中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

華字新聞データベース「Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers」

華字新聞のかなり充実したデータベースを見つけた。

gpa.eastview.com

 

年代がやや限られるのが惜しいけれど、使い方によってかなりの情報を引き出すことができそうな気がする。

手探りでメモしてきたベルリンオリンピックの国術代表団についても、選考過程がかなり細かく報道されていて、各人の演武予定種目なども具体的にわかる。(これについては、もう少し時間をかけて後日まとめておきたい。ただし、出発前後の報道に比べて現地での活動についてわかる情報が少ないというのが正直な印象でもある。)

 

河北省国術館の館長をめぐって疑問に思っていたことも、どうやら答えが得られたような気がする。

 

結論としては、河北省国術館の初代館長は、やはり許蘭州ではなくて商震なのだろう。

そのことは、すでに公開されている、李商震館長の名義で、教務長に形意拳家の李星階(李文亭)を招いた文書からも明らかだけれど、その点を補足する記事をいくつか確認できた。

具体的には以下のいくつか記事(便宜的に、6つに分類)。商震と許蘭洲の間に、王樹常という人が館長を務めた時期があるらしいこともわかった。


①商震が国術館長に選出されたことを報じる (實報), 1928.12.05の記事。

 就任式は12月8日に行われた模様で、そのことも就任挨拶とともに報道されている。

 これを受けて、12月23日付の公文書で李星階を招いているのだと考えるとスッキリする。

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Shi bao (實報) 1928.12.05 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

Shi bao (實報) 1928.12.08 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 ※この記事では、「北平国術分館」となっている。前後の報道を見る限り、これは華北省国術分館であろうと思われる。

商震の館長就任は中央国術館にも報告され、中央国術館からは、翌1月に関防印が贈呈されている。 

「河北省國術分舘 啓用關防」

Hua bei ri bao (華北日報) 1929.01.18 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

②河北省国術館は、設立後半年たっても、場所が確定していなかったことが、この記事からわかる。

「河北省國術館館址尚未覔妥」

Hua bei ri bao (華北日報) 1929.06.29 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

 

 

③設立一周年の記念活動に関する華北新報1929.12.24の記事(不在で活動には参加していないが、館長として商震の名前がでている。)

設立一周年の記念行事の演武内容も記載されている。

Hua bei ri bao (華北日報) 1929.12.24 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

④天津から北京に移って2年目に館長が王樹常に交代

「河北國術館 : 昨開館務會議   推王鮑爲館長」 (華北日報)1930.11.30

Hua bei ri bao (華北日報) 1930.11.30 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

「河北國術舘擬開會歡迎新館長」 (華北日報)1930.12.23

Hua bei ri bao (華北日報) 1930.12.23 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

「河北國術館今日歡迎新館長」 (華北日報)1930.12.28

Hua bei ri bao (華北日報) 1930.12.28 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

⑤河北省国術館が再び天津に移転した際、許蘭州が新館長に就任したことを報じる 華北日報1931.11.06の記事(北京は分館の位置づけで活動を継続)

Hua bei ri bao (華北日報) 1931.11.06 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

⑥1936年9月、再度移転を検討中との記事。ここでも館長として、許蘭州の名前がでている。(移転先は、先農壇内の慶成宮を計画。)

Hua bei ri bao (華北日報) 1936.09.19 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

許蘭州が1928年に天津で国術館を設立して自ら館長に任じたという説は、やはり年代的に成り立たず、せいぜい、河北省国術館の活動とは別に、許公館でも武術の指導が行われていたということしかできないのではないかと思われる。

 

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なお、この問題に関して、1931年9月18日に満洲事変が起きていることは注意する必要があるかもしれない。

江蘇省国術館では政府からの呼びかけに応じて義勇軍を組織しており(10月3日時事新報)、河南省国術館は陳泮嶺館長も抗日に関する声明を発している(10月20日 民国日報)ようななかで、日本人の支配下にある天津で国術館の館長に就任していたということは、関係者にとっては不都合な真実なのかもしれない。

 

〇「蘇省國術館 — 義勇軍成立」

Shi shi xin bao (時事新報) 1931.10.03 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

〇「各地抗日文章  …一、河南省國術館長陳泮嶺告全國國術界同人書…」

Minguo ri bao (民國日報) 1931.10.20 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

  

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その他、適当に調べてみて確認できたこと。

・ 天津中華武士会は、北洋政府の中華新武術の普及法案に関して、武術普及に道を開いた馬良の功績を認めつつ、新武術の教官が教職を独占することで流派武術が圧迫されるとして、正式に反対を表明している(1919年2月8日の民国日報の記事)。

Minguo ri bao (民國日報) 1919.02.08 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

ベルリンオリンピックの国術代表団のメンバーの一人である張爾鼎はやはり、北平体育専科学校の校長を務めていた。ただし、なにか問題があったらしく、学生が「留任」を学校側に訴えるという事態になっていることがわかる。この事件は最後、どのように決着したのか未確認。

Hua bei ri bao (華北日報) 1947.07.27 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

・第六届全国運動会の女子拳術の入賞者のうち、第4位の人物を呉英華に比定していたけれど、詳細を以下のとおり確認できた。やはり呉英華で、表演種目は太極拳だった。

山東 楊素清 少林拳 
青島 姜愛蘭 査拳
河南 劉玉華 大紅拳
上海 呉俊華 太極拳
南京 范之正 八卦拳
南京 傳淑雲 二十四式

Shi shi xin bao (時事新報) 1935.10.13 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

zigzagmax.hatenablog.com

 

 

中国武術の近代史は、日中戦争軍閥混戦、政権交代の影響で、長らく原典資料といえるものを参照するのが(よほどの専門家でない限り)難しい状況にあったと思う。それをいいことにというべきか、単に「人云又云」の他人の受け売りに次第に尾ひれがついた形で伝えられてきている部分があるように思う。こういった資料が広く一般に公開されて、自分のような一愛好者ですら自由に活用できるようになることで、これまでの「公式史観」とは違った武術史が見えてくるかもしれない。

 

たとえば、これまでずっと中央国術館は国立の機構だと思っていたけれど、以下の記事によると、張之江館長は、中央国術館の「国立化」を訴えている。

・・・委員張之江等一二〇提議, 擬請由本院咨請行政院,將中央國術館 ,改爲國立以提倡固有武術積極增@國民體育普及案・・・ 

※一文字判読不能のため@で仮置き

Hua bei ri bao (華北日報) 1947.07.27 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

それで、さかのぼって中央国術館設立時の「中央国術館組織大綱」が掲載された記事をみると以下のようになっていて、基本的には自主財源と寄付による収入に頼りつつ、政府からの「補助金」を受け入れていたことがわかる。

…③本館経費…(甲)本館収入、(乙)団体及個人之捐款、(丙)政府補助費

Minguo ri bao (民國日報) 1928.07.18 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

 中央国術館の設立当初の、時事新報記者による張館長へのインタビューでは、経費問題について館長は「将請政府撥助」と答えている。

(問)経費之予算如何

(答)如以一千人為単位、則毎月須六千元、如一千五百人為単位、則毎月須費一萬元

(問)此項経費将来従何支撥

(答)将請政府撥助

談至此、天色已黒、記者即告辞…

Shi shi xin bao (時事新報) 1928.11.20 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

実際、吉灿忠 , 紀銘霞 , 郭強の「中央国术馆馆刊及其社会功能 」にも以下のようにでていて、政府予算は半分ぐらいであったことがわかる。
  「…国民政府财政部每月拨给中央国术馆5 000元大洋, 由于种种原因这些仅可支付其总支出的54%, 分拨给编审处的经费也少之又少, 而社会捐助难以及时填补资金短缺。…」

中央国术馆馆刊及其社会功能

 

1931年には、募金管理のための委員会が設立されている。

「中央国術館籌募金委員会啓事」

Shi shi xin bao (時事新報) 1931.07.28 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

もちろん、新聞に報道されていることがすべて事実とも言い切れず、敵対する勢力に対抗して輿論形成するためのプロパガンダ的な要素が含まれていることにも注意しておく必要がある。

 

貴重な参照史料を得て、今後何が見えてくるのか、なんだかぞくぞくしてくる。