中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

満映の武術関係者

 前回のメモの最後のほうに、満州国の宮内府警衛処長の人事に関して、関東軍が長尾吉五郎を推した際、溥儀が甘粕正彦を挙げたことをメモした。
 甘粕はその後、1939年に満州映画協会(満映)の理事長になるのはよく知られているとおり。その満映に関しては、以前のメモのなかで、「奉天省武道振興会蓋平分会」の桑永茂の弟子のなかに、満映の武術指導兼俳優の李希義、李玉祥がいたということをメモしたけれど、もう一人、大連で八極拳を伝える徐立言も満映で武術指導をしていたという。彼の家は武術を伝える家系で、祖父は北京の得勝鏢局の鏢師として、長年の間、北京と黒竜江の黒河の間を往来する商隊を護衛していたらしい(『大連武術簡史』PP.386-387。以下の紹介も同じ)。父たちの仕事の関係か、1936年、(父と共に?)15歳の頃に哈爾浜に来ると、曹徳昆(坤)に太極梅花蟷螂拳を学び、1942年には満洲映画協会のオーディションに参加して武術教師になる。

 オーディションの状況は、上掲書には書かれていないけれど、以下の動画で自ら語っているところによると(本当のところは方言がきつくてよくわからない)、試験官が背負い投げで投げようとするのをこらえたら採用になったらしい。

 他方、長春に来てから、「長春では、八極拳というのがはやっているらしいが、そんなにすごい武術があるんだったら、俺をわざわざ黒竜江から連れてきたりするもんか」などと思っていたところ、霍慶雲に簡単にひっくりかえされてしまったようで、以後は周聲武(李書文の弟子なので霍慶雲にとっては師叔と言っていいのかな)から八年にわたって学ぶ。

 昭和14年4月1日~6月20日に開催された大東亜建設博覧会(大阪朝日新聞主催)ではロケのために来日していた李香蘭はじめ満州映画一行が参加しており、そのうち女優・鄭暁君は「満洲古式武技」を披露したとのこと。鄭暁君の師は、サイトによって、周星武と書いてあるけれど、この周聲武のことかもしれない。だとすると、鄭暁君が拾うした「満洲古式武技」とは、霍氏八極拳だったのか?

blog.livedoor.jp



tv.sohu.com

〇徐立言 (趙錫金『大連武術簡史』P.387)

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中国の動画サイトには多数の動画あり。youtubeにあるのはこれだけ?

www.youtube.com


 ところで、満映がらみで名前のでてきた三人の武術家は、いずれも、遡ってゆくと梅花蟷螂拳の郝恒禄の関係者であることがわかり(注1)、この当時、この地域における郝恒禄の影響力が伺い知れる。

 以下の記事などを見ると、曹徳昆は1940年に哈爾浜武術界を代表して来日したなどと紹介されているけれど、どういった状況での来日であったのか詳細は今一つよくわからないので、今後の課題にしておく(注2)。

德坤武馆就是1915年曹德坤创办于哈尔滨市道里区西四道街,后于1920年迁到西十四道街至今,所以我们看到的德坤武术馆牌匾上写着“始于1920年”,而不是“始于1915年”。拳馆设立不久,郝恒禄因年老无事,也来哈市共同教学,并同时在南岗设立拳场,1940年曾代表哈尔滨武术界出访日本。

出典:https://kknews.cc/sports/53ab24k.html

 

 最後に、満映といえば、花形スターの李香蘭の義理の父といわれる李際春が武術家の家系らしいということは以前にもメモしたけれど、「まとめ」として改めてメモしておく。李香蘭のもう一人の義理の父・潘毓桂は武術と直接の関係はなさそうだけれど、塩山の出身で、ほんの一時期ながら、北平市の警察局局長をつとめたこともあるようだ。

 

(注1)

一方は郝恒禄―曹徳昆(坤)―徐立言、他方は郝恒禄―賀先隆―桑永茂―李希義、李玉祥

 

(注2)

1940年には東亜武道大会が開かれており、満州国からも武術代表団が来日しているけれど、一行の名前の中に郝恒禄という名前は確認できない。

 

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2020.4.4

大東亜建設博覧会・鄭暁君に関する記述とリンクを追加。鄭暁君についての資料がいくつか図書館にあるけれど、コロナ騒動でしばらく調べにゆけなさそう。