過去メモのフォローアップ数件
いくつかフォローアップ系の小ネタ。
1.竇奉三・馬歩周『国術概論』
馬礼堂(馬歩周)が「志然」名義で書いたような過激な議論が展開されているのかと思って読んでみたら、中身は至極まっとうに国術の価値や功能を論じたものだった。
若干、意表を突かれた気がしたのは、冒頭、国術の必要性を論じた部分。
筆頭に挙げられていたのは、国防でも、自衛でもなく、健身でもなく、「幸福」のため。
そうか、国術っていうのは幸福のためにあるんだな、と思ってなんだか深く心に刻まれた。
別の箇所で、国術と性欲の関係が論じられているのは(第六章)、嘉納治五郎の「精力善用」の影響?
〇関連の過去記事
2.孔子学院
2016年に全世界78か国240か所の孔子学院で中医と太極拳等のコースを設けたという記事。
〇関連の過去記事
孔子学院を通じた武術の普及は、段位制やオリンピック競技種目化とも絡んで引き続き注意しておきたい
3.中国近代武士道理念の検討
たまたま見つけた台湾大学の蔡振豊教授の論文。
この論文では梁啓超が試みた、日本の武士道的な理念による国民教育が実現できず、最終的には体育救国論のような形になってしまった理由として、中国においては日本のように文武両道の武士階級が育っておらず、日本の武士道論のように、その行動規範について語られる伝統がなかったことや、現世快楽主義の楊朱思想の影響を挙げている。最後、結論部分からの引用。
對照上述所言產生日本武士道的文化資源,則可知中國多不具備類似
的文化條件。中國不但沒有文武兼備的武士階級,也缺乏由武人相互自律
所形成的規範傳統,更何況又有戀生享樂的楊朱思想為其底層文化。無怪
乎梁啟超橫移日本的武士道,在中國最後僅形成「體育強種」及「恢復尚
武天性以競爭於列強」之論說而已,不能真正達成改造國民性格的目的。
ちなみにこの論文とは全然関係ないけれど、四川省で唯一の状元で、清末に日本に留学した駱成驤は、1920年代に四川省で「四川武士会」(注)や伝統弓術の団体である「射徳会」を支援していたらしい。
彼が四川武士会を支援した経緯としては、ドイツから帰国した息子が、ドイツでは「東洋柔術」を専門的に研究習得していると聞いてのことらしいけれど、柔術という言い方といい、武士会という命名といい、彼自身の日本への留学の影響も感じられる部分もあるので(ただの印象)、今後、この辺も頭の片隅において機会があれば調べてみたい。
〇百度の「駱成驤」の記事から
1920年,骆成骧之子骆凤麟从德国留学回来,谈到德国有人专门研习东方柔术。骆成骧深受启发,他想到世界列强纷纷入侵,恣意瓜分中国,要保家卫国,“监阵肉搏之术,不得不讲”,于是有意倡导武术。适逢成都有一个武士会,每年比赛拳足,但时有事端。为振兴武士会,骆成骧被该会推举为会长,他还将自己为别人作碑文的上千元酬金全部捐赠武士会。之后,他亲自出面募集资金,建国术馆于成都少城公园(今人民公园)。四川各地的武士闻风而动,学习柔术,比赛拳足,盛极一时。骆成骧也勤习柔术,还喜欢射箭,并讲授射箭法。他常说:“射以观德,不仅止于御敌强身也。”为此,他创立了“射德会”。
〇関連の過去記事
(注)龔茂冨『中国民間武術与社会変遷 基於四川地区民間武術的研究』によると、
駱成驤が設立にかかわり、自ら会長に任じたのは、「四川武士会」ではなく「四川武士総会」で、1925年のことのよう(PP.183-184)。あらためて、百度の記載をみると、そのように修正されている。四川武士総会は、中央国術館の成立後、それに呼応するかのように「四川省国術分会」、「四川省国術館」と名前を変える。
2021年7月24日加筆
4.国際武術連合会による国際功夫聨合会の封殺
昨年この件について報道した安徽太極拳網が、今年になって、国際功夫連合会に不利な報道をしてその名誉を傷つけたのは申し訳なかった、という公開詫び状を掲載した。
でも、国際武術連合会の決定は中国武術協会も支持しているわけだから、安徽太極拳網は中国武術協会の決定に従わないことにした(公然と反旗を翻した)ことにならないのかな??中国武術協会の次の出方は如何に。
〇武術運動管理中心の前主任・高小軍も、最近、国際功夫連合会の傅彪らと会談を行っている模様。現役の主任でなければお咎めはないのかな?
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5.武術進学園
学校体育への武術導入、学童への武術普及について、面白いと思った記事