四川省伝統弓連合会成立
2017年7月15日、四川省武術協会が伝統弓連合会を成立した開催されたというニュースが流れてきた。
伝統弓術といえば、2016年12月出版の、馬廉禎主編『武学』の第2集は伝統弓術の特集だった(未入手)。
同じく馬廉禎の主催する「建公書院」では、家伝の通備武術だけでなく、伝統弓術の練習も行われているらしい。いま、伝統弓術が注目を集めているのかな?
話を四川に戻すと、四川では1920年代に伝統弓術の団体である「射徳会」というのが成立している。この「射徳会」や「四川武士会」を支援した四川省唯一の「状元」、駱成驤は清末に日本に留学していることは以前にメモしたけれど、同会は1937年には30か所以上の分会があったようで、今回、成都で伝統弓術の連合会が成立というのは、そうした歴史的経緯とも関係があるように思われる。
成都晩報 2008年5月6日「“射德会”和弓箭业的衰亡」
同5月5日「“射德会”雕弓较射的雅趣」
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中国伝統射弓術については、林伯原先生の『中国武術史』に時代ごとの詳しい説明があるほか、濱口富士夫『射経』の、李呈芬『射経』の訳文と解説も参考になる。
『射経』を読むと、弓の持ち方に「鷹爪」とか「虎爪」といった言い方があること、弓の構え方に「大架」、「小架」、李呈芬『射経』には出てこないけれど、両者の中間にあたる「中平架」(後述)といった姿勢があることがわかって興味深い。こういった弓術の用語と、徒手の武術の似た用語の関連性を調べてみても面白いかもしれない。
〇濱口富士夫 『射経』
〇弓の小架、大架、中平架
また、李呈芬の『射経』には「中平架」はでてこないものの、訳者は、李呈芬がいう「最善の謝勢」を、『武経要略』などに見られる「中平架(子)である」と考察している。
「この中平架は、『射史』では、「中平射勢」と、『武家彀』では、優れて実戦向きであるところから、「武射」とも称されている。いわば大架と小架との中間に位置する射勢で、それぞれの長所を採っており、近くで見物する者からは優雅に見える一方、極めて態勢が安定し力強く雄渾で守備にも攻勢にも適していて、武射とされる道理がある。『武備要略』にはこの中平架を、「文にして且つ雄なり。戦陣に利あり」と評している。」(P.116)
なお、最善の射勢の文は以下のとおり
身法の善は、腰を蹲(す)え坐胯することの、最も便宜となすにしくは莫(な)し。腰蹲(す)えれば、則ち身動かず、坐胯せば、而(すなわ)ち臀(しり)顕(あらわ)れず。肩、肘、腰、腿、力は一処に萃(あつ)まりて、起ち易く伏せ易し。敵に遇うの際、前手弓を挽き、一身を衛るべく、控拽し撒放するに、身倶に動かず。射に在る者には法あり、旁に視る者は美観なりとす。PP.114-115
〇曽鵬程 南京図書館のコレクションより
「射艺研究:拉硬弓。普通用的步弓,没有腕力的人很不容易拉开,所以在练习射箭的时候,要同时拉硬弓以增加腕力。表演者为曾鹏程。」
http://www2.jslib.org.cn/was5/web/detail?record=348&channelid=6851&back=-1
〇第七届全国運動会 上海図書館のコレクションより
「第七届全国运动会,女子射箭比远第一名吴宝琴(左)第二
第七届全运会女子射箭比赛冠亚军 | 上海图书馆历史图片搜集与整理系统
馬明達「応該重新審視「国術」」(『説剣叢稿』所収)によると、射箭を含む国術の内容が全国運動会の正式競技種目になったのは1935年(民国二十四年)、上海で開催された第六届からで、行われた競技は拳術、器械、摔跤、射箭、弾丸、踢毽。
ベルリンオリンピックの国術表演のメンバーの一人・寇運興は清末の武挙の武探花・馬仁甫を家庭教師に招いて娘と息子に弓術を練習指導させて、1935年の第六届全国運動会の射箭競技の準備をしたことは以前にメモした。
〇『東方雑誌号外第6届全国運動会画刊』(1935)より 国術三冠軍
左から、
男子弾丸射撃第一名 河南魏文卿
男子測力第一名 南京馬文奎
女子弾丸射撃第一名 河南劉玉華
〇以下は、以前にもメモした1933年の第五届大会の射箭表演の写真。(『全国運動会1933年専刊』より。)
〇山東国術考試(1934)における96歳の道士・寧教寛の射箭表演。
(王広西『中国功夫』より)
〇一九三五年十月十日上海江灣體育場的國術射箭表演。
出典:鴻勝蔡李佛香港冠雄國術會 Lee Koon Hung Choy Lay Fut Kung Fu Association (Hong Kong)
〇中華人民共和国の射箭競技 佟忠義の娘の佟佩雲
出典:Interview with the last Manchu archer | Fe Doro - Manchu archery