中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

老舎『断魂槍』

ずっと読みたいと思っていた、老舎の短編小説『断魂槍』をようやく読むことができた。
大阪大学の杉村博文先生のホームページに、原文、日本語訳があるのを見つけたのだけれど、原文には、詳細な注釈もついていて、すごく勉強になる。

時代は義和団事件で武術が時代遅れになってから、民族体育として見直され、提唱されるまでの間のようだ。
主人公の沙子龍は、かつては「鏢師」として名を馳せたものの、いまは「鏢局」をたたんで「旅籠」にし、武芸の技も公開することなく、20年の歳月を経て編み出した必殺の「五虎断魂槍」も、弟子たちに伝えることなく、墓場に持ってゆくと決めている。
勝負を挑まれたり、伝承を懇願されても、その姿勢は変わることがない。

自分も含めて、大方の読者は、沙子龍は、武術家として、売られた喧嘩は買うべきではないのか、なぜ逃げ回っているのか。せっかく身につけた高度な技術を弟子に継承しないのは何故なのか。疑問に思うことだろう。
そこに明確な説明はないけれど、時代の変わり目に生きる沙子龍の悲しみのようなものは伝わってくる。

これからも、折に触れ、なんども味わってみたいと思う。

ちなみに、この小説については、去年読んだ戴国斌『武術:身体的文化』でも何度か取り上げられていた。


ところで、杉村先生の翻訳には勉強させられる部分が多いのだけれど、武術オタクとしては、ちょっと修正をいれたくなる点も。

2、3の例を挙げると、「空手奪刀」を「徒手対真「剣」」と訳しているところ。
やっぱり武術を題材にした小説において、剣と刀は区別すべきだと思う。「「徒手対青柳「刀」」、「徒手対刀」じゃないかなあ。

「三节棍」をそのまま「三節棍」ではなくて、敢えて「三截棍」としているのは、ちょっと真意がわからない。(7月12日追記:この点、後から調べたら、このような表記をする例もあることがわかった。)

「竹節鋼鞭」という武器についてはよくわからないけれど、「竹の節に似た突起がたくさんある鉄製の武器で、形状は鍔のない短い竹刀に似ている。中国の武芸十八般における“鞭”は鉄製で有節無刃の武器をいう」と注釈をつけておきながら、結局「九節鞭」と訳してしまっているところも、なんだかちぐはぐな感じがする。
普通言うところの「九節鞭」は、「軟兵器」の一種であって、注釈で説明をしたような「竹刀に似た」武器とは全く形状が異なるはず。