中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

暴虎馮河の勇 など

加来耕三『大警視 川路利良―幕末・明治を駆け抜けた巨人』(注)をたまたま地元の図書館で見つけて読んでみた。この本の中で、川路良利の受けた伝統的な薩摩の教育のなかで、「いろは歌」「歴代歌」「虎狩物語」など、藩が選定した歌や物語を暗唱した、と書いてあった。

このうちの「虎狩物語」は「豊臣秀吉朝鮮出兵の際、島津義弘が虎狩りをして虎二匹を捕え、塩漬にして秀吉へ贈ったおりの物語。薩摩兵児(武士)の「暴虎馮河」---虎と素手で格闘し、大河を徒歩で渡るような、死を恐れぬ“ボッケモン(快男児)精神”を養うべく物語られた。」(P.37)とのこと。

ふつう「暴虎馮河の勇」といえば、血気にはやった、思慮の浅い無謀な行いのたとえで、批判されることはあっても、奨励されることはないと思うけれど、薩摩では敢えてこれが奨励されていたということなんだろうか。

ところは違うけれど、肥前の武士道(葉隠)では、行動を起こす前に「図に當らぬは犬死」などとあれこれ損得を計算することが嫌われていたけれど、基本的な考えは似ているような気もする。

 

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仮に「暴虎馮河の勇」が奨励されていたのだとして、その思想が大警視川路利良を通じて、日本の警察官の心構えの中にとりいれられ、さらにそれが、警務学堂に赴任した日本人教官を通じて、清末の中国に逆輸入されて、儒教的な価値観を覆し・・・

などと妄想のうえに妄想を重ねると、現代の中国武術史の教科書の中で、武術の原点は原始時代に人間が素手で猛獣と格闘したことだ、と書かれていることの原点は、実は近代にいたって、儒教的な士道の国に、武士道の教えが逆輸入されて以降のことだ、なんていえないかなあ・・・。

 

習雲太『中国武術史』より

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もっとも、水滸伝の武松はフィクションであるにしても、正史の中にも野獣と格闘した武人のエピソードはある(たとえば、史記漢書に伝のある李広など)ので、清末を待つまでもなく、中国にも、猛獣をも畏れぬ猛者の伝統はあったのだろう。ちなみに、明のころには、いまの安徽省あたりにも虎がいたらしく、虎退治のために武芸の使い手が集められることがあったらしい。ただしこの場合の武芸は弓矢など。(劉良政『明清徽州武芸研究』P.165-169)

 

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猛虎になりきるというよりは、馬を驚かすためだったと思われるtiger soldierは除く。

zigzagmax.hatenablog.com

 

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などなど、猛暑で脳みそがとけてしまいそうなこともあり、くだらない妄想をしていたら、素手で虎と戦うのと、おのれ自身が虎のようになるのは似ているような気がしてきて、「お前は虎になれ」のタイガーマスクも薩摩あたりが原点なのかな、と思って梶原一騎について調べてみたら梶原家のルーツは熊本のようだった。ということは、同じ虎でも、加藤清正の虎退治が原点か。

ちなみに、横田順彌『明治不可思議堂』によれば日本人のプロレスラー第一号のマツダ・ソラキチは元力士の松田幸次郎寅吉(虎吉)で、やっぱり虎だった。( これは単に、干支が寅だったせいか?)

 

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一時話題になったトム・クルーズの『ラスト・サムライ』の冒頭には、たしかサムライが虎を退治(格闘ではなかったはず)するシーンがあって、この映画を見た当時、丸山応挙が猫をもとに想像して虎を書いたというエピソードを知ったばかりだったので、日本には虎はいないはずなのに変なの、と思ったことを良く覚えているけれど、あそこにも薩摩の虎退治のイメージが入っている。

  

これらは単に「猛虎の如く」というだけで、虎と立ち向かえと教えているわけではないと思うけれど、国会図書館のデジタルコレクションの中にある明治の本を見ると、「一般の人には無謀に見えることでも、十分に訓練を積んで臨めば無謀ではないのだ」、というように、あたかも暴虎馮河の勇・冒険主義を、部分的にせよ奨励・肯定しているようなものも少なくないように思った。そういう時代は確かにあったんだろう。

そういう意味では、叔父の比多𠮷をはじめ、書斎ではなく、中国大陸の現場で活躍する人材を多数輩出した中島撫山の家系に育った中島敦の『山月記』の李徴が変身するのはやはり虎でなくてはならず、彼自身の悩みを反映してもいるのだろう。

 

 

前掲の横田順彌の『明治不可思議堂』には、明治の冒険家の中村春吉が、虎ではないけれど、インドで「黒豹と死闘を演じ、ついには豹を倒して、その生肉を齧りながら旅を続け」た(P.60)と紹介している。そんな冒険家がいた時代でもある。もっとも、彼の冒険談は冒険小説作家の押川春浪が書いたものらしく、どこまで真実なのかはよくわからない。

このあたりは、『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(これも虎がキーになっている)のメッセージと同じで、どっちの話が心に響くか、ということでよいのかもしれない。

   

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仮に、明治に中国に渡ったのが「暴虎馮河の勇」の虎だとしたら、改革開放時代にはやった「一休さん」の屏風の虎の頓智話は、中国の人たちにどんな印象を与えたんだろう。

 

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「虎の能く狗を服する所以の者は、爪牙なり」(韓非子)とはいうものの、「暴虎」というのはもともと、上に見てきたように「素手で虎を打つこと」(=無謀なことの喩え)だから、「暴虎の牙」、というのは日本語としてはおかしい、と感じるのは、もう少数派なんだろうか。(未読なので、まったく勘違いしたことを書いているかもしれない。)

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「快傑ハリマオ」はマレーの虎らしいけれど、いまのところ特にうまく話しが繋がらないけれど、ウィキによると、「快傑」は怪傑からの造語で、後に『快傑ライオン丸』『快傑ズバット』などにも用いられた。ここは虎じゃなくて、ライオンになったんだな。

ああ、ばかばかしくて楽しい頭の体操。 

そういえば、ロッキーは、「アイ・オブ・ザ・タイガー」だったな。

 

ja.wikipedia.org

(注)

のち、大幅加筆のうえ、「日本警察の父 川路大警視―幕末・明治を駆け抜けた巨人 」として文庫化。こちらは未読だけれど、アマゾンのレビューを見る限りは、単行本と同じく、幕末維新史のなかにちょっとだけ川路の要素がでてくるような感じなのか。