中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

『鏢門 Great Protector』、『捻軍と華北社会』など

チャンネル銀河で10月9日から12月1日まで放送されていた、中国ドラマ『鏢門』。

公式サイトによれば中国では「圧倒的高評価」を得たとのこと。このブログ的には、『逝去的武林』の徐浩峰が脚本で参加しているということもあって、見てみた。

 

www.ch-ginga.jp

 

よく見かける、豪華な衣装の美男美女がこれでもかと出てくる武侠ものや王朝ものとは違って、やや地味な衣装とベテランぽい渋い役者たちが中心で面白かった。

 

www.youtube.com

 

ところどころ、登場人物の会話のなかに、「これは形意拳の剛勁だ」とかいう用語や、「大刀王五」みたいな実在の鏢師の名前がでてくるところが、武術オタクの心をくすぐるような隠し味になっていたような気がする。

 

以下は感想を兼ねた備忘メモ。(ドラマのネタバレ的な内容も含むけれど、公式サイトの各話粗筋に書かれている範囲内なので、気にしないでおく。)

 

第何話か忘れたけど、主人公劉安順の師匠・戴海臣は、自分は人生の中で二つ正しいことをした、と劉安順に語る。その一つは、劉安順を弟子として育てたこと、もう一つはかつて捻軍に参加したこと。ここでは捻軍は清朝の封建支配に対する民衆の抵抗の象徴みたいな意味あいになっている。

抵抗むなしく鎮圧されたかつての捻軍の関係者は今はちりぢりになっていて、戴海臣のように鏢師になっているものもいれば、屋敷の管理人のような仕事(これも鏢師の仕事ともいえる)をしている者(夏啓尊)、匪賊になっている者(路宗山や張端和)もいるが、それぞれに捻軍に参加したことを誇りに思っている。

でも、だとしたら、少なくとも匪賊の一部と、鏢師の一部は「根っこは同じ」でつながってるわけで、匪賊であったり、鏢師であるのは世を忍ぶ仮の姿であって、いつか再結集することもできそうなものだけれど、「鏢匪同道せず」という掟だけが金科玉条のように重くのしかかっているのは、なんだか釈然としなかった。

 

この掟自体は、なんだかんだと外部的な理由によって匪賊の娘でヒロインの路瑤婷が落命することにより、結局うやむやなままになってしまうものの、最後まで鏢師の掟をまもり、その生き方を貫こうとした劉安順としては、どうするつもりだったのだろう。最後の最後まで反対していた師匠の意向に背いて、路瑤婷と一緒になるつもりだったのだろうか。悲劇的な結末を描くことで、この問題を敢えて個々の視聴者の考えにゆだねているところが、心憎い演出といえるのかもしれないけれど・・・

 

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ドラマの中盤で辛亥革命が起きると、警察当局は治安維持の観点から、鏢局の所持する武器を回収しようとする。こまった劉安順は、先輩鏢師でいまは軍閥(段祺瑞)の侍衛に鞍替えしている杜載山に相談する。杜載山は劉安順に、清朝統治下では、なぜ民間団体である鏢局にも武器の携帯が許されていたのかを考えてみろ、という。それは、鏢師たちが清朝の王侯貴族の荷物を運んでおり、彼らの利益を守っているからこそ、彼らが後ろ盾になって、鏢師たちの武器の所持を認めさせていたということで、革命によって王族たちの権威が否定された後は、彼等にかわる後ろ盾を探す必要があるだろう、ということで、はっと気づいた劉安順は、新たに新政権を経済面から支えている商人たちを味方につけて政府に圧力をかけ、武器所持を認めさせる。

このエピソードは、鏢行という仕事を成り立たせる要素を説明していてとても興味深かったのだけれど、かつて鏢局がそのように王侯貴族とのつながることではじめてその活動を保障されていたのだとしたら、反政府運動である捻軍に参加したことを誇りに生きている戴海臣は、どうやって彼等と関係を結ぶことの折り合いを自分の中でつけていたんだろう。

王侯貴族と結びつかなければやっていけないのは北京のような大都会だけの話で、太原のような田舎では、地元の大商人(謝のだんな)の後ろ盾があれば十分にやっていける、ということなのだろうか。そういう設定といわれればそれまでだけれど、なんだかあまり説得的ではない気がする。

 

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 歴史上の捻軍については、たまたまドラマを見るのと並行して読んだ、並木頼寿『捻軍と華北社会』が参考になった。

 この本を読むと、捻軍というのは、太平天国の北上に対して、清朝が、民間の武器所有を禁止する方針を転換して防衛強化を図ろうとするなかで、その一部が反政府の行動をとるようになったものだが、捻軍あるいは捻子と呼ばれた個々の集団のなかで実際にリーダーとなっていった人々の中には「光棍」とか「無頼」と呼ばれた、農村のなかで一定の声望をもつ、遊侠的側面をもった連中がおり、彼らを中心に郷村の防衛強化がはかられてゆくなかで、その一部が朝廷に反対して太平天国と呼応したりするものの、彼らの利益は必ずしも朝廷や地域社会の中核をなす富戸たちと対立するものではなかったことがよくわかった。

清末の地域社会の武装化は、それ自体が民間武術の発展と大いに関係がありそうで、もう少し詳しく勉強してゆかなければならないけれど、そのための大きなヒントが詰まっている気がした。

 

ちなみに、この本には2か所、直接的に武術と関係ある個所がある。

一つ目は「一八五〇年代、河南聯荘会の抗糧暴動」という論文のなかで、太平天国の北伐軍の北上に対する対応についての触れられた個所。

 北伐軍が鞏県の、黄河が合流する地点で、洛河の煤船(石炭運搬船)を手に入れ、ようやく黄河を渡って河北地方の温県に姿を現すと、温県陳家溝の人で拳勇をもって称された陳仲生という人物は、「村農」数十人を率いて北伐軍と戦いを交えたという。これは、団練と呼べるような組織なしに北伐軍と交戦した場合もあったことを示している。P.202

 

並木頼寿はこの陳家溝の事例を、太平天国の北上に対して「団練と呼べるような組織なしに北伐軍と交戦した」事例と分析しているけれど、この陳仲生(甡)は、明末に「郷兵守備」に任じた陳王廷の子孫であることを考えると、太平天国の脅威に対しても、ただ突発的に村民が対応しただけ、という以上の意味合いがあるように感じられる。

陳家溝の太平天国軍との防衛戦については、笠尾恭二『中国武術史大観』にも『盾鼻随聞録』のエピソードをもとに紹介されているけれど、並木頼寿が参照した史料は『豫軍紀略』。

『盾鼻随聞録』については、別の論文(「太平天国」像の形成と変貌」)の中で「広く普及したが偽書とされる」(P.461)と紹介されている。

『盾鼻随聞録』については、国文学研究資料館のものが全編デジタル化されて公開されているほか、『豫軍紀略』も国会図書館所蔵のものがデジタル化されている。近所の図書館の専用端末での閲覧が再開されたら見に行けるのだけど、コロナ騒動が収まるまでは無理だろうなあ・・・。

『盾鼻随聞録』 陳家溝の「拳棒教師陳某」が二人の子と太平天国軍の「黒力虎」を退けたエピソードは60コマ目

 

 もう一か所は、一九九〇年に済南で開催された義和団に関する国際シンポジウムに参加した久保田善丈氏が会期中に見た「梅花拳」の演武の印象を記した部分。

以下、原文の久保田氏の文章からの引用部分は「」つきで引用する。

 先ず、一つのレポートを見てみよう。一九九〇年に山東省済南市で義和団に関する国際シンポジウムが開かれたが、それに参加した久保田善丈氏は、会期中に参観した梅花拳の演武について、次のような印象を披露している。

「広場はおそらく野球のダイヤモンド位の大きさだったと思う。その中央に何人かが登場して「演武」を行うのであるが、これが、死人が出るんじゃないかと思うほどの勢いなのに驚かされる。そして、はじめは順序のようなものがあったのだが、次第に広場の中央は無秩序状態に向い、一度演武を終えたものまででてきて、最後は演技者でいっぱいになってしまった。この間、スタンドもなにもない広場を丸く囲んだ観衆の熱狂は高まる一方で、彼等がどんどん前へ押し寄せるためスペースはどんどん狭くなっていった。土煙と肉体、長槍と大刀、そして太鼓とどらのような楽器のリズムが観衆を熱狂させ、それがまた一層「演武」を勢いづけた。観衆と演技者の間には多くの警官がいた。彼等は押し寄せる観衆を止めようと必死だったが全くの骨折りに終っていた。ついに演技者の槍を奪いとって観衆を押し返す始末となり、官憲の意外の無力を見せつける一幕となった…。もうひとつ印象深かったのはあの警官たちと観衆のやりとりである。そこには、一律に統制したいという強烈な志向が存在するということと、統制されているということのギャップの大きさ、それを埋め合わせることのいかに労力を要するかということが象徴されていたように思われる。」

 中国に短期間でも滞在したことのある人なら、ここに描写されているような光景に想像力を働かせることはさほど困難でないに違いない。一面ではゆったりとした日常生活のくり返しがあるいっぽう、他面では日々の生活を再生産するだけのために如何に膨大なエネルギーが使われているか、筆者は演武の場面は見たことがないが、自由市場の雑踏をはじめとしていくつかの光景を思い返すことができる。廟会の雑踏と興奮なども最近よく知られるところである。PP.404-405

なお、この演武を佐藤公彦氏も目撃しており、同様に「どうも私たちの中国認識というのは、スノーやスメドレーから入ったこともあるのだろうが、中国人が生きているという現実感が乏しく、良くも悪しきも含む<人間>=中国人をとらまえきれていないようである。表面的には静かでゆったりと時間の流れる華北農村、しかしその黄土の中から、かの鼓のリズムと鳴り物つきで噴出してくる膨大な数の人間とその迫力、制御不能なエネルギー、こうした側面をどうもつかまえきれてなかったようだと思わされた次第である」という印象記しているとのこと(P.419の注(9))。学術研究ではなく、単純に武術への関心から中国を学び始めた自分のような人間としては、こういった混沌とした部分のほうが自分の知っている中国に近いと感じてしまうところがある。