中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

武術家とひげ

古代中国では、親からもらったものは髪の毛の一本も粗末にしてはいけないという儒教思想の影響で、儒教官僚たちはひげを生やすことで道徳観を表していたといわれる。

また、宦官という文化があるなかで、ヒゲも生えないような人間はまともな人間ではないと考えられたことから一般の男性は男性性の象徴としてヒゲを伸ばしていたともいう。

中国人と ヒゲ | 上海ジャピオンウェブサイト | %date% 

髭、鬚、髯、鬍,古代中國男人對「臉上的鬚髮」到底有多講究? | 視界奇觀

 

〇宦官の特徴として、ひげがないこと

中国人は概して、毛むくじゃらにしておくことをほめた話ではないとしているが、宦官はみながみな、その顔にほとんどといってよいくらい毛がない。去勢すると、それまでひげのあったものでも二、三ヵ月のうちになくなる徴候が見えはじめ、だんだんと抜けて、しまいには玉突きの玉のようにつるりとした顔になる。幼児去勢の場合はまったく生えずじまいであることはいうまでもない。三田村泰助『宦官 側近政治の構造』中公文庫版P.26

 

 …献帝のとき、何進が宦官打倒をはかって逆に宦官に斬り殺される事件が起こる。袁紹は部下をひきいて宮廷になぐりこみをかけ、ついに宦官二千人をことごとく殺させてしまった。なかには眉毛やひげがなかったため、宦官とまちがえられて殺された人もいたという。PP.147-148

 

男性としてはヒゲを生やしているのが「当たり前」なので、怒りを表す慣用句として「目をむいてヒゲを吹く」(吹胡子瞪眼)という語もあるらしい。

ひげを吹く | Chinese Station

 

回族の武術家などは、上のような理由とは別の宗教的な背景からひげを伸ばしているような気もするけれど、昔の武術家の写真を見ていると、確かにりっぱなヒゲを伸ばしている人が少なくない。

ヒゲがあるのとないのとでは、同じ武術家の印象もかなり違ってくる。

以下は、ビフォー/アフター的に、同じ武術家のヒゲのある写真とない写真を適当に見繕ってみた。

 

 〇功力門の覇州李こと李茂春

出典:

ヒゲなし:虎父龙女,武林佳话—— 李茂春、李文贞父女生平大事记(一)_星武太极_新浪博客

ヒゲあり:话说天津卫 | 武术大师“霸州李”的传奇人生_搜狐历史_搜狐网

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〇湖南の「拳王」王潤生

出典:https://zh.wikiomni.com/s/blog_cb4f02205f147b5f

「佟忠义」の画像検索結果

 

 〇佟忠義

出典:

ヒゲなし 上海精武体育总会

ヒゲあり 佟忠义_图片_互动百科

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他方、中華人民共和国の武術家の中でも、建国初期から武術行政の中核を担ってきた世代の人たちは、ひげ率が低いような気がする。

たとえば、下の写真は、中華人民共和国建国当初、1953年に開催された全国民族形式体育表演与競賽大会の審判員たちの写真。「ひげ率」が少ないように見える。

彼らが意図的にひげを蓄えないようにしていたのかどうかはよくわからないけれど、ひげを蓄えることが旧社会の男らしさの象徴であったとして、それとは違う新しい時代の精悍な男性像がどこかで意識されていたのかもしれない。

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1953年全国民族形式体育表演及竞赛大会裁判员合影_武术人-精品武术文化网站

 

ただ、そんな中でも、新中国の武術(体育)行政の最初のトップを務めた賀龍はヒゲについては割と保守的な考えをもっていたらしい。

彼は「「真功夫」を身に付けた武術家はそれなりに年齢を重ねており、髭を蓄えている」との信念(?)をもっていて、いまどきの言葉でいえば「白くてツルッとした肌感の男」(笑)を好まなかったせいか、1956年の十二単位武術表演大会では、立派な髭をはやしている人たちを集めろと指示し、裏方を慌てさせたというエピソードがある。(注1)

 

ちなみに、賀龍はそもそも表演競技志向の新中国の武術政策があまりお気に召してはいなかったようで、せっかく選抜された国家チームを、「競技もないのにナショナルチームを作ってどうするんだ」といって解散させてしまったとか、成伝鋭の長穂剣の演武を見て、「きみのそれは、剣を舞わせているのか、穂を舞わせているのか」と質問したとか、中央体育学院の視察で代表たちの演武を見た後に、「うちの部隊の連中と戦かって勝てるのかね」と質問したというエピソードも残っている。

 

そんな賀龍の指示の一つに、民間武術の発掘があるけれど(注2)、これは文革後80年代に行なわれたような、伝統流派の保護・継承を目的としたものではなく、民間の優れた技術を調査し、本当に価値のあるものだけを抽出して体系化し、継承してゆくことが意図されていたらしい。ここでも、彼にとって「真功夫」がキーワードになっている。その賀龍が今の武術を見たらどう思うのだろうか。

 

注1

戴国斌が蔡龍雲に行ったインタビュー(『新中国武術発展的集体記憶 一項口述史研究』所収)より

(三)1956年秋,举行十二单位武术表演大会
戴:贺老总对武术的认识对武术发展产生了什么影响?
蔡:中央不是根据你个人意见。1955年,中央又讨论
这个问题,认为武术要提倡。这样,1956年、1957年武术
又恢复了,当时是借用十二单位的射箭和武术比赛名义。但
是,那时还没有说要成立武术队,体工队都是地方上自己搞
起来的。
戴:贺老总对十二单位武术表演大会有什么具体指示?
蔡:在以十二单位武术表演大会推动武术发展时,贺老
总提出,搞武术的要有胡子的!贺老总一是喜欢年龄老的,
年龄越大越有功夫;:二是喜欢真功夫。因此,十二单位武术
表演大会请了四十几人,基本是白胡子。湖南的向恺然,福
建的万籁声,有的老人在搀扶下出席了座谈会,如陈式太极
拳的陈发科。上海共去了十个人,我与佟忠义,王子平、徐
致一、傅钟文、田造林、顾留馨、徐哲东、杨基峨、王怀琪
(中学体育教师,搞武术的)。会上,贺老总还向大家介绍了
他有真功夫的祖父,ー拳将冬瓜打个洞,瓜不碎。P.173

注2

 武术,是中国民族体育百花丛中的一支奇葩。贺龙认为武术“深深植根于民间”,“不受年龄、性别限制,也没有地区、条件的约束”,是一项投资少、收效大、能健身防身、利国利民的活动。他号召武术界人士不断发掘、整理、提高、推广这一传统项目,“让武术成为我们社会主义的物华天宝”。1953年11月8日至12日,在天津举行的第一届全国民族形式体育表演暨竞赛大会期间,贺龙对武术问题发表了精辟的见解。他说:“民间流传的武术套路是很多的,不仅汉族有,各少数民族也有。这是要花费力气去发掘的。譬如一座宝山,要探明情况之后,才能发掘出宝藏来。这是头一件要做的事;被挖掘出来的是真宝还是假宝,还得花力气去淘洗、整理,剔除其违反科学的东西,打开人们的眼界,恢复它固有的健康的形体,使它符合科学原理,使它更易于掌握,收到增强体质的效验。这是很重要的第二件事;要提高拳艺,不外两个方法:一是从现有基础上开拓新境界,一是博采他人的长处。只有经过刻苦认真的揣摩,道路才能越走越宽。习前人之习,也才能在自己手里发扬光大,取得更大更多的成效。这是第三件事。”他主张,“民族形式体育中有些封建味道的东西要否定掉,这些对增强人民体质没有益处。我们要的是真功夫,这对人民体质的增强有好处。”

  新中国成立之初,有些地方开始组织武术团体时,一些“走江湖”的甚至反动会道门的头目也混了进来,搞起烧香拜师、磕头收徒那一套。贺龙对此进行了严肃批评,并且明确指出:“今后,对于武术的研究、整理工作应该限定在一定的部门,并需要有真正懂武术并具有一定科学水平的人来领导。”贺龙的意见,对于中国武术的发掘、整理和健康发展,具有重要的指导意义。1953年之后,大部分省市建立了武术队和业余体校武术班。各体育院校和师范院校也培养出了一批武术人才。1962年编写了体育学院通用武术教材,研究、整理出版了《简化太极拳》、长拳以及关于刀、枪、剑、棍技术的一批书籍。辽宁、北京、上海、山东和安徽等省、市都涌现出了一批优秀的武术运动员。

贺龙传 第十七章 新中国体育事业的奠基人(5)_梦远书城

 

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武術家のひげに関するエピソードでもう一つ。 

童旭東『孫氏武学研究』所収の雷世泰の回想によると、雷師墨(雷世泰の祖父。大清銀行学堂の第一期卒業生で、中国銀行に勤務。のちに孫剣雲が中国銀行に職を得るのも雷師墨の存在が大きいよう)は孫禄堂を崇拝するあまり、生活上の所作に到るまですべてを真似しており、なかでもヒゲの手入れには、毎日30分以上かけていたという。そのやり方は、腰かけのうえにお湯のはいったお盆をおき、肌脱ぎになって、馬歩になりながら髭をそのお盆に浸し、お湯の温度が下がったところで盆に手を入れて顔を洗い、身体をふくというもので、ここまで馬歩の姿勢を保ったまま30分程度、最後に丁寧に櫛をいれていたらしい。

拜师之后,我爷爷对老师崇拜之极,不仅向老师学拳术,连老师的生活习惯都全盘接收。比如,据我所看到的,爷爷每天洗脸就是ー个复杂的过程:用一个半高的小凳(比平常坐人的要矮),上放深兜的洗脸盆,内放满满的开水,老爷子脱光膀子,骑马蹲裆式ー站,把胡子放在热水里连蒸带烫,等水的温度能下去手了,再洗头洗脸擦身,以我的估算,前前后后总要半小时以上,马步蹲住纹丝不动,洗完之后还要用小梳子把胡了细细梳理后,全部“课程”才能结束,据说整个程序是原封不动地“克隆”老师的。还有就是踢门帘,也是学老师的,… P.93

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武術とは直接関係がないけれど、戦前の中国を舞台にした胡桃沢耕史の『天山を越えて』の主人公は鍾馗関羽かという見事な髭を生やしており、この髭が一つのポイントになっているほか、当時はやっていたという、軍国歌謡『陣中ひげ比べ』 (ちょびひげ、山羊ひげ・虎ひげ・なまずひげといったひげの種類、泥鰌ヒゲがトレードマークの馬賊・馬占山が歌詞にでてくる)が紹介されていたり、「プロペラひげ」の軍人が出てくる。

 この人の小説は『天山を越えて』ほか、『黄塵を駆ける』、『闘神 伊達順之助伝』など、最近読んでみてなかなか面白いと思った。

 

 以下、賀龍についての小ネタ

www.epochtimes.com贺龙传 第十七章 新中国体育事业的奠基人_梦远书城 

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