昨年暮れにインターネットで注文。
この本のウリは個人的には二つあって、一つは清朝の公文書(檔案資料)の部分で、白蓮教や八卦教の反乱の関係者の供述書や、これらの事件に関する地方官僚から中央への報告書のなかに見られる武術の内容が約20ページにわたって紹介されている。梅花拳や七星紅拳、八卦拳、異伙(義和)拳、八番拳、神拳、金鐘罩…といった語が見られる。
昔の文章のはずだけれど、供述書などの口語体はいまの言葉とそんなに変わっていないようで、意外に読みやすいとも思った。
このあたりの史料は、周教授が明清時代の少林寺や、梅花拳についての論文を書かれた際に活かされている模様。
◎嵩山少林寺公式ウェブサイトより 周偉良『明清时期少林武术的历史流变』
◎人民大学清史研究所の公式ウェブサイトより 周偉良『梅花拳信仰研究 兼論梅花拳的組織源流』
もう一つは中華人民共和国の建国初期の武術に関するさまざまな議論が紹介されているところ。
建国初期の議論に関して、以前に蔡龍雲の「我対武術的看法」についてメモしたことがある。この文章が引き金になって、武術の性質に関する論争が雑誌『新体育』などで展開されたことや、反右派闘争のなかで、武術の普及方針をめぐる意見の相違が政治問題化し、王新午が厳しく批判されたことなど、建国50周年時に出版された『中華人民共和国体育史』で簡単に触れられていたほか、最近では楊祥全『中華人民共和国武術史』でも比較的詳しく取り上げられていたものの、なかなか当時の雑誌資料などを見られる機会はなく、やや物足りなく思っていた。
〇建国50周年の1999年に出版された『中華人民共和国体育史』
〇楊祥全、楊向東『中華人民共和国武術史』
その点、この本の205ページから237ページの建国初期、文革期の史料を集めた部分は、「新体育」などの雑誌記事からの抜粋が多数収録されていて、とても参考になった。
武術における「舞」の要素をどのように理解するかという点に関する、蔡龍雲の主張とその他の論客の反論のほかに特に面白いと思ったのは、(上記のように)王新午の論(「開展武術運動的一些意見」)が共産党批判と曲解されて政治問題化し、糾弾されてゆく過程(注1)、綿拳の改造(バレエの要素を取り入れたことが議論を呼んだ)についての温敬銘の苦言と藍素貞の反論(注2)など。
それぞれ部分的引用で、全文掲載ではなく、かつ漢字の変換ミス(「武術」が「誤叔」「無叔」になっているような考えられないミスも)や、同じテキストが二重にでてきたり(コピペの間違い?)、いまいち参考資料としての信頼性に欠ける部分もあるけれど、ないよりは全然マシだし、檔案資料などは、そもそも自分のような素人外国人が閲覧の機会を与えられたとしても、膨大な資料の中から必要箇所を探すことすら難しいと思うので、とても有難く、かつ刺激的だった。
こういう史料を見るにつけ、武術史についてますます興味が湧いてくる。そして妄想は続く(笑)
(注1)
王新午への個人攻撃は、『武術運動論文選』(1958年)などでも、王の論文は掲載せず、糾弾するような文章だけ掲載する形で露骨に行なわれている。
(注2)
「早在1953年,蓝素贞表演的绵拳就得到了人们的重视。1957年,蓝素贞将自己演练的绵拳整理成书并由人民体育出版社出版。温敬铭在详读了该书后,对蓝素贞这种勇于创造的精神和基础功夫颇为钦佩,但对她创造的方向有不同的看法。他认为“现在整理研究武术是在老树上发新芽”。而蓝素贞的绵拳,六段36个动作,除第二段还像拳术外,其余五段都是把武术的动作芭蕾化了。温敬铭认为这种创造方式是砍掉老树接新枝,已经将武术改头换面,绝对不可能保留武术的特点。
1958年,蓝素贞专门撰写了《从改编绵拳谈对武术技术的看法》一文,在该文中蓝素贞认为:“武术技术是技击、体操和武舞的综合体。三者是不能分割的,但成分的轻重,不是等量配合的。因而才能形成各个拳种内容的不同和概念的区别。”发展到今天,“武术作为军事技术和自卫的作用基本上是消失了。因此,今后在整理武术的技击内容方面……只能以它为手段,以达到强身的目的”,“唯技击论的观点是不符合实际情况的”。 」
楊祥全「根基乍立——新中国武术史之一」
◎藍素貞の『綿拳』