中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

渋川玄耳『岱嶗雑記』など

 明治のジャーナリスト・渋川玄耳の『岱嶗雑記』には、馬良の中華新武術について触れた個所がある。馬良は確かに書家としても有名だけれど、「妙な風の字を自慢に書く」と評しているのが面白い。

※以下の引用はすべて現代表記に適宜改めた。

 済南鎮守使馬良は回教徒で、拳法が好きで、妙な風の字を自慢に書くので有名である。拳法は日本の柔術と異(ちが)い軽業じみた点もあるが面白いものだ。惜しいかな、支那人は下等人の業として鄙(いや)しめるので士人の間に流伝しない。でも新聞広告に時々拳法精義などいう本が見える。馬良は過般我国から勲二等を貰った。其礼にとて、済南の某日本官吏が東京に向かう時、一寸ことづけものを頼みたいと手軽に頼むから、何かと問えば、勲章の御礼に自分の書を献じげたいという。何方にかと思ったら、やんごとないあたりと寺内伯にと。PP.131-132

 

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 同書の別の個所には、少林寺を訪れた関精拙和尚の少林寺の印象も記されている。

 関精拙という禅僧の来訪を受けた。先ごろ宗演老師が支那漫遊をした。それよりも広い旅程であるという。河南省を訪える老師に寺僧が誇って示したのは、仏法でなくて拳法であったのに驚いたとか。精拙師も支那の坊主の馬鹿くさいのに呆れていた。或は仏法を超越したものだとも言えよう。

P.113

 

 関精拙は『達磨の足跡 : 禅僧の支那行脚』という中国紀行を残していて、禅僧に似合わぬというべきなのか、これぞ禅僧というべきなのかよくわからないけれど、洒脱な文体で面白い。同書中に、少林寺訪問のことも記している。白衣殿の壁画は「拙筆粗画(まずいえ)」で「西方聖人の古道場には相応しからぬ者じゃ。少林寺剣法などと何時の頃よりこんな魔窟になったものかナー、老少共合六十人の僧は皆現に剣客じゃと申す」(表記は適宜改め)ということで、かなり批判的。

 ちなみに、 関精拙も馬良のもとを訪れて、武術を見学している。

 改めて、該当部分を文字起ししてメモにしておく。

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四 武技十八般

満鉄の理事改野氏と大淵氏が泰山上りをする遠藤氏の紹介で道伴にして貰う事と成る。

今日は一行と共に、支那の武技十八般を見るべく、山東鎮軍陸軍中将馬良氏の邸を訪ふた。将軍は回々教の信者で、又頗る親日派の人副官某は東京士官学校卒業味(うま)い日本語で通訳をする。将軍は副官を通じて武道の沿革を説明する。支那固有の武技は遠く淵源を黄帝に発し、唐朝以来は僧門の独技と成り、少林寺剣法なる発明が出来、洗練され、円熟され、各派の流派が生じた。将軍は其の各種各派の長処を集めて、又一派を発明したと云うのである。

又一方在来の形を泯滅せざる事を計り、天下武技に長ぜる者の為めに老を招き少きに伝え大に励む。毎日済南人家の子弟を、其の庭園に引きて教える。

棒術、柔術、鎖り鎌、両刀、青龍刀、鎗三種、種々の試合が皆真剣を用いて、危険極まるものじゃ、見る者をして寒毛卓竪せしめる。

真剣と赤手(からて)の闘い、或は双剣を揮いながら地上に転々し、忽ち起き、忽ち倒れ騎兵の馬足を截り拂う等の技を遣る。猿柔道、猿剣術、虎柔道、蛇剣術夫々妙技がある。

柔道も我が国の者と全く比較にならぬ。大地の上にウント擲げ倒し引き倒し、鎗で横腹をブス―等、皆覚えず声を上げ手に冷汗を握る。コンナ恐ろしい試合を見た事は無い。

最後に笑わせたのは、力試の一段じゃ。黒煉瓦を十枚計り頭上に載せ、鉄槌で頭上をガントやる。瓦は微塵になる。顔は真っ白になる。本人は平気で笑う。次に背の上に重さ八十斤の扁平な割石を載せ、同じく鉄槌で打つ。石は五六片に砕けた。石割台の人間は平気で居る。煉瓦で横面をはり倒す。瓦は砕けて本人は笑う。今度は一人仰臥して、手に百四十斤の石を差し上げ、足に百斤の石を持ち、其の上に又一人、足と手に持つ石を台にして、仰臥する。同じく八十斤と百斤の石を手と足に載せる。猶其の上で五人の男が剣と槍で試合の形を見せて終いであった。

イヤマ―実に驚いた。百斤の石を隻手で差し上げる男は幾人も有るもの。

PP.166-167

 

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 渋川自身は、ほかに『支那游侠伝』なる著書もあって、その中には、「少林寺の試験」なるお話や、少林寺の拳法を習って名人と称せられた父をもつ杜憲英についての「奇女子」という話がある。どうやってこんな面白い話を蒐集したのか、わからないけれど、こういった方面に多少なりとも関心のあったのようなので、関精拙の少林武術についての批判的な感想に対しては、「或いは仏法を超越したものだとも言えよう」というコメントを残したのではないかと思える。てか、そう考えないと浮かばれない(苦笑)

 

支那游侠伝』はまだ拾い読みしかできていないけれど、そろそろ頭から読んでみる時かな。

 

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 渋川玄耳は関精拙以前に中国行脚した僧として釈宗演の名前を挙げているけれど、調べてみると、この人も少林寺を訪れており、しかも恒林和尚と会っているらしい。このことは、『釈宗演全集第9巻』に収録の「支那巡錫記」に書いてあるようだけれど、国会図書館のデジタル版は公開範囲が限定されていて、ネットからは中身を閲覧できない。

地元の図書館の閲覧室のPCは、コロナのために未だに開放されていない状況。

たった三台、横に並んでいる閲覧用PCの閲覧が、コロナのせいでどうしてまだ制限されているのか、いささか理解に苦しむけれど、一日も早い利用再開を願うばかり。

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