中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

龔茂富『中国民間武術生存現状及伝播方式研究』

2013年4月に北京で購入(出版は2012年2月)。

青城派武術の二つの伝承グループ、すなわち劉綏濱グループと何道君グループを対象に、その技術体系や収入・支出状況、青城山道教とのかかわりを具体的に記しつつ、武術行政における「体制外存在」としての民間武術の「生存状況」(生存現状)に迫ろうとした力作。

オーソドックスな武術館経営によって技の伝承を試みる何道君(この人は2001年、マイク・タイソンに挑戦を表明して注目を集めたらしい。詳細はわからないけれど、この人の得意技は硬気功なので、タイソンに「オレのお腹をなぐってみろ」、とでもいったのだろうか。タイソンが挑戦状を目にしたかどうかは知らない)グループと、大衆メディアをうまく利用し、また近年の「養生ブーム」に乗る形で急速に認知度を高め、世間に知られるようになった劉綏濱グループという対照的な二つのグループの対比の妙を含めて、とても興味深かった。

著者の龔茂富は成都体育学院武術系搏撃教研究室主任。徐州師範大学体育学院を卒業後、上海体育学院で修士号を取得、2006年に成都体育学院にいったん就職したあと、北京体育大学の博士課程に合格して、この本のもとになった論文で博士学位をとっている。さまざまな関係者へのインタビューや参与観察を主体とした、新しいスタイルの武術研究になっていること、青城派武術を研究対象に選んだことなどについては、「体育新聞伝播学」が専門の郝勤教授の指導が大きいことが、この本に寄せた郝教授の序文から窺える。

この本を通じて、いろいろな気づきがあった。
箇条書き風にメモしておくと以下のとおり。

1.体制外存在としての民間武術
作者は、民間武術は、武術運動管理中心などの武術行政機関との関係でいえば「体制外存在」であり、基本的に国からの支援はなく、生きるも死ぬも、流派自身の才覚にかかっている、と明確に指摘している。作者は、2009年9月から10月にかけて、武術運動管理中心で約1カ月インターンを行う過程で、そのことを思い知ったらしい。

为了调查管理部门对民间武术的看法,笔者申请到中国武术运动管理中心进行了为期一个月的实习工作(2009年9月20日-10月20日)。
在此段时间里,笔者访谈了部分高层武术管理精英,也对一般管理人员进行了聊天式的访谈。
在访谈过程中,笔者发现,国家武术管理部门的管理人员清楚地知道民间武术自生自灭的发展状态。
但是,由于整个国家的体育发展中心一直都在奥运项目方面,因此,民间武术的状况在管理部门看来似乎并不重要,或者是无可奈何。在他们看来,民间武术固然是武术的根底所在,但是民间武术仍然只能是散兵游勇式的自生自灭。作为管理部门,仅仅是设立一些传统武术比赛(这些比赛的受重视程度是不能与其他经济武术比赛相提并论的),却没有出台发展民间武术的长远规则。对民间武术的重视还仅仅是停留在部分领导者的口头上,这也构成了民间武术发展中的一个矛盾,即,
民间武术想发展,但是管理部门的缺位使得它只能变得无序,边缘和底层(P.150)。

この点について、北京オリンピック以降、武術行政はオリンピック競技種目化から、民族文化としての武術の保護へ、政策の重点が多少なりとも変化しているのではないかという、従来の自分の見方も「甘かった」と感じた。それは一部の指導者、マスコミ、研究者が主張しているだけのことなのかもしれない。


2.非物質文化認定の実質的意味

民間武術が「非物質文化」として、国なり地方政府に認定されることが、実質的にどのような意味を持つのか、ずっと知りたいと思っていたのだけれど、巻末にある劉綏濱のインタビューにそのことを考えるヒントがあった。

それによると、まず、国家レベルの非物質文化認定においては、国からの補助金30万元が地方の(?)文化館に支給され、そのうち8000元が「代表的伝承者」に落ちるしくみになっているらしい。ということは「代表的伝承者」の生活補助費のようなもので、必ずしも流派の振興とか、武術館の運営経費に充当することが期待されているわけでもなさそうだ。

地方レベルの非物質文化遺産認定に至っては、名目的なもので、たとえば劉の友人の心意六合拳家は、認定されて3年来、一銭の経済的見返りも得ておらず、劉も非物質文化遺産認定には対して期待を寄せていないという。

しかし、彼らはそれでも、国なり省政府から認定・お墨付きを受けることが、信頼度を高め、多少とも自分たちの活動に役に立つことをもって良しとしているのである。


3.民間武術団体の生存戦略
このようなアウェイな環境下、青城派がとっている「生存戦略」には作者がみるところ以下のようなものがある。

(1)青城山(道教の発祥の地の一つ)という地の利を生かした、道教への接近
(2)「養生」ブームへの接近
(3)大衆メディアの積極的活用
(4)地方拳種としての、地方行政への接近

とりわけ(1)については、本来、劉綏濱がさまざまな拳師について学んだ技術の寄せ集めでしかなかったものが、彼が青城山の道師に入門したことで、青城派武術に道教文化の一部としての「装い」を施すという、したたかな戦略により(のちに何道君もこのやり方を模倣する)、90年代まではほとんど知られることもなく、三世代以上昔の具体的な継承関係すら怪しい地方拳種と見なされていた青城派武術が、幅広い社会的認知を得るに至った、という趣旨の、わりと突き放した記述の仕方をしている。
このあたりの事情についての、武術行政側の冷ややかなコメントや、青城山の道教関係者のコメントなども含めて、興味深いものがある。

4.地方政治や大衆への迎合による民間武術文化の変容
観光客や企業誘致の起爆剤となる可能性をもつ地方文化の一部として、地方行政の支持を得ることは、全国的な知名度を持たない後発の民間武術流派にとっては死活問題である一方、観光振興や企業誘致のためのイベントに駆り出されることでなかば「ショー化」していることの弊害が記されている。また、近年、青城派に限らず、武侠小説から飛び出したかのような「掌門人」を名乗る人々が広まり始めた理由は、ネット社会における大衆への迎合とも関係があるらしい。すなわち、ひとびとが武侠小説やカンフー映画から思い描く武術界のイメージにあった姿にあわせて、「掌門人」なる呼称を名乗っている、という側面があるようだ。筆者は、年配の流派関係者から、彼らの時代には「掌門人」なる呼称は使われておらず、あったとしてもその意味するところは全然違ったというコメントを引き出すことによりそのことを明らかにしている。これも生存戦略の一部といえば一部だけれど、とても面白い分析だと思う。

ちなみにこの本は、人民体育出版社の武術文化研究叢書の第三冊目。何冊出ているのかわからないけれど、一作目の戴国斌『武術 身体的文化』もとても読みごたえがあった。