中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

「山口高等商業学校清国留学生二関スル件」など 中華武士会とその周辺の日本関係者2 葉雲表

天津中華武士会の初代会長、葉雲表については、よくわからないことが多い。

具体的には特に、

1.なぜ、彼が会長に選ばれたのか。

2.会長就任が設立後数日でしかないのはなぜか。

3.中華武士会会長就任前後、どこでなにをしていたのか。

といった点に特に興味がある。

 

1.に関しては、①彼が武士会の中心人物・李存義の弟子であったという点と、②武士会を設立した国民党同盟会燕支部のメンバーであったからだという点があげられることが多いけれど、①については、具体的にいつ、どこで、どういう経緯で入門したのか、という説明がなされたものを見たことがない。

②については、同盟会が合法化され国民党同盟会燕支部となったあとに作られた名簿の該当ページらしいものがネット上にも流布していて、そこには確かに彼の名前がでている(紹介人は王法勤と辺守靖の二人)。ただ、この名簿はあくまで「中華民国元年十月一五日編刊」時点のものであって、各会員の同盟会加入時期までは書かれていないので、この名簿だけでは、民国元年十月以前の個々人の活動についてはよくわからない。

また、120名ちかくいたといわれる燕支部のメンバーのうち、なぜ彼が会長になったのかは、やはりわからない。

 

〇葉雲表の入会推薦者の王法勤 辺守靖

1.一般/4 支那政局人物調査に関する件 2

現代支那人名鑑/(ヘ)之部/(ト)之部

 

2.の点に関しては、(上に書いた最後の部分ともかかわるけれど)彼が活動していたのは同盟会が国民党同盟会燕支部として合法化される以前のことであり、合法化にともなって、非合法時代の中心人物たちは支部を去ることを余儀なくされた;会長就任時期がごく数日なのはそうした理由によると説明されることがあるけれど、その説明は名簿に堂々と名前が載っている点とやや矛盾するように感じられ、腑に落ちない。

 

3.の中華武士会の前後の活動に関して、中華武士会の活動の前には山口高等商業学校に留学していたこと、その後は 中央工商会議代表(時期未確認)、1918年8月には国会衆議院議員に選出(1918年8月)、1930年代には梁漱溟の郷村建設運動にかかわっていたことがおぼろげながらわかっている。

山口高等商業学校在籍に関しては、明治42(1909)年から43(1910)年在籍の清国留学生部予科37人の中に彼の名前が見えることを以前にメモしたけれど、1911年6月には2年生になっていたようで、最近わかったところでは、修学旅行先をめぐる学校側とのトラブルにおいてとくに強硬だった2名の学生の一人で、反省の態度が不十分として学校側から停学処分を受けている。そして、彼ら2名の処置をめぐって学校と留学生が対立、留学生が集団で上京して、二人の処置の緩和と、転校を訴える事件にまで発展していることがわかった(注)。上京した学生は清国公使館の指導にもよく従い、大人しくしていたようだけれど、転校については時期的にも不可能という文部省の方針で受け入れられず、交渉決裂の結果、彼等は帰国することになったようだけれど、学校当局や日本の文部省、清国領事館を相手にしたこの活動によってリーダー格の活動家(ただし、留学生代表は別人)として名前を知られたことが、同盟会への入会、幹部への抜擢の一因になったことは想像に難くない。この事件は興味深いので、アジア歴史資料センターのサイトから見つけた公文書を文字起ししたものをこのメモの最後に貼りつけておく。

また、ネット上で葉雲表の写真として広がっていて、このブログでもそう思ってメモしていた人物の写真は、どうやら別人。同じく日本留学経験のある議員ではあるけれど、劉恩格というのが正しいらしい。

 

・・・といまだに断片的な情報しか得られていないけど、引き続き手掛かりを見つけてゆきたい。

なお、葉雲表にこだわっているのは、同じように短期間で中華武士会を去っていると思われる馬鳳図の行動を考えるヒントになるのでは、ということが念頭にある。

 

〇関連の過去メモ

zigzagmax.hatenablog.com

 

(注)

「山口高等商業学校における留学生受け入れは結果として失敗に終わる。それは1911年、修学旅行における待遇をめぐって留学生と学校の間に対立が生じ、81名の留学生が同盟退学する事件が発生したからである。この事件を契機として、山口高等商業学校は「特約五校」制度からはずれ、同校では留学生特設予科も廃止された。」
島津拓「戦前戦中期における文部省直轄学校の「特設予科」制度について :長崎高等商業学校を事例として」長崎大学留学生センター紀要. 2007, 15, p. 53-77

この事件の経緯や、葉雲表がかかわっていたことは、以下の公文書からわかる。

赤字は引用者。@は判読不能、「」は仮置き。たぶん、間違っている個所もある。

www.jacar.archives.go.jp

乙秘第一四七三号 六月二十日

清国留学生上京ノ件

転校ノ目的ヲ以テ上京ノ途ニ就キタル山口高等商業学校清国留学生若干名ハ本日午後二時十分新橋駅着入京直二自動電話ヲ以テ清国公使館ニ明二十一日午後訪問スル旨ヲ通話シタリト云フ而シテ入京セシ人員ハ三十名内外ト思科セラル々モ明カナラス内復中

 

② 

乙秘第一四七六号 六月二十一日

清国留学生ニ関スル件

山口高等商業学校生徒清国人劉泳南、蘭汝芳、李其珩、林紹楠、葉雲表外三十余名ハ本日午後一時三十分同国公使館ニ出頭留学生監督胡元倓、庶務課長張元高ノ両名ニ会見シ今回山口高等商業学校長カ二年生タル林紹楠、葉雲表ノ二人対シ無期停学ヲ命シタルハ不当ニシテ独リ両人ニ止マラス我々留学生ヲ侮蔑シタルモノ二付一同退学上京シタル旨陳条(ママ)スル処アリシニ胡監督ハ本件二付テハ公使「二」稟義ノ上文部省「二」交渉シ可及的円満ナル措置ヲ取ルヘキニ付各自謹慎ヲ表スベキ旨ヲ諭シ三時四十分退出セシメタリ尚ホ同校学生約「十」名ハ午後一時ヨリ別二留学生会館二集会シ善後策二付協議スル処アリテ四時散会セリ(以上)

明治四十四年六月廿一日

山口県知事 渡邉融

外務大臣侯爵小村寿太郎殿

山口高等商業学校ニ於テハ客月中三年生ヲシテ満洲二修学旅行ヲ為サシムル二当リ同年級ノ清国留学生五名ハ同旅行ヲ最モ希望シ東京清国公使館ヲ経テ旅費ノ支給ヲ受ケ既ニ同校ヘ仮納セシニ其ノ出発ノ前日二至リ清国留学生二限リ満洲旅行ヲ変更シテ朝鮮二旅行セシムルコトトナシタリ元来朝鮮ハ支那ノ属国ナリシニ日本二合併シタル今日故ラニ其希望セル満洲旅行ヲ差止メ朝鮮ヲ視察セシメントスルカ如キハ故国ヲシテ之ヲ見ヨカシト云ハン斗リノ措置二シテ清国ヲ侮辱セルモノナリトナシ甚之ヲ憤慨シ同留学生ナル二年生ハ之二附和雷同シテ不穏ノ行動二出テントセシモ其後該二年生ハ其行動二対シ謝罪スル處アリシモ葉雲表、林紹楠ノ二名強情ニシテ謝罪セサルニヨリ遂二本月十七日停学処分二附セラレタリ固ヨリ他ノ二年生等モ悔悟謝罪セシモノ不平ノ念未タ息マサル折柄前記二名カ退学処分ヲ受クルヤ留学生一同ハ深ク同情ヲ表シ其ノ処分ノ峻酷二失スル͡コトヲ憤リ会合協議ノ結果此際退校シテ上京ノ上清国公使館ヘ事情ノ訴へ他へ転校ヲ願出ツルコト決議シ而シテ留学生中ノ過半ハ該決議二不同意ナルモ同郷留学生タルノ関係上内六十八名ハ退校届ヲ提出シ内三十二名ハ一昨十九日午前十一時九分小郡駅発列車ニテ東上シ猶ホ昨二十日午前十一時九分小郡駅発列車ニテ十一名東上セリ右及報候也

乙秘第一四七七号 六月廿三日

山口高商在学清国人二関スル件

山口高等商業学校在学清国留学生予科四十名本科一年生卅名同二年生十六名ハ満州旅行問題以来学校ニ於ケル取扱方及山本教授ノ態度ニ嫌@タルモノアリ時々同窓会ヲ開キ憤慨ノ気ヲ漏セル折柄同地発行ノ防長新聞ニ掲載シタル満州旅行ノ顛末(?)ニ相違アリタルニ付留学生同窓会ノ名ヲ以テ新聞社ニ取消方ヲ交渉シ該(?)紙上ニ取消ノ記事ヲ見ルニ至リタルガ学校ニ於テハ留学生ガ専断シテ取消記事ヲ@@シメタルハ不都合ノ所為ニシテ若シ取消ノ必要アルニ於テハ学校ノ名ヲ以テ取消スヘシトテ学生ニ訓戒ヲ与エ、且ツ謝罪書ヲ徴シタルヲ以テ同窓会ノ名義テ提出シタルニ教員会議ノ結果個々ニ謝罪書ヲ認メ差出スヘシトテ既(?)ニ提出シタル謝罪書ヲ却下スルト共ニ謝罪書ノ形式ヲ指示スル処アリ而テ本月十七日山本教授ハ留学生全部二対シ再ビ暴言的訓戒ヲ与エタル後本科二年生十六名二就キ聴取書ヲ作成シ尚ホ自己ノ保証二係ル留学生ノ保証ヲ解キ同夜二年生林紹楠、葉雲表ノ二名ハ学校ヨリ停学ヲ命セラレタ(?)リ茲二於テ本科三年生九名ヲ除ク留学生全部ハ同校ノ暴圧二堪@スト唱ヒ退学ノ上一同出京公使館二事情ヲ具申シ善後策ヲ講ズル二決̪シ去ル廿(?)日以後昨日迄十六名の出京者ヲ見ル二至レルモノノ由ニテ残余ノ学生モ旅費調達次第入京スヘシト云フ

附記

一 前記出京者中神田区北神保町上野館止宿@其@ハ同校留学生同窓会々長ニシテ一行ノ牛耳ヲ執レリ

二 一行ハ既報ノ如ク留学生監督明(胡?)元倓ヨリ謹慎ヲ現スヘキ旨セラレ且ツ山口出発前自治規約ナルモノヲ設(?)ケ居レル趣ニテ目下何レモ自重ノ態度ヲ持シ居レリ

三 一行ハ牛込区西五軒町所在留学生会館ノ一室ヲ借受ケ其事務所ト為セリ

 

※画像は略

乙秘第一四八一号 六月廿六日

山口高等商業学校清国留学生二関スル件

山口高等商業学校清国留学生二関シテハ既報スル処アリシカ其後仝留学生等ハ胡監督ノ訓戒ヲ格守シ謹慎ヲ表シ居リテ何等異状ノ行動ナカリシカ本日胡留学生監督ハ文部省ニ出頭シ田@学務局ニ会見今後ニ於ケル方法ニ付打合ワセヲナシタリト云フカ仝局長ハ大臣ニ具申シタル上可及的円満ノ方法ヲ取ルヘシト答ヘタルニ胡監督ハ之レヲ諒シ仝三時三十分退省シタリト云フ

追テ其内容ハ居チー先@校セシムヘキ模様ナルモ未ダ@定セズト云フ

※画像は略

乙秘第一六〇五号 七月廿四日

清国留学生集会ノ件

本日午前十時ヨリ牛込区西五軒町五十二番地中国留学生総会館ニ於テ山口高等商業学校退学生李基珩外約八十名斗リ集会シ他ノ学校ヘ転校センコトヲ我文部省ニ交渉シタルモ仝省ニ於テハ転校ヲ許サゞルニ付尚ホ進ンデ交渉ヲ(?)重ネ到底其希望容レラレザルニ於テハ断然帰国スルノ他ナシト協議シ正午退散セリ

 ※画像は略