中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

競技と伝統 競技ルール改訂のための検討会(2020.12.10-12.12)

2020年12月10日から12日まで、武術運動管理中心は全国から11名の優秀審判員(具体的な名前は記事には出ていない)を招いて、套路競技のルール修正・改善のための検討会を開催した。

www.wushu.com.cn

 

3日間の討論を経て専門家たちは、

「動作の完成」と「功力のレベル」を一級指標

「伝統武術の拳式、械式、勁力、技法、意気」を二級指標

踢打摔拿刺劈などの方法がきちんとできているか、演武中のスピード・パワーの運用、意念と気息の運用を三級指標

として、総合的に競技レベルを判定することを提案している。

これにより、競技の技術特性を総合的に発揮させ、伝統と競技の垣根を取り払い、

套路を本来の姿に戻す(「打通武术“传统”与“竞技”的隔墙,使武术套路回归本质」)、という。

そして、それにより、競技ルールを整ったものにして、競技武術の科学化と国際化、ひいては武術のオリンピック競技種目化を推進し、体育強国と中華民族の偉大なる復興に武術界として貢献するのだ、という。

 出典:国家体育总局武术运动管理中心 中国武术协会官方网站

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伝統と競技の垣根を取り払い、套路を本来の姿に戻す・・・って、いとも簡単に言っているように見えるけれど、オリンピックを念頭に置いた場合、それが簡単にできないからいままでさんざん苦労してきたんじゃないのかなあ・・・(注1)。
特に、90年代に難度や創新を評価するルール改定をした当時から、そんなことをしたら武術が武術じゃなくなっちゃうんじゃないか、と言う声はあったけれど、当事者たちは、そんなことは百も承知のうえで、それでもオリンピックの競技種目化のためにはそうせざるを得なし、そもそも「競技スポーツ化するとはそういうこと」と、と判断して敢えてその道を選んだんじゃなかったのか。その覚悟があったからこそ、温力は著書の中で「後戻りのできない道(不帰的路)」、「ある日、ストリートダンスの要素が武術の套路の中にでてきたとしても、驚くにあたらない」(注2)とまで書いていたのではなかったのか。

また、これも温力『武術概論』に詳しくかかれているけれど、当時、「難度」が重視されるようになってきた背景として、「風格」とか「精気神」というのは結局のところ主観的なもので数値化できない、というような議論があった。それに対して、今度でてきているのが「功力」(一級指標)とか、「勁力」とか「意気」(二級指標)とか、「意念と気息の運用」(三級指標)であるのはどういうことなのかな。実際に機器で計測したり、人に技をかけるわけでもなく、型を演じるだけで、A選手とB選手の「功力」の差を客観的に数値として示せるものなんだろうか。

 

あるいは、当時の議論との連続性は特になくて、たとえ表演の競技であっても武術である以上、やっぱりこういったポイントが大切だよね、ということが述べられただけなのだろうか。写真で見る限り、集まった優秀審判は若い人たちが多いようだけれど、過去の議論に関係なく思うところを述べ、昔の決定などなかったことになってしまうのは、よくも悪くも「中国あるある」なので(その逆(=忘れられていた規則などがいきなり持ち出される)もまた然り。ものごとの決断が速いというのはそういうことでもあるのだろう)、十分あり得ることだとは思う。

 

もっと想像をたくましくすると、ブレイクダンスがパリ五輪の競技種目になると発表された直後だけれど、ブレイクダンスの採点基準から、武術をそこまで壊さなくても五輪の種目にできるヒントを何か見つけたのかなあ。この検討会の記事は、中国オリンピック委員会の公式サイトにも体育報の記事が転載されているけれど、今後、この方向で検討してゆくことで、なにか勝算があるのだろうか。

www.olympic.cn

 

まあ、今回の報道は、単に検討会で専門家がいいたいことを言ったっていうだけで、これらの意見がすべて採用されるとも限らないけれど、競技出身者としては、これ以上、武術競技が壊れてしまわないことを祈りつつ、とりあえず備忘録としてメモしておく。

 

なんどか温力『武術概論』にもとづいてメモしたけれど、あの本を読んだ当時、競技武術についての「幻想」が取り払われたことを思い出す。同時に強烈な違和感を感じたのも事実で、個人的に知る中国人研究者の方から「著者の見識を疑う」とのコメントをいただいたことも思い出す。総じて、当時の議論は当時の議論として、伝統と競技のよりよい共存の仕方が見つけ出されるのであれば、それに越したことはない。

 

(注1)

「我们还要看到,技击特点表现得好坏,在套路比赛中难于量化,武术强调的精气神也同样如此,在比赛中过分强调这些内容,虽然可以从整体上凸显武术中的中国传统文化特点,但却因难于量化而不利于比赛的公平进行。」(温力『武術概論』P.486)

 (注2)

「对于竞技武术来说、既要保留技击特点,民族特点,又要符合竞技体育的特点,这是一个两难的问题,既是两难,就必然要舍弃一些东西;既然走上了竞技体育的路,就要跟多地服从竞技体育的要求。所以我们甚至可以说武术一走上竞技体育的道路,也走上了按竞技体育要求发展的“不归路“…」(同上『武術概論』P.484)

 

「极而言之,即使以后有一天有运动员在无数套路当中借鉴了“街舞”某些技巧性的动作,也不必大惊小怪」(同上P.494)