中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

佟忠義、佟佩雲など

前にちらっとメモしたけれど、2、30年代の上海の映画界で活躍した査瑞龍は、精武会の出身だというけれど、佟忠義のお弟子さんでもあったらしい、ということで改めて佟忠義について調べてみた。

 

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王子平と並んで「滄州二傑」と評される佟忠義、満州の皇族「正白旗」の家系らしい。家伝(といっていいのか?)の六合拳、摔跤を学び、成人すると二番目の兄に随って瀋陽で保鏢業に任じた。その後、京城巡捕営、禁衛軍などで武術を教え、辛亥革命後は曹錕侍従衛隊武術教頭、察哈尓騎兵団正骨科大夫などを経て、20年代半ばから上海に定住、忠義拳術社、中国摔角社を設立している。1928年、第一回国術考試では摔角優等奨を得、第二回国術考試では大会裁判(審判)を務めた。著書に『中国摔角法』などがある。(いくつかの書籍、ネット上の断片的な情報をつなぎあわせだだけで、裏はとれていない。以下も同じ。)

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1948年に、『Life』誌のためにアメリカ人Jack Birnsが撮影した一連の写真で一緒に写っている男性は弟子の劉飛、女性は、娘さんの佟佩雲らしい。佟佩雲は、1948年の第七届全国女子摔跤比賽冠軍、武術表演の優秀賞、1957年の北京全国射箭錦標賽でも全国記録を樹立して金質賞を授賞しているけれど、その後シンガポールに移住している。(李元智と結婚したのはお姉さん?名前は未確認。)

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男性(劉飛)との写真は摔跤のものが多数

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「Manchu Archery」という英語のサイトに佟佩雲のインタビューがあり、シンガポールに移住した理由を尋ねられているのだけれど、当時の中国の状況で、満族としては立場が悪く、いち早く動労改造の対象にさせられたので、機会を見つけて出国した。その後は、家族の名誉は回復された、というようなことを語っている。

 

〇「Manchu Archery」の佩雲インタビュー

Interview with the last Manchu archer | Fe Doro - Manchu archery

 

沈福康(著書に『中国摔跤術』(2006年 人民体育出版社 未見)あり)の書いた文章を読んで、そのあたりのエピソードが紹介されていた。

生前の佟忠義(63年5月に逝去)にも摔跤の手ほどきを受けたことのある沈福康、1966年11月のある日、佟佩雲に誘われて、「造反派」(文革派)に墓地が荒らされているという噂を確かめにいったらしい。佟忠義のお墓を含む墓地は噂どおり見るも無残な状況で、佟忠義のお墓もあばかれて遺体が棺から出されていたのを、彼らは遺体を改めて白い布で包み、埋葬しなおしたのだという。
そのときに目にした佟忠義の身体は生前の練功のせいか、腐乱しておらず、弾力があったという、『聊斎志異』顔負けの奇怪な記述はさておき、こうした文革派の仕打ちに心をいためた佟佩雲、それ以来、二度と自分たちに武功を教えなく、さらに甥(姉の子供)にも武術をやらせなくなり、やがてシンガポールに移住したと沈福康は記す。何とも凄惨な話で胸が痛む。

 

沈福康の回想録から、佟忠義の死と、造反派に荒らされたお墓を佟佩雲と訪ねる場面

1963年5月,佟老寿终正寝,享年八十四岁。大殓之日,龙华殡仪馆摆满了各地武术界送来的花篮花圈,大厅正中高悬佟老不愧为一代武术大师,他的尚武精神和武德永垂不朽,深受武术界的敬仰!
佟老死后,他的徒弟们便少有人来大院练功了,空旷的大院只有佟佩云时常指点我和罗氏兄弟练功。1966年11月的一天,佟佩云在大院里指导我和罗德林、罗 德贵练功,佟老的大女儿(罗德林和罗德贵的妈妈)告诉我们,佟老位于上海龙华的墓地被造反派推倒,需要前去查看。隔日下午四点钟左右,我们一行六人包括佟 佩云、佟嘉乐、罗得林、罗得贵和我一起来到龙华墓地时,被眼前的景象惊呆了,昔日森严肃穆的墓园变成了一个凌乱恐怖、遍地尸骨、到处被破坏的痕迹,惨不忍 睹。阴森可怕,加上阴冷的细雨,更可恨的是还要小心造反派。原先的标志都没有了,我们只能翻看墓碑,找了很久没有找到。已近黄昏,终于老天有眼,在黑暗、 凌乱恐怖的地方有幸找到了佟老的墓地,棺木和遗体被反扣在已被破坏的乱坟堆中,我们重新入殓,解开包裹在佟老体外的白色纱带后,惊奇地发现佟老的遗体不但 没有腐烂而且还有弹性。是否佟老生前深厚强大的内功造成此现象?我们重新扒开黄土埋掉棺木和墓碑后才离去,此事一直深深地留在我的记忆中。这件事情的发 生,深深伤害了这个武林世家的信念,佟佩云从此不再教我们练功,也不准他的两个外甥学武。随着后来佟佩云的远走新加坡,再也难见佟家后代在武林中的身影。

 

沈福康の回想録

www.ok-v.com

 

佟佩雲のシンガポール移住の具体的な時期がよくわからないけれど、「中国武術財線」というサイトの記事『老拳师著书《六合拳》——申明人』に紹介されている滄州の六合拳家・李志雲の談話によると、80年代はじめの発掘整理の際、河北省の武術協会は六合拳を整理するにあたって、上海の佟佩雲にも協力を求めたようだけれど、佟佩雲からは「もう覚えていない」という趣旨の手紙が送られてきたのだという。果たして本当に忘れてしまったのか、あるいは協力を断るために忘れたことにしてしまったのか、そのあたりは想像するしかないけれど、このエピソードからすると、80年代のはじめにはまだ上海にいたのだろうか。

ちなみに、佟佩雲は台湾の雑誌『力与美』に、佟忠義の伝えた易筋経を紹介している。個人のブログからその記事。)

 

〇六合門 李志雲の動画

v.youku.com

v.youku.com

〇李志雲の息子・李俊徳の青萍剣

www.youtube.com

 

〇李俊徳の六合拳

http://www.ikoo8.com/video_play/XNzI2MTQ2Nzk2.html 

 

〇馬洪林の六合拳一路

v.youku.com

 

〇たまたま流れてきた CCTVの『国家檔案』の、滄州と保鏢業、とりわけ(李志雲に繋がる)六合門の李鳳崗について特集した回

 

www.youtube.com

 

かすかな情報では、上海の天馬電影制片厰が1950年に『武術之家』というドキュメンタリーを作成していて、 佟忠義とその一家の武術を紹介しているという(情報源はここ)。(天馬電影制片厰といえば、1962年の劇映画『大李小李和老李』にも、王子平が太極拳を演じる場面が出てくる。)もし本当にそんな映像が残っているならぜひとも見てみたい。

 

映画『大李小李和老李』(1962)から、王子平の太極拳

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 〇劉玉萍『武術基本功与基本動作』
 著者の紹介に、「刘玉萍自幼随曾外祖父佟义习六合拳」とある。

 

武术基本功与基本动作/刘玉萍_图书_大拳师太极商城 - Powered by ECShop

 

〇劉玉萍・楊伯龍「六合拳」

初出は『武術健身』1982年第6期の記事に掲載された記事らしい。「・・・这里介绍的前四趟,是著名六合拳家佟忠义先生传授的,在整理中得到其次子佟嘉禄的帮助指正。」とでている。

www.wfeng.net

〇上と同じものが個人のブログに転載されたものと思われる。ィラストがない代わりに、収式まで40動作のテキストが確認できる。

blog.sina.com.cn

 

〇滄州大六合門のウェブサイト

www.daliuhemen.com

 

2017.7.12

劉玉萍『武術基本功与基本動作』

〇劉玉萍・楊伯龍「六合拳」の情報を追加。

 

2017.10.21

〇馬洪林の六合拳一路

〇滄州大六合門のウェブサイト の情報を追加