中華民国第六届全国運動大会(1935年) 女子単人比賽入賞者
かつて中国駐在中に、地元の図書館で見つけた『東方雑誌号外 第六届全運会画刊』の、女子国術入賞者の記事と写真に出ている名前を判読しようとして調べていたら休日が半日つぶれてしまった。それでも、なんとか全員判読できたような気がする。
判読した結果は以下のとおり。
第1位 山東 楊素清
第2位 青島 姜愛蘭
第3位 河南 劉玉華
第4位 上海 呉俊華
第5位 南京 范之正
第6位 南京 傳淑雲
一位の山東の楊素清は、6人のなかで、体格のよさが群を抜いていて、一般女性の中に混じっているダイナマイト関西といった風情。というのは冗談としても、劉玉華や傳淑雲を抑えて第1位だったにしては、その後の活躍についてほとんど情報がないのが不思議。
*********
第2位の姜愛蘭は『中国武術人名辞典』にでている。最近の経験から、『人名辞典』に書かれていることをそのまま鵜呑みにはできないけれど、査拳や八極拳、埋伏拳を得意とし、青島の国術界では、鐘愛蘭、欒秀雲と並んで三女傑と評されていた模様。
青岛不仅浪漫也霸气 王子平击败过美日高手_青岛新闻网站-台东镇网-青岛本土生活服务门户
〇『中国武術人名事典』の姜愛蘭の項
〇三女傑の一人、欒秀雲とその師・楊明斎についての『中国武術人名辞典』の項目。
欒秀雲と、山東省国術館の田鎮峰の武術の発展・実用性に関する論争についても気になるところ。
出典:【图】1936年【汗血周刊】第五卷第九期_孔夫子拍卖网
〇劉波『台湾武術四百年発展史』より欒秀雲の剣術と弓術
出典:片桐陽先生からのご提供
〇王開文『斉魯武術』から、同じく楊明斎門下の石秀蘭。姜愛蘭、鐘愛蘭とあわせて三蘭という呼び方もあった模様。
*********
第三位の劉玉華と第6位の傳淑雲は言わずと知れた、ベルリンオリンピックの参加メンバー。実は女性三人のうち、選抜をトップ通過したのは前回メモした翟漣源で、次が傳淑雲、劉玉華は補欠(備取)。
出典:武術文史研究 のFBページより
武術文史研究 - 1936 年柏林奧運... | Facebook
〇王広西『中国功夫』より、「参加第11届奥运会国术表演的女选手傅淑云(右),刘玉华演练三合剑,1936年」
*********
第四位は字がつぶれていて判読に一番時間がかかったけれど、呉俊華と読める。最初は真ん中の字が読めなくて、呉〇華、もしかすると(呉鑑泉の長女の)呉英華?と思ったのだけれど、真ん中の字はどうしても「英」には見えなかった。それでも、なんとなく目鼻立ちや立ち姿が面影があるなあと思って調べ続けていたら、呉鑑泉の次女で、門人の李立蓀と結婚したのが呉俊華という名前だとわかった。どうやらこの呉俊華ではないかという気がするのだけれど、呉俊華については全く情報がなく、ましてや第六届全運会に出場したという記録を見たわけではないので、検証は今後の課題(注)。
〇呉俊華の姉の呉英華
「凛とした」という形容がふさわしいような風情
出典:传统吴氏太极拳-吴英华演练_鲁缘太极|太极拳|吴式太极拳|山东太极|威海太极|东岳太极
〇呉俊華 については、以下のような文章でほんの少し出てくるのみ。
*********
第五位の范之正は河北塩山出身(南京の人とも)で中央国術館の第一期生。雲南省武術協会のサイトの「雲南近代武術名家一覧表」のページに名前が見え、中華人民共和国では建国初期に雲南省武術隊のコーチになったようだけれど、『中央国術館史』の名簿では、「昆明电机修配公司 职工」(P.338)とされている。同じく中央国術館教授班第三期の張雲雷「昆明市业余武术队 指导」(同上)と結婚している。雲南や広西には、この人の伝えた三合剣が今でもあるんだろうか。
何寧市武術館総教練・曽耀光のプロフィールに張雲雷の教えを受けたことが書かれている。
*********
タイトルから外れてしまうけれど、以下は、女子摔角で優勝した上海チームの「美牛健麗」孟健麗についての情報。
孟健麗はベルリンオリンピックの国術代表団の選抜にも参加していたことがわかった。この点についてはまたの機会に。
出典:
http://m.xrs.7788.com/s/detail_auction.php?d=2&id=14863617&az=z
「民国24年10月17日《号外画报》女射箭赛湖南王家桢、女摔跤赛胜者上海孟健麗、铁饼冠亚军上海的陈荣棠陈淑芳、…」
〇聶宜新編著『話説摔跤与上海』から孟健麗の紹介
上の記事にもあるように、孟健麗はスポーツ万能だったようで、以下のサイトには、1933年の雑誌『玲瓏』に掲載された、砲丸投げの入賞者4人の写真(競技会の名称は未確認)。左から2人目が孟健麗。同データベースにはほかにも複数の孟健麗の写真がある。
(注)
「時事新報」1935年10月13日の記事により、第4位は上海の呉俊華で表演したのは太極拳であることを確認。ついでに、全入賞者の表演種目を記しておくと以下のとおり。
山東 楊素清 少林拳
青島 姜愛蘭 査拳
河南 劉玉華 大紅拳
上海 呉俊華 太極拳
南京 范之正 八卦拳
南京 傳淑雲 二十四式
同記事の「裁判員表演出色」で、翟連沅が四路査拳を演じたとあり、この大会で審判員を務めていたことがわかる。翟連沅は審判員として、孟健麗の女子摔跤における勝利は、体格の有利を生かしたもので、技術で勝ったわけではないとの批判をしている(1935年10月18日付 鐡報)。このふたりが、翌年のベルリンオリンピックでは一方は南京代表、一方は上海代表として肩を並べるというのも面白い。また、同記事で、翟連沅は褚秘書長のお気に入りの女弟子(褚秘書長得意女弟子)と紹介されている。
なお、以下の記事から、予選からだいぶ順位が変わっていることがわかる。
特に、予選を一位通過した青島の齊秀蘭など、どうしてしまったんだろう。
Shi shi xin bao (時事新報) 1935.10.11 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers
ただし、器械の部では、決勝で六位に入賞(鎮已?槍)
Shi shi xin bao (時事新報) 1935.10.17 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers
※この注部分、すべて2020.5.5追記
2020.9.22 翟連沅に関する一文を追加