中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

莫言『白檀の刑』など

義和団事件を扱った、いくつかのフィクション・ノンフィクション(籠城戦のあった北京以外の状況を描いたものを含む 注1)を読み漁っているうちにこの小説にたどり着いた。

莫言の小説としては、このブログを始めるだいぶ前に読んだ『豊乳肥臀』に続けて二冊目。

  

最初のうち、主要登場人物の人間関係を理解するのに少し手間取ったけれど(特に、主要登場人物の孫眉娘をめぐって、三人の父(爹)がでてくるところで混乱した)、そのへんがクリアになるにつれ面白くなり、一気に読み終わった。

 

中国武術とは直接関係しないものの、このブログで過去にメモしたテーマと関連した話題も多く、それぞれのテーマについて理解が深まったような気がする。

 

まずは、「義和団事件」そのものに関して。北京籠城関係の本は多いけれど、山東における事件の起こりに近い部分を描いているのは面白くて、勉強になった。どれだけ史実に即しているのかはよくわからないけれど、糞尿をふんだんに用いた義和団の戦術(匂いが漂って来そう)や、種々雑多な神々が守護神として義和団員に選ばれる描写も面白かった。

 

次に、処刑人。 

タイトルにもある「白檀の刑」を執行する処刑人の趙甲は、西太后から直々に「どの職にも状元がおるといわれるが、趙甲、そちはこの職の状元であるぞ」(文庫版下巻P.172。以下、引用はすべて文庫版)といわれたことを含め、自分の「技」に対する誇りを感じている様子が、趙甲自身の一人称による語りの部分から、ひしひしと伝わってきた。ただ、この処刑の技も、『神鞭』の主人公・傻二の神鞭と同じように、欧米との接触のなかで時代遅れになっており、もはや次の世代には受け継がれないであろうことが作中に示されている。その意味で、作中に何度か出てくるあざやかな処刑の場面は、この絶技が世の中から失われる前の最後の輝きのようでもある。伝統戯の猫腔(実在する「茂腔」に基づき、作者が考え出したものらしい)が演じられる場面にも同じようなものを感じた。

 処刑人の間で伝えられているという「秋官秘集」なる伝書(上巻P.370)が本当にあったのかどうかは未確認。

遺体の一部を薬に配合して副収入にしているところなどは、日本の処刑人と共通しているようだけれど、なにか由来があるのだろうか(注2)。

 

袁崇煥が死刑されたとき、処刑人によってその肉がきりきざまれると、集まった市民がその肉を生のまま食べたという記録があることは前にメモしたけれど、それとの関係で 明治時代のジャーナリストで、1904年に四川省初の日刊新聞「重慶日報」を発刊した竹川藤太郎の伝記小説『幻の「重慶日報」』(加藤雅彦著)では、竹川が隆昌のまちで強盗傷害罪の罪人の斬首の場面に出くわすシーンがある。罪人の首が斬られると、集まっていた子供たちがお碗やマントウを手に処刑された男のもとに殺到し、お碗に血を受け止めたり、マントウに血をしみ込ませて母親の元に持ち帰っていったということで、中には途中でお碗の血を啜り、「口の回りを真っ赤にするものもいた」(P.58)という。この記述は、フィクションなのか、竹川の残した記録に基づくものなのかは未確認(注3)。

 

西太后に仕えた宦官の小徳張こと張祥斎は、西安でとある処刑の現場の立ち合いをしており、孫の張仲忱がその語った内容をメモしている。

‐‐‐西安のある役人が清朝の国法を犯して、老祖宗が斬首の論旨をくだされた。刑執行の目付に任ぜられたのはわしだった。人を殺すのを見るのは初めてだ。首切り役人が刀をふるって頭が落ちた。落ちた頭は地面の上でのたうちまわり、血がすぐに噴き出し、ひげが突然逆立った。肝を潰したわしは何日も食事もろくに喉を通らなかった。岩井茂樹訳・注『最後の宦官 小徳張』PP144-145

 

時代はやや下るけれど、大正時代に四川を訪れたジャーナリスト・作家の遅塚麗水(金太郎)の四川・重慶訪問の記録『新入蜀記』によると、遅塚は万県で七人が銃殺・四人が斬首される場面に出くわしているけれど(同書所収の「江岸に死刑を観る記」)、とくにそれに続く市民の行動については言及がない。

 北京で写真館を開いていた山本讃七郎も公開処刑や、生首の入った箱の写真を撮影していて、東京都写真美術館のDBなどにあるので、実際に死刑執行の場面に居合わせたと思われるけれど、なにか前後の状況についての文章を残していないのかな。(あんまり積極的に調べたくはないけれど。)

 

幻の「重慶日報」―1904年10月17日 四川省初の日刊新聞を発刊した山梨県人

幻の「重慶日報」―1904年10月17日 四川省初の日刊新聞を発刊した山梨県人

 

遅塚麗水『新入蜀記』

新入蜀記 - 国立国会図書館デジタルコレクション

  

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渡辺龍策川島芳子 その生涯』に、劊子手について書かれた場所があったので、補足。

 劊子手というのは、死刑執行に際し、首斬り役をするものをいうのである。いまでこそ、過去の語りぐさになってしまっているけれども、清朝時代においては、劊子手は特殊な専門的な職業であった。

 一人前の劊子手になる過程には、二種類ある。一つは父から子に伝えるもので、もうひとつは弟子に教えるものである。もともと、人間を殺すのだから、実地に練習してみるということはできない。伝授するにあたっては、刀の持ち方、揮り方を主とし、斬り方は、瓜の上に線を引いてそれを練習して五、六年たってまず卒業ということになる。

 こうした型どおりのことを伝授されて、いよいよはじめての首斬りをするとき、実地の体験がないので、ずいぶんおちつかない気分になるらしい。そこでその師父は、この新しい劊子手に、大勢の人びとに誘わせて酒を飲ませる。その酒席で、殺人の気分をひき起こすために、大いに激励する。酒を十分に飲まされてから、きれいな衣服を着て、白い馬にまたがり、威風堂々と刑場に赴く。

 だが、これですぐ首斬りにとりかかるのではない。肝っ玉の小さい未経験者には、さらに、もうひとつの刺激が与えられる。たとえば、--

 通り道にある一軒の店に、汚い水を入れた大桶を準備しておく。この新しい劊子手が馬に乗ってここを通るときに、そこの店員が水桶の水を彼にぶっかける。晴衣が汚れてついに怒り出し、馬からおりて店員をなぐろうとする。このとき、師匠なり父親が、そばから口を出して𠮟りつけ、刑場にゆくようにそそのかす。しかたなく、腹をたてながらも刑場にかけつける。そこでは、彼の怒りを晴らすのには、死刑囚がまことにもってこいの目標となっている。どんなに肝っ玉が小さくても、なんの苦もなく、たやすく執行の役目を果たすことができるという具合である。このような第一回の経過を経てしまえば、第二回目からは、立派な経験ずみの、度胸のすわった一人前の劊子手として、登場することができるというわけである。PP.179-181

このあと、まだ「清朝時代の文献をみると、正式死刑執行の順序は、つぎのようになっている。…」と続くけれど、省略。

 

つぎは「ひげ」。
この作品のなかで、鉄道建設のために乗り込んできたドイツ人と対立し、反乱を起こす孫丙と、それを取り締まる県知事の銭丁はともに立派なひげの持ち主で、そのひげのために村人の中には銭丁を「関羽の生まれ変わりじゃ、いや伍子胥の再生じゃなどと言う者もおれば、いやいや、諸葛孔明の転生じゃ、下界に降りた毘沙門天じゃなどと言う者」(上巻P.199)もいる。

このふたりが、義和団の叛乱側と取り締まり側にわかれて対立する前から、どっちのひげが立派かをめぐって対立し、因縁が深まるさまは面白かった。

また、処刑人・趙甲の息子で孫眉娘の夫の趙小甲は、虎のひげを手に入れると、人々の本当の姿が見えると母に教えられて信じており、県知事の愛人になっている妻を通じて、知事の居所の虎の毛皮から、ひげを盗んでこさせる。眉娘が小甲に渡すのは虎のひげではなく、実は自分のアソコの毛なのだけれど、小甲の目に、父親が黒豹に見えたり、眉娘が蛇に見えたりするところの描写は、東洋のガルシア・マルケスとも評される作者の面目躍如たるところで、処刑の場面の描写とともに読み応えがあった。

 

最近気づいたところでは、平江不肖生こと向愷然の『拳術』附録の「拳術見聞録」に、向愷然が湖南で国技学会を作ったころ、教師(?)の一人、欧陽月庵と十数日間同居したことが記されているのだけれど、月庵は日中は武術のことはなにもいわず、飯を食ったり、碁をうっては高らかに鼾をかいて昼寝をするので、寝ている間に近づいて鬚を引っぱろうとした、というエピソードが記されている。ところが、そっと近づいても、欧陽月庵にどうしても気づかれてしまったようで、欧陽月庵は「このくらいできなければ予想もしないような災い(原文では「奇菑」)から身を護れないだろう」と語っている。また、剣を例に出して、いくら鋭利な剣でも、それを持っていることをひけらかしていたら、いざという時に役にたたないだろう(いざという時に備えて、技を磨くも、決して人前で自慢したりしない)と語っている。普段、武技のことを何も語らないのも、そういった身を守る方法の一つのようで興味深かった。

 

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「日本留学」

小説の舞台である高密県知事の銭丁の弟・銭雄飛は日本に留学し、陸軍学校で学んで帰国した改革派という設定で、袁世凱の暗殺を企てるが失敗し、処刑されるという形で、物語に「日本留学」が絡んでくるのも、とても自然で面白かった。

 

 

ところで、小説では、ドイツ人相手に事件を起こし、いったん高密県を離れた「猫腔」役者の孫丙が義和拳を学び、岳飛の生まれ変わりと称して高密県に戻ってきて大規模な反乱を起こす。このとき、左右のお供にはそれぞれ孫悟空猪八戒が乗り移っている他、義和拳の修練を積んだ村人にもいろいろな守護神が降りてくるのだけれど、倭寇との闘いの中で活躍したはずの武神緊那羅に扮するものが出てこないのが不思議といえば不思議な気がした。武神としての緊那羅は一般大衆にとってはそれほど身近な存在(頼りになる存在)ではなかったということなのか。

 あるいはやはり、「緊那羅王」は、鳥を捕まえる網(注4)程度に理解されていたのだろうか。

 

(注1)

具体的には、松岡圭祐『黄砂の籠城』、同『黄砂の進撃』、村上兵衛『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』、柴五郎・服部宇之吉『北京籠城 北京籠城日記』、老舎の『神拳』、馮驥才『神鞭』、石光真清の手記(とくに第2巻『曠野の花 』)、手塚治虫『一輝まんだら』。いくつかの作品については、別途メモ済み。『曠野の花 』は北京で義和団事件が起こったころの東北地方の状況が描かれていて、とても興味深かった。

残酷描写という点では、手塚治虫の『一輝まんだら』も結構すさまじかった。この漫画、第二巻で北一輝がでてくるけれど、ものがたりは未完のまま終了したのは残念。

 

(注2)

処刑人の話ではないけれど、中村彰彦の小説『侍たちの海 小説 伊藤祐享』には、「薩摩には敵の戦死者から肝を抜き、その人胆すなわち仁丹から丸薬をこしら習俗がある」が、「これは労咳結核)に効能があり、また臨終の近い者の口に含ませれば蘇生することもままあるという」としながら、薩英戦争に挑む薩摩の兵に「おのれ、戦(ゆっさ)んなったや手当い次第(しで)エゲレス人の肝を引っこやして(引き抜いて)、仁丹に作ってくるっ」と言わせている(文庫版P.95)。2020.9.27加筆

 

(注3)

後藤朝太郎の『土匪村行脚』(昭和13年)に、四川の土匪村を紹介したところで馬賊の処刑の仕方(され方)を紹介しているが、子供たちが口のまわりに真っ赤にした様子はよく似ている。

 尚ほ、その死刑に處せらるゝ馬賊の殺され方については、目を括ったまゝ、銃殺の刑に處せらるゝ場合と、青龍刀を振上げ首をスポッと落とすと云ふやり方をする場合との両者がある。死體はその附近に窪みの穴が掘ってあって、其處へ次から次へと引ずり込むのであるが、その青龍刀で以て落とされた首の始末は大抵その遺族か柳行李の材料で砲弾形に作られた釣瓶様のものを持って来てそれに入れて持って行ってしまふ。そのとき頸動脈から流れ出る血と云ったら大変なものであるが、こはそこら辺りにいる群犬が我を争って舐め吸おうとするのである。又いくら追払っても附近にたかっている鼻垂れ小僧が、数多饅頭やパンを抱いて来て、その血を付け付け食べるのだ。その光景と云ったらない。頬ぺたに血の付くのも構わず、餓鬼のようにやっているところは、宛ら地獄のどこかで見る光景のように思われてならない。P.34

この注、2020.9.28追記

(注4)

緊那羅王」とあるべきところ、 「急拿羅纲」、「緊拿羅纲」と書いてある伝書があることに基づく思いつき。

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白檀の刑〈上〉 (中公文庫)

白檀の刑〈上〉 (中公文庫)

 

 

白檀の刑〈下〉 (中公文庫)

白檀の刑〈下〉 (中公文庫)

 

 

2019.11.30追記

『最後の宦官 小徳張』からの引用を追加

 

2020.9.27追記

注2を追加 もとの注2は注3に

 

2020.9.28追記

注3を追記 もとの注3は注4に

 

 2021.3.21

渡辺龍策川島芳子 その生涯』からの引用を追加