陳舜臣『珊瑚の枕』
数日前、古本屋でたまたま上巻を見つけ、その数か月前に購入済みだった下巻とあわせて読み始め、本日読了。
陳元贇を主人公にしたこの小説については、高校生の頃、中国や中国武術に興味を持ち始めた頃から知っていたけれど、読んだことはなかった。
ずっと気になっていたわけでもないのだけれど、少し前に司馬遼太郎と陳舜臣の対談を読んで、あまりの博学ぶりに、この人の小説を読んでみようという気になり、そういえばこんな本があったなあと思っていたところ、タイミングよくお手頃価格(あわせて210円)で入手できたのは嬉しい。
上巻は「風雲少林寺」という副題がついているものの、実際には、主人公の陳元贇は早々に少林寺における修行をやめてしまい、ほどなくして活動の場面は日本に移るので、少林寺についての記述はあまり多くない。途中、抜け忍を始末する忍者組織よろしく、少林寺の隠密と陳元贇が死闘するような展開がほのめかされるものの、実際にはそういう展開にはならないし、主人公としての陳元贇は、どちらかというとほかの登場人物の中に埋もれてしまっているような感がある。
その意味では、いささか肩透かしを食らった感はあるものの、明王朝内部でさまざまな対立が生まれている中国と、江戸に幕府が成立して間もない日本を舞台に、実在の人物を含む、さまざまな登場人物たちが往来する物語はなかなか読み応えがあった。(2014年のNHK大河ドラマの主人公である黒田官兵衛(この小説の中ではすでに如水と名乗っている)が絡んでくるのも、なんだか「予習」のようで嬉しい。)
陳元贇の影が薄い点について、陳瞬臣は、あとがきの中で、陳元贇が書き、この小説のタイトルにもなっている「珊瑚枕」という本が失われてしまっているため、陳元贇が日本に来る前の足取りがほとんどわからないことが原因だ、と書いているけれど、その一方で、陳元贇が少林寺で修行をし、日本で少林寺の武術を伝えたことは事実である、といっている。ただし、何に基づいてこのような判断をしたのかについてはあとがきを読んでもよくわからない。
陳元贇と日本の柔術の関係については、笠尾恭二『中国武術史大観』に詳しい考察があるけれど、それによると陳元贇が日本の柔術の祖であるという説は、『本朝武芸小伝』(1714年成稿、1716年刊行)が元ネタであるらしい。実はここでは「元贇かたりて、大明に人をとらふる術あり、我其術をしらずといへども能(よく)其技をみつると云う」と書かれていて、本人に武術の心得があるとは書かれていないし、少林寺という言葉も出てきていない。それが次第に、陳元贇自身が武術の使い手だったという話になり、中国から来た武術の使い手であれば、少林寺で修行したに違いない(小松原濤『陳元贇の研究』が中島圭祥の説に依拠して主張)、と話が膨らんでいったようだ。そして、その説は、中国に逆輸入される。
逆輸入の時期について、笠尾恭二は「中国でも最近になって、「陳元贇によって少林拳が日本に流伝し柔術となった」というような見解が見られるようになった…」(P.396)と書いているので、そんなに昔のことではないのかもしれないけれど、『中国武術史大観』出版から約20年ほどたった現在、「少林寺のCEO」と異名を持ち、やり手で知られる釈永信方丈の『少林功夫』の年表にもこの説はとりいれられていて、もはや少林寺も公認の「事実」となっている感がある。
それどころか、方丈の自伝『我心中的少林』には、柔道好きで知られるロシアのプーチン大統領が少林寺を訪れたとき「あなたの好きな柔道のルーツも少林寺にある」と語ったことが綴られている。
この間、陳元贇について新たな史料が見つかったという話は聞かないけれど。
方丈はその幅広い活動の一環として、「少林学」を提唱し、少林功夫に関する国際シンポジウムを開いたりもしているけれど、この少林学が、少林寺にまつわるトリビアや、単なる俗説を集めるだけで終わってしまうのだとしたら、いささか残念な話だと思う。北京の書店でショーケース越しにしか見たことがない100巻本の『中国武術大典』がどのようなものなのか、わからないけれど・・・。
『我心中的少林』のPV
- 作者: 陳舜臣
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1985/09
- メディア: 文庫
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