中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

較場口事件(1946)

重慶では、各団体と市民が、2 月 10 日に同市の較場口で、〈重慶各界の政協会議の成功を祝う大会〉を行った。実際は、この大会開催の責任者は民主同盟中央委員李公樸(後に昆明で国民党の特務に暗殺された)である。同大会の宣言である〈全国人民に告げる書〉の中では、政協会議の決議案を高く評価し、それらを実行すべきことを強調している。大会に出席した政協会議の代表は、民盟の沈鈞儒、梁漱溟、羅隆基、曽琦、張君、中共周恩来、国民党の邵力子、無党派郭沫若、莫徳恵らである。大会主催者の李公樸が講演した時、国民党の特務たちにとり囲まれ、殴られて重傷を負った。李を助けた郭沫若さえも殴られたのである。このような暴力行為に及んだ国民党特務たちは、明らかに国民党の反政協会議派の指示を受けてやったのに違いない。したがって大会は、やむをえず、中途で終止せざるを得なかったのである。これが、いわゆる〈較場口事件〉である。翌日の 11 日付の重慶《新華日報》は、〈較場口の暴行〉の社説を掲げて、暗に国民党右派の“平和団結と民主統一を破壊する陰謀”に非難を浴びせると同時に、“民主の戦士である李公樸先生の不屈の精神は、すなわち、民主のために戦った各党派と無党派の人々の共通精神だ。”と述べている。
この事件は、中国の平和統一の裏に隠されている暗礁が、眼前に示されたようなもので、真の平和統一が、きわめて困難だったことを物語るのである。 伊原澤周「民国政治協商会議の検討」

http://www.i-repository.net/contents/outemon/ir/302/302070004.pdf

 

陳文明『幇会秘事』によると、この「較場口事件」で、国民党の反政協会議派の指示を受けて会議を妨害し、暴力行為に及んだ、(伊原澤周がいうところの)国民党特務と、会議出席者を守った側の双方に武術関係者がいる。

具体的には、会議妨害派の中に、袍哥(哥老会)拳師・譚普連の徒弟である、謝雨樵がいる。譚普連の武術は、いまも盤破門(注1)として伝えられている。

他方、会議出席者を守った中に、滄州出身の武術家・趙錦才がいる。この人は、中央国術館とともに重慶まで来て、同じく滄州出身の中央国術館副館長で、西北軍出身の張樹声(注2)からの指示で、馮玉祥夫人の李徳全の身を守る目的で、武林の仲間である謝雨樵の誘いに乗って、会議妨害派の仲間に加わったふりをしつつ、会議会場から無事に李徳全を連れ出している。

そのことは、滄州日報社の河間周報でも、地元出身武術家の美談として取り上げられている。

上記『幇会秘事』によれば、この張樹声は青幇の大字輩で、よく見たら、酒井忠夫『中国幇会史の研究 青幇編』でも紹介されている。(ただし、同書では『清門考源』の記述をもとに江蘇省桃源県の人とされている。)故郷が一緒で、四大金剛のひとりとして可愛がられた趙錦才も幇会関係者と考えるべきなのだろう。

 

〇趙錦才

出典:燕青门溯源___历史沿革与发展_重庆正刚中医骨科医院

 

 

ところで、重慶出身でメルボルンに移住した作家・齊家貞は、趙錦才の晩年について意外なことを記している。それによると、1957年に趙錦才が重慶市武術協会の一員として北京で演武した際、これを幹部席で見ていた、郭沫若に、往年、較場口事件で自分を殴った側にいた人間だと見とがめられたのが運の尽きで、重慶に戻ったあとは、自分がつくった病院の医師・看護婦から突き上げられ(突き上げたのは「得意門生」の「王某」だという)、間もなく入院のうえ落命する。

齊家貞の回想が正しいとしたら、哥老会の誘いに乗ったふりをして、捨て身で李徳全を守った趙錦才の最期は、あまりにも不憫だ。

 

〇齊家貞 趙錦才与郭沫若

www.open.com.hk

 

なお、その趙錦才の伝えた燕青門正骨療法は、2011年に重慶市の非物質文化遺産に認定されている。

https://www.bilibili.com/video/av15991853/?fbclid=IwAR0VhK05n_U4DWat9BaX-6C2XCF-9CaMmdyUMn7pUxcAPvAGAw8Kga-3oQQ

 

 

(注1)

 盤破門武術の動画はここ。

v.qq.com

なお、以下の記事のように、「谭普连等人于1928年参加南京国术考试比赛」と書いてあるものが散見されるけれど、管見の限り、譚普連という名前は、第一回国術国考の優等37名、中等82名はおろか、「預試」の中にも名前はなく、残念ながらそのような事実はないと考えざるを得ない。

 

www.emwsw.com

 

(注2)

 なお、『幇会秘事』の張樹声についての記述を注意深く読むと、日本でもよく知られているある事件が青幇の陰謀であったことを示唆しているところがある。劉正『民国名人 張璧評伝』にも、同じ趣旨の記述がある(張璧も、同じく青幇の大字輩。武術史との関係では、王薌齋の武術を大成拳と呼んだことで知られる)。劉正の本は、本文とあとがきで、同一の一次史料について、異なった解釈をしているところがあったり、著者自身の感情が出すぎていて、やや歴史的事実の解釈をゆがめていると感じられる箇所もあるものの、当該事件については、青幇が深く関与していたと考えてよいのだろう。本ブログの趣旨にはあわないので、深くは立ち入らないが、個人的備忘録としてそのことだけ記しておく。