12月19日、「神拳大龍」蔡龍雲が逝去したというニュースが流れてきた。享年87歳。謹んでご冥福をお祈りする。
ご葬儀は12月24日行なわれた。
ロシア人マスロフ、アメリカ人ボクサー「黒獅子」ルサールを倒して「神拳大龍」と呼ばれたことは、早くから福昌堂の雑誌『武術(うーしゅう)』などでも紹介されているので、日本では蔡龍雲といえば実戦派の伝統武術家という理解が一般的かもしれないけれど、実際には、最初の武術競技規則の制定に携わったり、雑誌『新体育』に発表した「我対武術的看法」で、武術の本質的な要素として、実戦技術とならんで舞踊的要素が含まれていることを主張するなど、中華人民共和国の武術競技の草創期を、理論的にも実務的にも支えた、競技武術界の功労者という面のほうが大きい気がする(注1)。
中央国術館時代の武術観は、元軍人である張之江館長が、折にふれて繰り返し主張しているけれど、戦場における白兵戦での応用を強く意識したものであり、蔡龍雲が述べたような武術観とは大きく異なっている。一部が台湾に移ったとはいえ、中央国術館時代のエリートたちにしてみれば、当時まだ30歳にも満たない若造が述べた、武術の「撃」と「舞」を並べて考えるという考え方は、侮辱と映ったかもしれない。実際、唐豪と並んで有名な武術史家の徐震は、蔡龍雲同志(時代を感じさせる言い方だ)は「花法」を特別に重視するあまり、彼の視野を制限している、等と批判している(注2)。
この意見がそれなりに説得力を持ったのは、家伝の武術の継承者でもあり、かつ実戦でも実績のある蔡龍雲による問題提起だったことが大きいのではないかと思う。(共産党への入党時期がよくわからないけれど、この主張が、共産党主導の新政府の方針に沿っているという面もあったのかもしれない。)
その他、蔡龍雲の文集『琴剣楼武術文集』を読むとよくわかるけれど、蔡龍雲は1950年代、武術競技全体に関わる観賞のポイントの解説や、代表的な武器や流派についてのコンパクトな解説文を多数発表しているし、あのブルース・リーがとりよせて枕元に置いていたという『武術運動基本訓練』(注4)に掲載された、「“四撃”“八法”“十二型” ---武術運動的基本技法」などは、現代の競技選手・審判にとっても得るところが大きい、高度な理論的総括になっていると思う。
晩年の蔡龍雲が現代の武術競技をどのように見ていたのかはよくわからないけれど、留学していた1990年、鄭州で行なわれた全国大会(団体戦)を見にいったときには、連日、会場で蔡龍雲の姿を見かけたことを思い出す。
繰り返しになるけれど、謹んでご冥福をお祈りする。
(注1)
「我国武术从创始到现在,始终是循着“击”和“舞”两个方面发展的。
这两个方面传统的构成了整个武术运动。」(「我的武術的看法」の冒頭の一文)
「我的武術的看法」は、蔡龍雲の著作集『琴剣楼武術文集』に収録。
(注2)
徐震「略論武術的性質」(山西科学技術出版社『徐震佚文集』所収。)
「・・・因为他特别重视花法,又不免限制了他的视野,他把演练(即他所说的舞)全部重点放到了花法上面,这是片面的。」「略論武術的性質」のP.七)
「总而言之,蔡同志对武术认识得不全面,不了解过去发展的历史,因而对它的广度深度都估计的的不足。按照他的看法来对待武术,会使武术流于浅狭化,失掉许多精华。」「同上 P.九)
(注3)
“四撃”“八法”“十二型”は、全部あわせて「二十四要」ともいわれる。
『琴剣楼武術文集』には修訂版が収録。
以下は、二十四要の簡単な説明。
(注4)ブルース・リーと蔡龍雲の関係はこの記事などを参照
「原来,李小龙曾在大陆买回很多武术书籍,其中就有蔡龙云《武术运动基本训练》和《华拳》。李小龙根据蔡龙云书中的指引练习,特别是进行腰腿训练后,腿法应用自若,用腿仿佛用手一般。在李小龙的一部电影中,有个特别的动作叫“三不落地旋风脚”——三个动作不落地接旋风脚,就是根据蔡龙云《华拳》里的“三不落地”改的。李小龙撰写的《中国基本拳法》一书,所用配图也是根据蔡龙云书里的图改编的。」
◎『少林拳血闘録』では第一章で蔡龍雲がとりあげられており、連続写真で、ボクサーとの闘いを本人が再現している。(これより以前に、雑誌『武術(うーしゅう)』で使われていたものと同じだと思う。)