中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

林伯原『中国武術史 ― 先史時代から十九世紀中期まで ―』

通常、できるだけ第三者的な視点で、(ときどきビビりながら)敬称も略する形でかいているこの備忘録、今回も同じような調子で書きはじめたのだけれど、どうしても個人的な思いと切り離しては書けないので、少し書き方を替えてみた。2016年第1弾、恩師への敬愛の気持ちを込めて。

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掲題の本がいよいよ出版された。待ちに待った、という感がある。

1989年の秋から、翌90年の7月まで、北京体育学院(現大学)に留学し、その間、林伯原先生の講義を受ける機会に恵まれた。前期・後期を通じてご講義いただいた武術史のほかに、後期には、原典講読の時間も作っていただき、呉越春秋(越女伝)、角力記、紀效新書、少林棍法闡宗、手臂録などの古典を、重要箇所のコピーをもとに解説していただいたのは、昨日のことのようだ。そのときに垣間見た(本当に、垣間見ただけ)武術史の面白さにすっかり魅了され、その余熱は四半世紀以上たっても、いまだにこのブログ(という名の備忘録・頭の体操、妄想録)に受け継がれている。

◎留学時代のテキスト『中国体育史 上冊--古代部分』

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林伯原先生は西安体育学院を卒業されたあと、北京体育学院の修士課程にすすまれ、張文広先生の薫陶を受けられ、1985年に上海における口頭試問を経て武術修士号を授与されている。上海体育学院に武術修士号の学位授与権が認められたのが1984年で、中華人民共和国最初の武術修士になる。このときの修士第1号は、康戈武、温力など全部で11名がいる。

林先生の修士論文のテーマは「明代武術発展状況の初探」。この論文はのち、人民体育出版社の『中華武術論叢』第一集に「談中国武術在明代的発展変化」として掲載されているけれど、笠尾恭二は「明代武術を総合的に分析した林伯原の研究は、今後の中国武術史研究に寄与するところが大きいであろう」と評している(『中国武術史大観』pp.649-650)。

 

修士論文が掲載された『中華武術論叢』第一集とその目次

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1993年には博士論文執筆のために来日、学位取得後も日本に残られ、国際武道大学で教鞭をとられてきた。今回上梓されたのは、長年にわたる武術史研究のなかの、古代史部分(アヘン戦争以前)の集大成ともいえる(注1)。

 

林先生の旧著『中国体育史 古代部分』(留学時代のテキスト)の前書きの谷世権教授(下巻の近現代部分を執筆)による紹介には、林先生の著述スタイルは、博引傍証、述べて作らず、文献によって語らせるスタイルだとかかれていた。今回出版された本もその著述スタイルに変わりはなく、膨大な関連文献が紹介されている。その中には、日本の読者・研究者にはなかなかアクセスできない中国国内の史料や、逆に中国では入手困難な日本の史料も含まれている(注2)。また、日本を拠点とした台湾や韓国での学会参加を通して入手された現地の史料もある。索引も充実しており参照価値が高く、今後の日本における中国武術史研究において、間違いなく一つの基本文献になるだろう。

 

類書としては、松田隆智『図説中国武術史』(1976年)、笠尾恭二『中国武術史大観』(1994年)が双璧を為すのだろう。

ざっと眺めてみると、松田氏の研究成果から、笠尾氏の研究成果が出版されるまで、ほぼ20年が経過していて、今回の林先生の著作も、『中国武術史大観』から、ほぼ20年が経過している。研究者の層がそれほど厚くはないと思われるこのジャンルで本格的な研究成果が現れるのは少なくとも20年くらいの研究の蓄積が必要になるということだろうか。もしそうだとすると、自分が生きている間にちゃんと読むことができる最後の(できればもう1回くらいあることを願う)、本格的な武術史研究の本かもしれない。今回の出版はそれぐらい重みのある出来事だと理解している。

 

ちょっと大げさなことを書いたかもしれないけれど、中国武術研究院の公式テキストといえる『中国武術史』(1997年)にも名前を連ねる当代一線の研究者(注3)が、今後、このような骨太の(いいかえると、商売にならない)研究成果を日本語で発表する機会は、いろいろな偶然と関係者の熱意が重ならない限りは実現不可能だと思う。

多少値がはるけれど、中国武術史について興味のある方は、既刊の『近代中国における武術の発展』とあわせて、この2冊を揃えることを強く推奨したい。

 

◎(編)著書の一部 『近代中国における武術の発展』は博士学位を取得された論文

『中国古代体育史』の序文は徐紀老師が書いている。

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◎1988年に中国武術研究院が開催した国際武術フェスティバルの論文集

 三本の報告が掲載されている。巻頭が林先生の論文(注4)。以下、中国芸術研究院の劉峻驤「武术与中国文化」、中国科学院武術協会理論部「从脑电,心电,血脂等指标探讨太极拳运动的保健作用与机理」

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もちろん、この書物に武術史のすべてが網羅されているわけではない。
特に、個別流派の形成についての具体史や、具体的な技術・技法の変遷といった側面はあまり触れられておらず、自分が学ぶ特定流派の具体的な歴史以外には特に興味がないような読者(もしかしたら日本の中国武術愛好者のほとんどがそうかもしれない)にとっては、あまり興味を引くものではないかもしれない。

それでも、このようなマクロな研究を通して、中国武術史の大きな流れを頭に入れたうえで、個別流派に関する研究書・解説書に立ち戻ったならば、中国武術の違った姿が見えてくるのではないかと思う。

 

そもそも、中国武術とはいったい何だろう。個人や集団のための殺傷技術を母体に、生産労働や宗教信仰、芸能の要素とも深く関わりながら発展してきた中国武術。近代以降は、西洋的な教育観、体育・スポーツという新しい要素もとりいれられており、ますます複雑になっており、ここからが軍事技術でここからが武術であるとか、ここまでは宗教信仰でここからが武術であるとか、なかなかそういった線引きが難しい面もある。


ここで唐突に自分に話を向けると、自分は、中国武術の、殺傷技術としての発展という意味からは逸脱した、芸能や宗教、養生との結びつきなどにより興味があり、このブログでは好んでそうした点をとりあげてメモする傾向がある。

林先生はたぶんこのブログはごらんになっていないけれど、「武術の本質はあくまで武の術」との観点から、「お前の考え方は問題を複雑にしすぎ」と指摘されたことがあるので、あまりお気に召さないかもしれない。

それでも、自分にとっては、よく言えば博大甚深、悪く言えば玉石混交で懐が広いところにこそ武術という文化の面白さ・真骨頂があると考えているので(正直にいえば、いかに効率的に、非常に人を倒すかという点にはあまり興味がなし、適性もないと思う)、これからも自分なりに、試行錯誤・頭の体操・妄想・脱線(何とでも言え)しながら、武術の面白さを見つけていくつもりだけれど、今回出版された林先生の研究成果は、迷ったときの一つの道しるべになると信じている。

 

林先生には引き続き、日本の中国武術界にとって共通の財産になるような研究成果を発表していただきたいと切に願う。

さしあたって一つだけ希望を述べられるとしたら、武術史上の重要な古典の現代語訳とかかなあ。あんまり売れるとは思わないけれど、日本の中国武術史研究にとって、代々引き継がれる財産になることは間違いないと思う。

 

中国武術史 ― 先史時代から十九世紀中期まで ―

中国武術史 ― 先史時代から十九世紀中期まで ―

 

 

 

近代中国における武術の発展

近代中国における武術の発展

 

 

 

 

(注1)
アヘン戦争以降については『近代中国における武術の発展』がすでに出版されている

(注2)たとえば、P.387で紹介されている「邵陵(少林)拳勢歌」二首が記された趙光裕の『新鐫武経標題正義』は、米沢市立図書館所蔵と注がつけられている。

P.498では高穎の『武経射学正宗』と『武経射学正宗指迷集』について、以下のような記述も。

明末の高穎が著した『武経射学正宗』(以下『射学正宗』)と『武経射学正宗指迷集』(以下『射学正宗指迷集』)は崇禎十年(1637)に刊行された。しかし、『明史』の「芸文史」および『清史稿』には一切記録されておらず、唐豪氏の『中国武芸図籍考』にも取り上げられなかったことから、中国ではすでに失われてしまった可能性が高い。しかし、これらの弓術書は江戸時代に日本へ輸入され、当時の弓道家たちに絶賛されて日本の弓術に大きな影響を与えている。pp.498-499

 『射学正宗』については、皇室に伝わってきたものの画像データベースが公開されている。

 

shoryobu.kunaicho.go.jp

 

 濱口富士雄による『射学正宗』解題

 高頴『武経射学正宗』三巻『武経射学正宗指迷集』五巻
高頴は、あざなは叔英、明のごく末期崇禎十年(一六三七)の自序が付される。従来中国射において伝統的に行われてきた撇絶射法を批判し、骨節の働きを主体とし、前肩を下に巻き込む工夫を説き、静なる自然の離れを提唱する。これは日本の弓射の理念とも極めて共通するところが存したことと、かつ荻生徂徠が寛政元年(一七八九)に訓点本を出したり、また国字解を出して大いに喧伝した結果、江戸期はもちろん大正時代頃まで日本の弓術に深い影響を与えた。殊に日置流においての摂取には瞠目すべきものがある。『正宗』の方は主として高頴の提唱する射法を理論的に解したり、弓具の選定法が説かれる。『指迷集』の方は射法の遺訓や先人の射法を条条批判するものである。なお、『正宗』捷径門で行射の過程を分析した五法(審・彀・均・軽・注)は、日本では今日に至るまで中国射に言及する場合、実情は必ずしもそうではないのだが、中国射法の典型として挙げられるまでに至っている。

濱口富士雄『射経』PP.31-32

 

 

(注3)
林伯源と字が間違っているのはご愛嬌か

 

(注4)

楊祥全は『中国武術思想史』でこの論文を引用しながら、

「林伯原先生は、「古代中国の相当長い時間にわたり、軍旅武術と民間武術の二つの並行する大きな体系が存在してきた。この二つの体系が…古代武術を形作ってきた」と述べている。ここで林先生は明確に軍旅武術(軍事武術)は古代中国武術の重要な構成要素であると説明している。その他の研究者の中にも軍事武術の問題について言及している人がいる。たとえば温力先生は『中国武術概論』の中で「冷兵器時代の軍事武術と民間武術の関係」というタイトルの一節を設けて軍事武術と民間武術の関係を説明している。張志勇は武術を広義の武術と競技の武術(武術運動)の二種類に分けているが、広義の武術には軍事武術が含まれている。…(略)…より広い視野から武術を研究することは、武術研究をより深く、広いものにする。残念なことは、軍事武術は必ずしも研究者の広い関心を集めてはおらず、現在の武術研究者は伝統武術の立場に立つか、あるいは武術運動の立場に立ち、あるいはせいぜい両方の立場から武術を考察し、研究しているが、その結果、研究は全面的ではなく、深みもなく、研究上、述語運用の混乱をもたらしている。」と述べる(P.26 を仮訳)。

自分は林先生から武術史を学んだこともあり、古代武術を構成するものとして軍事武術があるということは常識のようにとらえていたけれど、中国の研究者がすべてそう捉えているとは限らないことがこの記述から伺え、林先生のスタンスを評価したコメントとして興味深い。

 

2016.1.10 1988国際武術フェスティバル論文集の写真を追加

2016.2.14 注2を追加。もともとの注2を注3に変更。

2016.9.27 来日年を修正(1992→1993)

2019.3.30 (注2)に『射学正宗』データベースの記述とリンクを追加

2019.4.14 (注2)に濱口富士雄の『射学正宗』解題を追加

2021.11.8 (注4)を追加