近代の武術家について調べていたら、南皮出身の周長春という武術家にたどり着いた。
もともと唐拳を学んでいて、その後劈掛拳、八極拳、戳脚、功力拳などを学んだという。とくに劈掛拳を得意とし、その劈掛拳は李雲表から学んだとのこと。武器は陸合大槍が得意で、独自の心得があり、「断魂槍」と号して京師で知られ、同郷の張之萬の弟の張之京の屋敷の警護をしていた。
(張之萬については、洋務運動で有名な張之洞がいとこにいる名門で、張之萬も漕運提督として、同郷の八極拳家(張克明や黄四海)に任務を与えていることは以前にメモした。)
その周長春、同治八年(1869年)に、同じく南皮出身で、慈禧太后(西太后)の寵愛を受けていた太監の安徳海が江南に「宮中用品」の調達に出かけるにあたり、乞われて護衛の列に加わる。ところが一行が山東に差し掛かったときに、山東巡撫の丁宝楨が太監は勝手に京を出てはならないという規則をたてに一行を拘束、安徳海を処刑するという事件が起る。中国版ウィキではこの事件で安徳海は斬首、一行20余名も全員が処刑されたと書いているけれど、以下の記事によると、周長春は、自分は張家に使われていて、事情もよく分からずに頼まれて同行しただけだと情状酌量を訴え、張之京の証明によってなんとか死刑を逃れるが、晩年は郷里に蟄居して武技について語ることがなかったのだという。民国時代に編集された『南皮県志』にその伝があるとのこと。
〇このサイト自体は、閉鎖されているページもあったりしてよくわからない
「断魂槍」という名前や、「保鏢業」を営む武術家が後年武術から足を洗うところなど、もしかすると老舎の短編「断魂槍」はこの事件から着想を得たのではないか、と思われるところがあり、興味深かったので、とりあえずメモしておく。
この事件、慈禧太后を盾に権勢を奮っていた太監が首を刎ねられる事件ということで、歴史的にも大きな事件のようで、youtubeなどには、関連したドキュメンタリー番組なども散見される。
〇安徳海の処刑事件について取り上げた番組の例
ちなみに、周長春以外にも、安徳海の一行に加わった武術家として、上の記事の中では「翻子拳名家」の韓録馬という名前があるけれど、以下の記事では、姓は同じ「韓」ながら、南皮出身で唐拳第三代の韓玉林がこの一行に加わっており、伝説と前置きしながら、韓玉林もこの事件を生き延びて、四五年のあいだ、素性を隔して五台山に隠居していたと記している。
同じように、同郷の有力者に仕事を依頼された武術家だけれど、張克明、
安徳海の二十余名の随員のすべてが武術家ではないだろうけれど、中にはこの事件で命を落とした武術家もいたのだろう。どんな役回りが自分に回ってくるかは、まさに天のみぞ知る運命の分かれ道だ。
韓玉林の弟子の祁樹興は、「生活のために」郷里を離れて黒竜江に移り、
〇滄州市人民政府の、南皮祁家洼村の唐拳を紹介するページ
http://www.cangzhou.gov.cn/wcjs/whzc/wswh/166403.shtml
〇祁樹興
祁树兴
(1876-1945)外号双钩祁。河北省沧州南皮人。幼年拜韩玉林为师。习武十儿年。1887年因生活所迫至黑龙江省。初到卜魁城(齐齐哈尔),流窜在街头卖艺。后经人介绍到卜魁府当杂役,后以武显,被提为卜魁府总教头,兼任“双胜镖局”总管。1928年至哈尔滨市,设立武术馆,收徒教拳。他在黑龙江省传授的拳术主要有唐拳,韦陀拳六趟、炮锤、萃八翻、劈挂拳及双刀、双钩、七星枪等器械。祁树兴 - 沧州武杰 - 沧州密网
〇哈爾浜の唐拳を伝える記事
なお、浅田次郎の『蒼穹の昴』では、安徳海はなんとか死を逃れ、宮廷に入り込む主人公の李春雲に宮廷の作法を教える役回りで登場する。大分前に読んだので忘れてしまった。