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中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

聶宜新編著『話説摔角与上海』

前半は、武術史の教科書にあるような「摔角」史のおさらいで、あまり新鮮味はなく、どちらかといえば退屈だったけれど、 後半から、上海における「摔角」の歴史が、関連団体や個人、トピックといった切り口から語られ、このあたりは面白かった。

それによると、上海における「摔角」はそれほど古いものではなく、霍元甲(注)、王子平佟忠義、とくに後二者が保定派の摔角をもたらしたことにはじまるという。

その後辛亥革命を経て、宋振甫趙雲亭、田毓栄、林徳山、韓星橋などが「善撲営」、京派の摔角を上海で広め、さらにそこに日本租界で広まった柔道などの要素が加わり、次第に上海風の「海派」摔角の風格が形成されたのだという。「海派摔角」という言い方がどこまで一般的なのかはよくわからない。

この本の中に、1936年にアメリカから帰国した華人の黄伯長という人が上海で「職業摔角」を行ったとでてくる。300戦ほどして10回しか負けなかったらしい(P.77)。

それで気になって検索してみたら、以下のような写真がヒットした。
この写真の相手はインド人のようである。
アントニオ猪木対タイガージェットシンのさきがけのようなものか。

出典:「上海年華

こっちの写真は、よく見かけるプロレスラーがポージングしている写真そのものである。

出典:上海年華

以前に、『リングサイド プロレスから見えるアメリカ文化の真実』という本を読んだ際、上海で中国武術に対戦を申し込んだ欧米のレスラーたちは、単に興行がしたかっただけではないか、との疑問をメモしたことがあるけれど、これらの写真を見て、少なくとも1930年代には上海で「職業摔角」、その名のとおりプロレスが行われていたことがわかる。

この本の中には、その箇所以外に黄伯長の名前が出てくることはなく、写真を掲載しているサイトにも詳しいことは記されていないので、レスラーとしてはどういったプロフィールの持ち主であるのか、いまのところわからない。それでも、300試合も行ったというのだから、かなりの頻度で興行が行われていたのではないかと考えられる。

そういえば、アントニオ猪木IGFは上海進出を目指していて、実際に興行も行っていたけれど、最近はどなったんだろう。
上海でプロレス人気に火をつけようと思ったら、日本の軍人風の悪玉が、葉問ばりの善玉を、最初はこれでもかというぐらい痛めつけ、最後は鮮やかに大逆転されるというストーリーにすればいいのではないか。当局が制御しきれないような事態になっても知らないけど。

この本の内容の一部はこのサイトで閲覧できる。

(注)この本では、霍元甲の死について、喀血病を患って死んだ(日本人によって毒殺されたとの伝承もある)(P.94)、霍元甲は日本の柔道教練を投げてその手首の骨を折り、恨みに思った日本人が、霍元甲が入院中に毒殺したとの説もあるが、霍氏の死因の謎は今後さらなる検討が待たれる(P.132)などと書かれており(訳はいずれも厳密なものではない)、公正だと思われる。霍元甲の死についてはこのサイトも参考になる。