはじめたら、東京師範大学の昭和十二年卒業生の外国学生名簿の中に彼の名前があることがわかった(注)。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 東京文理科大学・東京高等師範学校一覧. 昭和12年度

 

同名の人物が、北平体育専科学校の校長を務めているけれど、これも同一人物ではないかと思われる。

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體育大辭典 - Google ブックス

 

〇『勤奮體育月刊』(掲載時期未確認)より

 自動代替テキストはありません。

 

 (注)以下、東京師範大学名簿や『勤奮體育月刊』の記載については、片桐陽先生のご教示による

 

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新たに気になってきたのは、各地から推薦されてきた予選参加者。

このうち、南京の何秀媛については『中国武術人名辞典』に記事があった。

 

〇何秀媛 『中国武術人名辞典』より

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彼女は1936年、中央国術館の代表団として、館長とともに国内各地を訪問している。

以下は、北平を訪れた際の記事。

Hua bei ri bao (華北日報) 1936.09.25 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

User clipping image

User clipping image

 

 

上海から参加者のうち、孟建麗については前回メモした。

同じく上海の「朱文偉」は第二届国術国考の短兵第18位に名前が見える人物ではないかと思われる。

 

浙江省からの参加者のうち、何長海、陳枝青について比較的情報が豊富。

 

 〇何長海

 韓慶堂、劉百川、田兆麟、劉金声らに学んだらしい。郭守靖『浙江武術文化研究』にも紹介がある。ただし、「1933年,第二届国考并获甲等·」とある点については当時の資料から確認できない。ベルリンオリンピックではボクシング選手の選抜にも参加していたようで、集訓隊のメンバーには選ばれていたらしい。

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出典:郭守靖『浙江武術文化研究』

 

出典:武林缅怀一代武术宗师何长海大型画册《百年长海》在杭首发·杭州日报

 

〇 陳枝青 劉百川の伝承者らしい

浙江襠案網から 赤字は引用者

【姓名】: 陈枝青
【字号】:
【籍贯】: 杭州
【生卒年】: 1912—1992
【人物介绍】: 陈枝青 (1912—1992)杭州人。自幼习武,师承近代武术名家刘百川。20世纪30年代数赴省武术比赛,屡摘桂冠。旋至南京全国第二届国术会考,获摔跤、拳术两项亚军,继而在江西省摔跤比赛中力夺冠军。期间还曾发起创办杭州信鸽研究会,开杭城竞翔之先河。后自设诊所,钻研医道,

出典:浙江档案网--档案数据库

 

河南省からの参加者のうち 「贾长春」に関しては、「買長春」という人物が第二回国術国考の河南代表として拳術甲等の第9位に名前がみえ、この人物の間違いではないかと思われる。

 

江西から参加の「胡炯」は、第一回国術国考の最優等15人の中に、「胡炯 二十八歳 江西南昌」とある人物のことではないかと思われる。

 

青島市の「乐秀云」については、前回メモした青島武術界の三女傑の一人・欒秀雲の誤りのような気がしなくもない。

 

残りの8名のメンバーたちについてはいまのところ情報がないけれど、頭の片隅に置いておき、今後調べてゆきたい。

 

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なお、張文広『我的武術生涯』によると、一行は6月24日に出発。香港、シンガポールコロンボ、ムンバイ、エジプト(カイロ?)、ヴェネチアを経て7月22日にベルリンに到着。

翌日に、ドイツ留学中の中国人学生とともにハンブルクに赴き、万国拳撃表演台などで演武を行ったという。

この点は、FBの『武術文史研究』のページに紹介された記事に

 24日 午前9時  ハンブルク 於  万国音楽会

 25日 午後4時        於  万国拳術表演台

 

とあるのと一致する。

『武術文史研究』の記事では、続けて以下の様子が記されている。

 26日 ハンブルク 万国体育団体遊行大会に参加 沿途表演

 27日 ベルリンに戻る

 30日 ドイツ軍の要請に応じて千人あまりの軍人の前で表演

 31日 国際運動学員営の要請に応じて、表演

     (8月?)16日の閉幕時にも表演が要請され、2名が参加

  

www.facebook.com

   

 張文広『我的武術生涯』には、この間、7月27日にベルリンの華僑学生歓迎会において行った表演の内容について詳細な記載もあるものの、いずれもオリンピック会場そのものにおける武術の紹介ではない。(オリンピックの開幕は8月1日。)

『我的武術生涯』では、ベルリンオリンピックの会場でも演武を行ったと読める記述はあるものの、上述の華僑学生歓迎会における演武内容などの具体的な記述と比べると、控えめで具体性に欠いている。単に当時の詳しい史料が残っていないということなのか、国術団はオリンピック会場での国術の披露はできなかったということなのか、そのあたりは若干気になるところ。

 

2020.8.16

華北日報1929.9.25の記事を追加。