中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

「洮南県下に於ける侠義者(侠客)調」 大正四年六月末

アジア歴史資料センターのデータベースから、本当に偶然見つけた、マル秘と印の押された史料。洮南(清朝時代は洮南府、中華民国では洮南県、現在は白城市の県級市(注)。

〇「洮南県下に於ける侠義者(侠客)調」

出典:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03050191500、各国内政関係雑纂/支那ノ部/満洲 第十五巻(1-6-1-4_2_5_015)(外務省外交史料館)」

 

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長春の北西260キロ(ウィキ情報)の洮南という一都市の状況に限定されているので、一般論としてはどれだけ適当かわからないけれど、天津や直隷から、かつて保鏢業を営んでいた武術家が流れてきていることや、それらの武術家たちが貧民救済の活動を行っていることなど、とても興味深い情報が満載。報告者の名前は記されておらず、詳細はわからないけれど、満鉄の洮南公所からの報告ではないかと思われる。

 

その他の地域に似たような報告がないのか、今のところ確認ができていないけれど、報告の最後に「その他各県下に就き調査を進めば各種各様の経歴を有する者亦少なからざるべきも所謂侠客と称する者は清朝時代の遺物視され現世に於ては殆ど一顧の価値をも認められざるのみならず正業無き者は無頼の徒視されつつあるの時世なるを以て自ら之等の閲歴を口にするものすらなき為調査又困難なり。」とあることを考えると、これはある意味例外的に記録できたものかもしれない。

 

 

以下は、報告書を文字起ししたもの。

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一、伊凌雲 原籍 天津 現在 洮南
(イ)閲歴及び勢力
武術に長じ清朝時代より各地を遊歴して地理に精通せり
為に旅行者の保護、貴重品の輸送等を業とせしことあり。又軍職を奉じ営長に任官したるも中華民国に至り職を辞して来洮後は貧民救済その他侠義の為には常に身命を賭して尽瘁し現在に於いては相当の資産をも有し当地方に於ける紳士界の重鎮なり
(ロ)馬賊との連絡 なし

 

一、裴景奎 原籍 盤山県 現在 洮南

(イ)閲歴及勢力

支那各地到処匪賊横行し行旅者の被害頻発すること嘆し之を除くべく馬賊の懐柔に意を注ぎ清朝時代より緑林中の重(ママ)なる者と接近交際に努めつつありしが馮麟閣の帰順するに当り請われて其麾下に投じ中級軍官に就任したるが幾何もなくして職を辞し洮南に居住するに至れり。第二次奉直戦争終局後闞朝璽(現熱河都統)の推薦に依り遊撃隊統領官に擢任され現在豊甯県地方に駐在せり。家族は洮南に居住す。

(ロ)馬賊との連絡

上述の関係上有力なる頭目との連絡今尚存するものの如し

 

一、程海峯 原籍 直隷 現在 開通

(イ)閲歴及び勢力

光緒貮拾六年より三拾年頃まで営口に於て鑣局を経営し旅行者の保護、貴重品の輸送業に従事せるが此期間は義和団(明治三十三年 光緒二十六年)事変、日露交戦(明治三十七年、光緒三十年)等の騒乱に乗じ各地に匪賊蜂起して人心安かざるの時なりしかば同氏は自己の武術に巧妙なるを頼み良民保護、地方治安に意を用い同時に部下を募りて匪賊討伐等に出馬せしが遇々(偶々?)鉄嶺、法庫各県下巡歴中其部下が掠奪を行いし為官憲に探知せられ責任者たる同氏を逮捕したるを以て之が弁疏に努めたれども容れられず極刑に処せらるべき形勢を覚りたるに拠り遂に逃れて緑林の徒と豹変し爾来交戦の毎に連戦連勝討伐軍の心胆を寒からしむるに至れり。於此別名を「三勝」と号し各地に暴威を逞くせしが辛亥の歳革命起義に当り藍天蔚の麾下に馳せ鉄嶺、遼陽各県城を占領し旭日昇天の勢を以て転戦の際藍天蔚の失落に因り全軍の士気阻喪し同氏も一時身を隠さんとせしが斡施(旋?)に依り「京畿偵緝隊長」に任官せり。袁世凱の没後再び法庫県下に隠れ旧部下を招集して非行を恣にしつつありし際第一次奉直戦に於て張作霖が敗北せし為密に同氏の胆勇と侠気あるを信頼し帰順を勧告して「招匪司令官」に任じ各地に蟠踞せる重(主?)なる馬賊頭目を募集せしめ開魯県の大襲撃を敢行せしめたり。凱旋後第二騎兵遊撃隊統領官に擢任し開通に駐在するに至れり。(現在陸軍第二拾五団と改編し之が団長たり)

(ロ)馬賊との連絡

如上の関係上到底免れるべくも非ず。又之を利用するの得策も多かるべし(現二拾五団の麾下は殆んど緑林時代の部下にして内二個営は蒙古人(前馬賊)を以て編成せり)

 

一、金立勇 原籍 哈爾浜 現在 洮南

(イ)閲歴及勢力

商家に育ち原籍地に於て商舗を経営し又各地に支店等を有して繁盛に取引を行いつつありしも日露戦争の影響を蒙りて悉く失敗し厭世の極各地を巡歴中身体衰弱に陥りし際遇々(偶々?)養身術(深呼吸又は静坐法の如きものならん)を会得し数年間錬磨の結果自己が壮健となりしのみならず他人に伝授して其効果あるに鑑み更に工夫研究を凝し施術病者を醫するに至り当地に来住するや宣伝に努力し相当資産を有するに至りし為「同善社」を設置して貧困者、病苦者等の救済事業に努力し又地方の治安上にも貢献する処少なからずと云う。

(ロ)馬賊との連絡 なし

 

一、劉峻峰 原籍 山東 現在 鎮東県

(イ)閲歴及勢力

各種の武術に優れたるを以て名高し。清朝時代天津に於いて之が師範を為す傍ら鑣局を経営して旅行者の保護、貴重品の輸送等に従事せり。義和団事変の影響を被り事業に失敗後軍職に就き営長に任官したるも上司と意見相容れざる為遂に退きて郷村に馳て匪賊の懐柔帰順勧告などに努力し又良民の救済に意を用い地方の治安上に貢献するところ多し。現在は隠居し其師弟は農業に励みつつあり。馬賊との連絡従来の関係上、多少の知誼は有するならんも帰順者の全班は現在殆んど軍籍に在る者多き為寧ろ武官との交際深かるべし。

(ロ)馬賊との連絡 

 

一、馬潜修 原籍 農安県 現在 突泉県

(イ)閲歴及勢力

良民の救済養護を目的とし貪官劣吏の排斥に努め時に無頼漢を使唆(示唆?)して貪欲飽くなき官吏富豪等を襲わしむる事ありし為遂に官憲の為に郷里を逐放され突泉県下に移りて農業を名義とするも尚有力なる馬賊頭目と気脈を通じ豪農商紳士或は貪官悪吏等を襲いて財物を奪わしめ貧民の救済に努めつつあり。

(ロ)馬賊との連絡

如上の状態にて有名にして侠気ある馬賊頭目とは交際を結び又時に来往することありと云う

 

一、張振民 原籍 遼源県 現在 洮南

(イ)閲歴及勢力

幼児より仏教を信じ(僧侶に非ず)常に静坐胆気を錬りて養身法を会得し更に工風(工夫?)研究を積みて心霊気合術に類するものを独創し疾病者の治療貧民の救済等に従事する傍ら頑(?)愚者を説導して人道の大義を教え又地方の治安に貢献する処少なからず

(ロ)馬賊との連絡 なし

 

一、韓向吾 原籍 法庫県 現在 洮南

(イ)閲歴及勢力

曾て陸軍第二十九師麾下の副官に就任せるも生来の仁任抑えるに由なく狭義ある馬賊頭目を使唆して都合貪吏等を襲わしめ掠め得たる財物を以て貧困者を救施し良民に対しては保護に努め良武官として衆人の仰望する処なりしも偶々(偶々?)馬賊等と因縁浅からざる関係を有する事長官の探知する処となり遂に免官せられるに至れり。其後統治に来住して商業を営み傍ら貧民の救恤地方治安の擁護に努めつつありて衆望甚だ高しと云う。

(ロ)馬賊との連絡

賊首との連絡に就ては已に断絶せりとの事なるも如上の関係と且窮鳥懐に入れば保護せざれば止まざるの侠気あるを知悉せるに依り彼等の懇請黙止し難く時に便宜を計り居れるなるべし。

 

一、安逸民 原籍 京兆 現在 突泉県

(イ)閲歴及勢力

幼時より拳術、剣術(柔術、撃剣に等し)を錬磨し又常に子襄の「自反自不縮雖褐寛博吾不惴焉 自反而縮雖千萬人吾往矣」の気概を壮(?)とし之が躬行を目的とし醜吏豪族等をして横暴の振舞あるを聞知せば千里の道を遠しとせずして到り之を懲らしむるに吝まざるの行為ある為遂に官憲の忌憚する処となり逐われて洮南に来住するや尚自己の標語とせる目的を抛てず且大同平等一視同仁主義を唱て意見の発表(新聞其他印刷物)をなし前には呉俊陞(現黒竜江省監弁)石得山(前苐五十八旅長)等の専横の所為ありたるに対し地方人民の公権を侵害するものなりとして正々堂々対応し訴訟を提起して遂に勝訴に帰せりと云う。現在は突泉県蓮花山屯に隠居し風月を共とし余生を送れるも当県城内に商業を経営し之が財東たるの関係上時に来洮する事あり

(ロ)馬賊との連絡 なし

 

如上は現在洮南県附近に居住し狭義者と称せらる重(主)なる者の氏名及閲歴の概要を示したるものにしてその他各県下に就き調査を進めば各種各様の経歴を有する者亦少なからざるべきも所謂侠客と称する者は清朝時代の遺物視され現世に於ては殆ど一顧の価値をも認められざるのみならず正業無き者は無頼の徒視されつつあるの時世なるを以て自ら之等の閲歴を口にするものすらなき為調査又困難なり。

 

 (注)

洮南の場所は、日本人馬賊・中島辰次郎の『馬賊一代 大陸流転記』所収の「筆者行程図」がわかりやすかった。中島はハルビンの陸軍特務機関員訓練所で学んだあとハイラルの特務機関付見習いとなり、最初の任務として「ハイラルから単身ホロンバイルの草原を経て洮南に至る約八百キロを旅行し、洮南からは鉄道を利用して鄭家屯、四平街を経由して新京へ帰着せよ」と命ぜられ、三窩子、甘玉爾廟、阿苦子、王家河子と順調に来たところで、地図では洮南の上方に見える洮安県公署の日本人と出会い、「二、三日ここで休んで一緒に洮南へ行きましょう」(P.39)などとすすめられながら酒を飲んでいるときに、大囲場を根拠とする馬賊・五洋の四太太の率いる一行の襲撃を受けて捕えられ、次第に四太太のもとで馬賊として認められていく。

このあと、四太太の単独行動をめぐって、大囲場の五洋ともともと連携関係にあった陳家屯の紅槍会匪との間で凄惨なつぶしあいになるが、陳家屯の紅槍会匪の長は僧侶で、「少林寺拳法の達人として知られ、槍術も得意としている」(P.55)人物であったらしい。

〇中島辰次郎『馬賊一代 大陸流転記』より「筆者行程図」

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