中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

河南大学洪浩教授のイタリア訪問

河南大学公共体育部主任の洪浩教授が段位性普及のために、イタリアに指導にゆきました、という開封網の記事。

よく見かける、海外でも段位制が注目されていることをアピールする宣伝記事として読み飛ばしてもよかったのだけれど、講師の洪浩は昨年、武術研究院がたちあげた青年学者工作委員会のメンバーの一人で、しかも持ち回りとはいえ、初年度の主任を担当しているのは、将来が期待されている人物なのかもしれない。ということで、ちょっとメモ。

彼自身、上海体育学院で博士をとった秀才であるだけなく、祖父は「民国時代の農民自衛組織の首領」とあるのも面白いと思う。

1920年代に山東、河南で組織された郷村自衛運動である紅槍会については、最近読んだ福本勝清『中国革命を駆け抜けたアウトローたち 土匪と流氓の世界』にくわしく紹介されていた。それによると、地元の有力者が、流れ者の術士ー符を呑み、「刀槍不入」の身体を作り上げるという義和団以来の呪法を有していたーを利用して組織した自衛組織で、宗教的外皮をかぶった団練と捉える研究者もいるらしい。術士の多くは、単に流れものというだけでなく、その多くが山東から流きているのは、宗教的教義とは関係なく、「わずかな武器で、外国軍を悩ませたという義和団のカリスマ」(P.134)が注目されたのだろうと作者は述べている。

一般に、武術史の教科書の民国時代の部分は、馬良の中華新武術と精武体育会、国術館運動が三大テーマとしてとりあげられているけれど、紅槍会や硬肚会、大刀会といった農村自衛運動について紹介されているものはほとんどない気がする。武術が民族スポーツとして確立された現代の視点からその発展を振り返るという意味では、義和団運動のあと、精武体育会が出てきて、武術の体育としての発展に道を開き、国術館運動を経て現代の競技武術・武術運動に到るというストーリーはシンプルでわかりやすいと思う一方で、引き続き農村の自衛運動や革命、内戦に加わった武術家たちがいたことも、(たとえそれが旧態依然とした「刀槍不入」的迷信に満ちたものであったとしても)きちんと取り上げるべきではないかと思う。そういった視点が得られたことも含めて、『中国革命を駆け抜けたアウトローたち』はとても面白かったので、いずれ別途メモをつくっておきたい。

 

ちょっと話がそれたけれど、青年学者の中では、郭玉成のほか、通備拳の張克検の弟子で、馬振邦の伝記にも序文を寄せていた馬文国などについて、ようやく人となりがわかってきたところだけれど、洪浩という名前も覚えておこう。

 

洪浩:武术段位制谱华章
2015-02-25 17:01 作者:杨柳村 来源:开封网

春节前夕的一天下午,闻悉河南大学公共体育部主任、教授、博士生导师洪浩刚刚从意大利进行武术段位制推广教学归来,记者便登门采访了他。坐在办公桌前的洪浩,中上个头,身材结实,浓眉大眼,目光如炬,谈笑自如。他从自小与武术结缘,稍长便把武术作为自己人生追求的目标和理想;他勤于耕耘,学养深厚,近年来,又在武术段位制推广的道路上孜孜以求,不停探索不辍耕耘,书写了精彩的篇章。

自幼与武术结缘

今年44岁的洪浩教授出生于三门峡灵宝市,祖上是武术之乡登封。爷爷武艺高强,曾当过民国初期当地农民自卫组织首领,后父亲因避战乱迁至灵宝。他长到四五岁时,未曾练过武术的父亲为了延续家族爱好武术的传统,专门请武师教授洪浩的大哥和三哥练武。当时四五岁的洪浩就跟他们身后像模像样地比划。他哥哥的师傅看到小洪浩的表演,就欣喜收他为徒,从此他便与武术结缘。“小时候练武吃了很多苦,练习蹲马步时,哥哥在我两条大腿上、头顶上放了三个盛满水的碗,要求碗里的水不能洒,蹲一次马步20分钟下来,站都站不住。”回忆起小时候练武的情景,洪浩仍历历在目。

1982年,随着电影《少林寺》的热播,全国掀起了一股武术热。这对洪浩来说是一个极大地鼓舞。他从此对武术更加热爱,放学之余,习武更加自觉和刻苦,武艺也大有长进。高中时,他就把武术确作为自己人生努力和奋斗的方向。1991年,他以优异的成绩被河南大学体育系体育教育专业录取。而大学毕业参加工作后,洪浩也没有放弃对武术理想的追求,在3年后再次考入河南大学体育学院攻读硕士学位。硕士毕业又考入上海体育学院攻读博士学位。博士学成回到河南大学执教,成为我省第一位民族传统体育学专业博士。

武林园地勤耕耘

博士毕业回到河南大学后的洪浩,凭借着对武术事业的一腔热爱和扎实的理论功底,在高校这一天高任鸟飞的舞台尽情驰骋。

目前他担任公共体育部主任,带了14名硕士研究生和1名博士研究生。寓教于乐,加强与学生的互动交流,使学生在欢愉的气氛中既学到了知识,又掌握了技能。受过洪教授指导的学生都能感受到他的教学魅力,经他指导的多篇研究生论文在国际性的学术会议中获奖。

在繁忙的教学和行政工作之余,洪浩在学术研究上勤奋笔耕。博士毕业以来,主持国家社科基金课题1项,省部级课题6项,出版著作5部,发表学术论文80余篇。其中,牵头编写了中国武术段位制理论教程——《武术概论》,且承担了技术教程《和式太极拳》、《孙式太极拳》的技术创编和执笔任务。除此之外,他还担任了国家体育总局武术研究院重大研究课题《关于学校武术教育改革和发展的研究》和国家体育总局体育社会科学研究项目《<中国武术段位制系列教程>的学校教学指导方案研究》课题组秘书,参与起草了《国家青少年武术教育指导纲要》和《中国武术发展五年规划》;参与了《中国武术段位制文件》、《武术功力竞赛规则》和《中国武术段位制考试规则》的修订工作。

辛勤耕耘结硕果。目前,洪浩在我国竞技武术研究、武术功力竞赛研究、武术段位制研究、武术现代化研究领域在全国处于领先地位。全国一些大型武术活动、比赛都少不了邀请他参加。各类头衔、荣誉也纷至沓来:他目前还是国家体育总局武术研究院青年学者工作委员会主任委员、中国体育科学学会武术分会副秘书长、河南省学术技术带头人、河南省学生体育总会武术协会副主席、开封市武术协会副主席。

 

不遗余力推广武术段位制

洪浩教授此次意大利之行一共10天,是受国家体育总局武术运动管理中心和中国武术协会的派遣,对中、意两国举办的首届意大利武术段位制培训班进行授课。此次培训班共开设八卦掌形意拳、咏春拳、长拳、陈式太极拳、杨式太极拳等6个班。和他同行还有其余5名教练。洪浩担任了长拳班的教练,意大利国家武术队的队员、教练等20人参加了培训。培训期间,在他的认真讲解和示范下,学员们学习了长拳一段至三段技术的单练与对打,了解了武术段位制的基本理论知识,都顺利通过了结业考试。

谈到武术段位制,洪浩教授介绍说,武术是国粹,既是体育,又是文化,具有提高中国文化软实力的特点。中国武术段位制是中国武术协会制订并实施的一项全面评价习武者武术水平等级的制度,是贯彻全民健身、普及武术运动、弘扬传统文化的有效途径。

作为武术段位制一级考评机构和考试点,河南大学近几年在武术段位制推广上做出了卓有成效的工作。洪浩担任公共体育部主任以来,在校领导、学生处和其他院系的大力支持下,又将武术段位制工作进一步发扬光大。去年初,为了满足更多学生对武术段位制课程的需求,公共体育部的武术教师将以往所教内容改为武术段位制项目,主要开设自卫防身术和孙式太极拳,报名上课的学生超过了3000人。每年4月,河南大学都要举办新生太极拳比赛,已经连续举办12届。去年3月,为了加快武术段位制在河南大学的推广步伐,河南大学决定将比赛内容升级为武术段位制项目孙式太极拳四段,为此还专门成立了领导小组。作为副组长的洪浩负责技术培训工作,他每天早上到金明和明伦两个校区进行督导,发现问题及时解决。4月24日,来自各学院的38支代表队的近万名新生参加了此次比赛。此次段位制比赛参加人数之多在全国高校尚属首次,现场观摩的中国武术协会主席高小军及与会专家都对此次比赛给予高度评价。中国体育报、大河报、人民网、中华网等十多家媒体对本次比赛进行了报道。此后,河南大学又举行了首届研究生太极拳比赛。洪浩教授说,今年还要举办教职工太极拳比赛。

洪浩主任还把武术段位制推广到社区。在河南大学周边的苹果园、仁和、金明社区设置了5个辅导站,每逢双休日早上或者下午,就有该校的学生或者老师来到这里免费为社区居民提供太极拳教学与指导服务。

“武术段位制的推广不限于校园,而是全方位的,作为高校老师,我和同事们愿意为每一位武术爱好者提供各方面的指导和服务,努力把武术这一传统文化传承发扬出去,为全民健身奉献自己的力量!”洪浩教授最后说。

 

从国外到国内,从校内到校外,从学校到社区,洪浩教授在武术段位制推广的道路上谱写着新的华章!

http://news.kf.cn/2015/0225/131230.shtml