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中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

大学受験と武術2

中国の大学受験はこれから本格シーズンにはいるのかな。

「武術と民族伝統体育」専攻では、今年は新たに雲南民族大学が募集を行うらしい。

 

news.xinhuanet.com

 

その名もずばり大学受験生向けの「高3ネット」によると、「武術と民族伝統体育」専攻があるのは41校。2015年のメモでは47校あったようなので、学校数ははむしろ減っていると理解すべきか。

同サイトに転載されている中国科教評価網の「金平果排行」のランキングでは、意外といっては失礼だけれど、一押しは成都体育学院になっている。(2016-2017は上から上海体育学院、北京体育大学成都体育学院の順)。ランキングの基準はよくわからない。

雲南師範大学はいきなりベスト10入り。

 

武术与民族传统体育专业大学排名[2017-2018年]_高三网

 

同じサイトの、こっちのページには各校の簡単な紹介も。

武术与民族传统体育专业最好的大学排名_高三网

 

関連で、「百度百科」の「全国十大武術学校」と「十大武術名校」。だれがどう選出したのか不明。若干異同あり。

〇十大武術学校

zhidao.baidu.com

〇十大武術名校

中国十大武术名校是哪些?_百度知道

 

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武術学校から体育大学への進学ということでは、映画『武術之少年行(邦題:拳師 ~The Next Dragon~ )』は、武術学校で学び、往年の名選手だったお母さんが成功させた「難度動作」を完成させて体育大学への進学を目ざす少年とその仲間たちの成長を描くという、一風変わった武術映画だった。主人公を悪の道に引きずり込もうとするのも、以前は省の代表選手に選ばれた同じ学校の元エースだった先輩、もう一人のエース級の先輩は映画のスタントの世界に足を踏み入れ、監督に罵倒されながら辛い日々をすごしている。

同じ学校で学ぶ少年たちの成長を描くという意味で、現代版『七小福』(DVD化熱望!)を目指したのかもしれないけれど、『七小福』は、映画スターに成長した子供たちが辛かった修行時代を振り返るというお話だったのでよかったけれど、この映画では明るい未来というよりは、厳しい現実のほうが前面に出ていた気がする。

この映画、公開当時ジャッキー・チェンが強烈にプロモーションしていたけど、主演の二人などその後どうしているんだろう。

 

〇映画『武術之少年行』より、サモハン先生(作中では李老師)が武術の目的を生徒たちに語るシーン。「難度動作の創作」など、ある種の価値観が明確に語られていて、(同意するかしないかは別として)興味深い。

 

「・・・武術の目的は、相手を攻撃したり、傷つけることではない。・・・「武」の中に「藝」、「藝」のなかに「術」がなければならない。・・・武術では、勝つか負けるかは重要なことではない。武術の四つの基本とは、スピード、跳躍力、バランス、柔靭性だ。この四つが揃って、新しい難度動作を作ることができる。」

ここで、子供が質問する。「先生、相手がいなくてどうやって勝負が決まるんですか」

サモハン先生の答え「試合には相手はいないが、同時に、武術を撰んだ人間は、同時に、一生のライバルを選んだことになるのだ。自分というライバルをな。試合のたびに、前回の自分よりもさらによい演武を目指さなければならないのだ」 

 

www.youtube.com

 

関連の過去メモ

zigzagmax.hatenablog.com

 

拳師 The Next Dragon ジャッキー・チェン サモ・ハン・キンポー LBXS-305 [DVD]

拳師 The Next Dragon ジャッキー・チェン サモ・ハン・キンポー LBXS-305 [DVD]

 

 

〇七小福 DVD化を強く希望

kungfutube.info

 

 

「鷂子高三」など

たまたま「鷂子高三」こと高占魁について調べていたら、最近「鷂子高三」という映画がクランクインしたというニュースがヒットした。

www.qqgfw.com

 

また、気づかなかったけれど、2016年の9月には、陝西省銅川市耀州に鹞子高三記念館がオープンしていた。

www.yunzhishou.com


少林拳術秘訣』にでてくる「高某」「三原高氏」について、唐豪はその実在を疑問視していたけれど、笠尾恭二編訳『宗法図説 少林拳術秘訣』によると、この「高某」「三原高氏」は、近年になって陝西省三原出身の高占魁(春明と号した)に比定されているらしい。同書から、そのあたりを解説した部分。

 

〇編訳者による解説部分

…巻末の先人語録に原著者が師事した日本人老師「津川氏」の名が見え、またその次には猴拳達人「三原高氏」の語録が掲げられている。

 この「高氏」は前半から登場し、原著者に極めて強い印象を与えた人物であったことがうかがえる。にもかかわらず、唐豪ら多くの研究者はその実在性を否定していた。だが、私は最近になって三原(陝西省)に清末、高春明(通称「飛腿高三」)という当時著名な達人が実在していたことを確認できた。P.287

 

〇本文の一部と、※印以下は編訳者による注釈

 三原高氏(※)は言った。

 

 猴拳の創始について、ある人は華佗祖師の五禽戯に始まるという。しかしながら当時の五禽図に描かれた手法を考察すると、猿の動きの一部から工夫して腰腎鍛練の法としたものに過ぎない。八段錦にもある「老猿搬尖、腎腰を固くす」の導引法と同じである。技撃としての手法、身法を伝えたものではなかった。

 先輩たちから伝わった話によると、実は猴拳の起こりは山西の馬氏であるという。馬氏は中年になってから山に入り技撃を修練していたとき、たまたま出会った某道士からこの術を授かったとのことである。

 身のすばやいさばき、眼光の鋭敏さ、体躯の活発な動きなど、世の中に猿の右に出るものはない。ゆえに人は猿から法を取らざるを得なかったのである。

 

 ※訳注

「三原高氏」は本書原著者が各地で交流した武術家の中でも重要人物の一人となっている。しかし原書に高という姓はあっても名が無く、これまで実在の人物か否か確認されたことはなかった。ところが近年刊行された洪述順『五套伝統武術』(陝西人民教育出版社一九八七年刊)によれば、陝西省三原県に清末、高春明という著名な武術家がいて、現代までその武術が伝来しているという。「三原高氏」について初めて公になった記述として重要である。それはまた本書原著の信頼性を高める貴重な資料ともなるので、ここにその一部を引用しておきたい。

 「高春明先生は陝西省三原県の人である。幼少から武術を習い、全国各地をあまねく歩き、武林の名師を訪ねては師として学んだ。修練の功は深く、軽功、硬功、軟功、地躺功などいずれにも通じて、『飛腿高三』などと呼ばれた。その武術套路は南北拳撃の長所を一身に集めたものであり、拳法として技法にすぐれ、また身体鍛錬法としても価値が高く、西北地方だけでも数十種の型が流伝している。」

 なお、原書には、もうひとり高姓の人物として「先師高濼園先生」が現れる。「先師」というからには旅先で単に短期間交流した「三原高氏」とは明かに同姓異人と見なすべきであろう。PP.380-381

 

気になって手元の別の資料を見てみると、中国武術人名事典』(1993年…①)と中国武術百科全書』(1998年…②)の高占魁の条の書きぶりはよく似ていて、②は①を下敷きにしていると思われるけれど、①にはない『少林拳術秘訣』に関する記載が付け加えられていることがわかる。

 

〇『中国武術人名辞典』「高占魁」の項

高占魁

1816-1903

别号“鹞子高三”。武术家。陕西高家拳创始人。陕西三原人。4岁从大哥练武。道光十年(公元1830年)从僧人园净长老习艺,后到河南少林寺入徒3年,学心意拳,六合拳,十字战拳与棍术等。先后结识陕西名拳师“黑虎邢三”,“饿虎李四”等,被誉为“关中四杰”。继又从山东,湖北高手为师,其技击,轻功,刀法,棍术等,达到炉火纯青的境界。晚年在渭北一带收徒,将古老,分散,只能散式单练的“关中红拳”编串成套,引出“小红拳”,“大红拳”,“二路红拳”等,使之刚柔相济,内外合一,强调内家功的训练以意帅行,化心意为新意,于“关中红拳”中,溶进了“江南的身法”, “河南的跑法”, “山东的打法”,“陕西的刁法”,并于同治初年创立了独具风格和特色的“新意红拳” --高家拳。

 

〇『中国武術百科全書』の「高占魁」の項

高占魁 (1816- 1903)

清代武术家,陕西高家拳创始人。幼名宝童,号春明。陕西省三原县人。农家出身。4岁起从兄练武,天资聪慧,身手矫健,进步颇快。亦从邻居杨青习武。道光十年(1830)起,先后从三源清麓寺僧园净长老、郭存志及北寺马殿二僧习陕拳。后到河南登封少林寺入徒3年,学得心意拳、六合拳、十字战拳与棍术等。成年后,遍游大江南北,寻访名师,先后结识陕西名师“黑虎邢三”、“饿虎苏三”、“通臂李四”。4人被誉为“关中四杰”,以占魁为首。又从河南丁文庆、山东王氏、山西杨氏、江南汪氏、湖北温氏、河北何氏等习少林拳通臂拳、花拳、猴拳等。为学习腿法绝技,占魁当店铺雇员一年,方得秘传腿法。因其武功高超,腿法精绝,纵窜如“鹞”,故又称“飞腿鹞子”;又因其行三,还称“鹞子高三”。擅技击,善用腿,轻功绝好。据《少林宗法》载,高占魁以精于猴拳名扬关内外。《少林拳术秘決》称其为陕西技击最著者。晩年在渭北ー带广收门徙,将古老、分散、只能散式单练的“关中红拳”编串成套,引出“小红拳”、“大红拳”、“二路红拳”等,使之刚柔相济,内外合一。强调“内家功”的训练以“意”帅“行”,化“心意”为“新意”,于“关中红拳”中融进了“江南身法”、“河南跑法”、“山东打法”、“陕西刁法”。同治初年创立了“撑补为母、勾挂为能、化身为奇、刁打为法”的风格独特的“新意红拳”,即陕西高家拳,又称“鹞子拳”。其代表拳艺有红拳、炮捶、子拳(猴拳)、子棍。高家拳在陕西、甘肃、四川、河南诸省流传较广。 (昌沧)

陳亜斌『三秦武術』(2010年…③)の高占魁を紹介したページでは、①、②に見られる少林寺での3年間の修行についての言及がなく、かわりに終南山の猟師を生業とする師匠のもとで3年修行したとの伝説が紹介されている。(この伝説が意外に面白かったりする。) 高占魁が「三原高氏」であり、実在の人物であるとしても、彼を少林寺と結びつけることまでは確認ができていないのかもしれない。

 

〇陳亜斌『三秦武術』から。 

猟師である師父が外出している隙に、師母に後ろからいきなり抱き付き、異常を感じた師母が無意識に秘伝の「裙攔腿」でこれをはねのけると、「師母(師娘)、感謝します」といって去っていったという。わけがわからぬ師母、師父が帰ってきたところで、高三が失礼なことをするから、秘伝の蹴りを見舞ってやったわ、と師父に告げると、師父は「やつが欲しかったのはまさにその蹴りだったんだよ」といい、二人で顔を見合わせて笑ったのだというお話。伝説の域を出ないお話ではあるけれど、セクハラを装って秘伝を得るとは…。

关于“鹞子高三”带艺投师的传说讲道:“鹞子高三”行走于江湖,带艺投师到终南山驱虎猎豹老拳师处,学艺三年,不得其窍。一日师傅外出,师娘在家,正在厨房做饭,高三上前,突然从身后欲抱师娘。师娘感觉背后异常,回身一个裙拦腿,一腿将高三打出ー丈开外。高三在院庭连叩三个响头,道声“谢师娘!”抱拳拱手而去。师傅回来,师娘眉色飞舞,说起自己如何用家传绝招将徒弟打出丈外。师傅看着毫无心计的老伴,说出了谜底:徒弟学艺三年,要的就是这ー腿,如今,腿招已露,徒弟已得真传,自然离去,不会再回。两人相对一笑,显出无奈状。PP44-45

 

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また、②、③では郭存志(③では耀県の人物とされる)に学んだとされているけれど、陝西武術網にも掲載されている胡克禹「“高家拳”是耀州武术极为珍贵的 历史文化遗产」④では、名前はやや違うものの高占魁は紅拳大家の郭従志に学ぼうとしたが、果たせなかった、とされていて、異同がある。

 

耀州野狐坡の紅拳大家郭従志に師事しようとしたが果たせず、のちに兄の紹介により三原県峪口山清麓寺の僧・圓静趙老を師とし紅拳を学ぶ

 

早先求师耀州野狐坡红拳大家郭从志未果,后经大哥引荐,拜三原县峪口山清麓寺僧人园静长老为师习练红拳」

 

生没年も、①、②は1816-1903だけど、③は1816-1902、④や、陝西省非物質文化保護中心のサイトでは1812-1904と資料によってバラバラ。このあたり全部含めて、高占魁の活動については、詳しいところは資料がないので確認できないことも多いのだろう。

それでも、 彼の功績として、個別の技法(招数)として存在していた紅拳を套路化し、それによって技法が整理されたことを多くの記事が指摘している。とりえずのメモとしてはそれでよしとしておこう。

 

同時代の人物としては潼関の餓虎蘇三(蘇海潮)、臨潼の黒虎邢三(邢福科)、「通背」の李四(④は耀州の人物とする)がいて、「三三(敢えて日本語にすると「三人の三男坊」みたいな感じか?)」とか、「漢中四傑」などと称されるらしい。

 

〇陝西武術網の胡克禹「“高家拳”是耀州武术极为珍贵的 历史文化遗产

この記事は、同治三年に、固原提督雷正綰の武術教習となったこと、1863年に陝西布政司団巡撫の張集馨の探弁(高級警衛)を務めた、などと記述が具体的なのが興味深いけれど、どのような史料に基づいているのかは不明。

www.sxwushu.cn

 

CCTV『走遍中国』の 『武林伝奇』シリーズには紅拳を特集した回があり、高鹞子の子孫が登場。ここでは伝説とことわりながら、高鹞子は山西巡撫の保鏢でありながら、太平天国の石達開の密偵であったと紹介されていたりして、びっくり。

 紅拳体系の中の猴拳らしき動画も出てくる。陝西チームのお家芸の一つに猴拳・猴棍がある(あった?)けれど、それはこういう伝統の中から生まれてきたのかと納得。(趙長軍は実際、紅拳の張俊徳に師事している。)

 

zigzagmax.hatenablog.com

 

〇以下の記事では、戚継光の『紀效新書』「拳経捷要篇」の三十二勢には紅拳の技が多く含まれ、陝西方言によって説明されている部分も多いとされている。具体的にどこが陝西方言なのか、気になる。

戚继光在《纪效新书·拳经捷要篇》收录了红拳较多内容,《太祖红拳三十二势》中详细介绍了红拳,用许多陕西方言记载了红拳的技法特点,至今红拳还在沿用。

www.xinyaozhou.com

 

〇長年、陝西省武術隊を率いた馬振邦が晩年、紅拳の保護に熱心であったことは以前にメモした。紅拳は国レベルの非物質文化遺産に認定されている。

zigzagmax.hatenablog.com

 

映画『鹞子高三』、完成したとしても日本で公開されることは100%ないと思うけれど、機会があったら観てみたい。

 

www.youtube.com

 

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『ドラゴン・ガール』など

先日、シラットを題材にしたブルネイ初の長編映画という、掲題の作品の上映会と監督によるトークがあった。

 

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jfac.jp

  

シラットが得意な幼なじみの気をひくために高校でシラット部を作った女の子・ヤスミンが主人公で、「あんな危険なものはやめなさい」というお父さん(反対するのには別の理由があることがのちに明かされる)との葛藤や、いずれも初心者の部員2名たちとのやりとり、ライバルで恋敵の女の子との確執などが描かれる青春映画だった。主人公の行動はややな唐突なところもあったけれど、シラットを通じて成長してゆく様子も描かれていて、見終わったあとはなかなか爽快な気分に。

 

シラットを題材にした映画なので基本的に中国武術とは関係ないのだけれど、まだシラットを本格的に学ぶ前の主人公が、本人いわく「タイチーとウィンチュンをミックスしたもの」を披露するシーンがあった(中身は「五歩拳」の後ろにいくつか動作をくっつけたものだった)。タイチー(太極)はともかく、ウィンチュン(詠春)がでてくるのは、近年のイップマンの影響なのか、もともとブルネイあたりではウィンチュンが一定程度普及しているのか、そのあたりのことは不明。

 

アクションは、香港のチャン・マン・チン(とカタカナで書かれてもよくわからない)が手がけたらしい。試合では、高校生たちがなにも防具をつけずに、素手でハードに攻防をしていて、中国武術でいう後掃腿のような技で相手が板の間に叩きつけられるようにひっくり返るシーンも。
そんな感じなので、アフタートークでも来場者から「こんな危険な競技が本当に行われているのか」という質問がでていたけれど、防具をつけると亀みたいでビジュアル的に格好悪いので、演出上、防具をつけず素手で殴りあうことにしたらしい。
それって、アフタートークがあったから確認できたけれど、一般の観客が見た場合、シラットという競技を誤解することにならないのかなあ。

映画を通してシラットの魅力を伝える、ということでは、すでに『ザ・レイド』などで、もっとえげつないアクションが紹介されているから大丈夫なのかな。


ザ・レイド』のイコ・ウワイスは『スターウォーズ/フォースの覚醒』にも出ていたらしいけれど(ぜんぜん気がつかなかった)、人を倒すための技術としてではない形でシラットの魅力を伝える映画はこれからどんどん増えてくるかもしれない。

SNSなどでは棒術を題材にしたインドネシア映画や、ベトナムのアクション映画などがときどき流れてくることがある。ためしに東南アジアの国名と「martial arts」, 「movie」で検索したら、いろんな映画がヒットした。言葉も含めてぜんぜんわからない世界だけど、いま、東南アジアのマーシャルアーツ映画が旬なのかも?

 

〇FBで流れてきた、トニー・ジャーとイコ・ウワイスのツーショット

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Tony Jaa and Iko Uwais - Martial Arts In Cinema | Facebook

 

ジージャ・ヤーニンがはいったスリーショットも

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Jeeja Yanin - Getting ready for the Triple Threat shoot.... | Facebook

 

 

〇『ドラゴン・ガール』、改めて調べたら、DVDが発売されていた 

ドラゴン・ガール [DVD]

ドラゴン・ガール [DVD]

 

 

〇以前にSNSに流れてきたインドネシアの棒術映画『The Golden Cane Warrior』も『ゴールデン・アームズ 導かれし者』というタイトルでDVD化されていることを発見。
あらためてトレーラーを見ると、「ドラゴンガール」の主人公ヤスミンのお父さん役のReza Rahadian が出ている

 

 

 

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ベトナム発のアクション映画『The Rebel 』

ベースになっている格闘技は何だろう

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〇マレーシアのシラット映画(たぶん)

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シンガポールからも

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〇フィリピンの武術が出てくる映画の特集

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〇これはミャンマーのマーシャルアーツ映画らしい

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カンボジア

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バングラデシュのマーシャルアーツ映画?

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〇本家?の中国・香港映画はCGが全盛な感じで、本格アクションは『師父』の徐浩峰監督に期待するしかない?

 

natalie.mu

 

『師父(邦題:ファイナル・マスター)』

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ファイナル・マスター [DVD]

ファイナル・マスター [DVD]

 

 

村上兵衛『守城の人―明治人柴五郎大将の生涯』など

最近、面白そうだと思って読んでみた本で、このブログの観点からはど真ん中ストライクではないものの、それぞれに少しずつ興味深い点があったものを、備忘録としてまとめてメモ。

 

村上兵衛『守城の人―明治人柴五郎大将の生涯』
義和団事件のとき北京に篭城した柴五郎の伝記。
北京篭城のエピソードもそうだけど、会津出身(まだ子供だけれど)ということで戊辰戦争後の東京の謹慎所での生活、青森での極貧生活を経て再び東京に出て、なんとか陸軍幼年学校に合格、次第に頭角を現してゆくという、まさに激動の人生で、面白かった。

はじめて北京に赴任した柴が朝鮮半島経由で帰国するときに、北京の保険会社に人をつけてもらったことになっている。

この保険は、普通とちょっと違う。会社は保険証書といっしょに、その会社の印のついた小旗をくれる。この小旗を、馬車に飜しておけば、「馬賊」の襲撃を受けることはない、という。
 また、それほど危険でないところでは、馬車の側に、「会社」の印のある青龍刀をぶらさげ、安全を「表示」してくれた地域もあった。
 要するに、前門の「保険会社」なるものは、満州のいわば正統の馬賊に顔が利き、それぞれの地域の頭目たちに、通行料を前払いする代理店のようなもの、と思えばよい。そこで「通行料」(買路銭)を払い込んでおけば、旅行者の途中の安全は、彼らによって確保されるのであった。P.344)

この前門の「保険会社」って、三皇炮捶で有名な会友鏢局のことじゃないのかなあ・・・ などと思いながら読んだ。

 

守城の人―明治人柴五郎大将の生涯 (光人社NF文庫)

守城の人―明治人柴五郎大将の生涯 (光人社NF文庫)

 

 

〇会友鏢局

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写真は『老北京網』から

oldbeijing.org

  

義和団については、最近、書評を見つけてとりよせた止庵『神拳考』はかなり面白くて、義和団員の行動原理がよくわかった気がした。この本についてはできれば別途メモしておきたいのだけれど、内容が濃すぎてまとめられる自信がない。

 

2伴野朗『元寇
小説。冒頭で一指禅使いの少林僧念海が登場、アラブ商人のアヌスの命を救う。
その後、念海はモンケ・ハンの意を受けたアヌスの手先になって、フビライ(まだ、ハンになる前)を暗殺しようとしたり、高麗では親元派の手先として反元派の趙彜の命を狙い、その場にいあわせた来住三郎太(河野水軍の河野通有から大陸情勢視察のために送りこまれた、波流(なみのながれ)なる剣術流派の使い手。必殺技は「波千鳥」という)との対戦があったりする。

ちなみに、少林武術については、上記の一指禅のほかにも井拳功、百歩神拳などの説明があり、このへんのネタは『少林宗法』あるいは『少林拳術秘訣』かと思ったら、巻末の参考文献に松田隆智中国武術』とあった。作者は朝日新聞上海支局などで長年勤務されたよう。

古い本だからネタバレになるけれど、二度の元寇というのは、元が日本を支配しようとしたというよりは、支配下におさめた高麗と南宋が保持している軍隊を棄てる(棄兵)ことにあったのではないかというのが作者の観点だった。

 

元寇 (講談社文庫)

元寇 (講談社文庫)

 

 

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3.繁田信一『殴り合う貴族たち』
平安貴族は徒手武術の使い手で、古典に見られる「拏攫」などの語は、彼らが用いた技法を表していることを紹介した驚きの書。
…というのはウソで(「拏攫」は「とっくみあい」というほどの意味)、平安貴族そのものが殴る蹴るをしたわけではないにしても、その取り巻きたちを含めて、平安貴族たちの生活は暴力ととても近いところにあったらしいことがわかり、とても興味深かっかった。

彼らは屋敷の前を牛車から降りないで通ろうとするほかの貴族たちに投石をしたり、気に入らない相手を捕まえてきては殴る蹴るの暴行を加えてたり、髻(もとどり)を露わにする(現代人の感覚では「人前でズボンがずり落ちて下着を見られてしまうくらいに恥ずかしいこと」(P.20)であったらしい)などの行為を行っていたのだという。
その他、自分の菩提寺を建設するために必要な資材を、羅生門などの公共物から勝手に拝借してしまうなどの行為(もともと十分にメンテナンスがされていたとはいえない状況であったとはいえ)も紹介されていた。
雅な世界とかにはあんまり興味がなく、日本の古典にほとんど興味がもてなかったのだけれど、この本はそういったエピソードが軽快な語り口でたくさん紹介されていて、あっという間に読み終わってしまった。

 

この本で紹介されているのは平安時代の貴族とそのとりまきの例だけれど、同じように権力をもっていた寺社で囲い込まれたとりまきたちが僧兵になるんだろうか。

 

 

4.伊藤正敏寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民

3.の本を読んで、最後の部分に書いたような疑問をもっていたら、たまたま地元の図書館でこの本を見つけた。

寺院を宗教施設と決めつけないで、広大な領地や財産をもち、幕府や朝廷の警察権の介入を拒否して、自らそれらを執行する実力を持っている実体であり、そこには最新の技術や知識をもった大勢の人が暮らしていると考えると、全然捉え方が違ってくる。

ときには、寺社が持つそうした治安維持のための実力の動員が、幕府や戦国大名の側から求められることもある。

もちろん、この本で紹介されているのは日本の事例だけれど、いろいろと参考になる視点が得られた気がする。

たとえば、少林寺を寺社勢力と捉えて、その観点から、唐の建国を助けたことや、明代に倭寇鎮圧に協力したこと、後の清朝との関係を考えなおしたら、違ったものが見えてくる気がする。

また、政府の側からいったんは寺社に身をよせ、さらに梁山泊の一員になった魯智深のお話なども、そういった観点から考え直してみたら面白いかもしれないと思った。

 

寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

 

 

5.藤木久志『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』

3、4とならんでこれも日本史に関する本だけれど、3は貴族、4は寺社に焦点を置いているのに対して、この本では村落に焦点をあてていた。

この本に描かれた戦国時代の農村は、地元の図書館で以前に読んだフィル・ビリングスリーの『匪賊―近代中国の辺境と中央』に描かれていた、農閑期に匪賊的行為を行なう中国の農村の様子と似たところがあると思った。深く読み比べてみたら面白い気づきがあるかもしれない…と思った。

 

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))

 

 

フィル・ビリングスリー著 山田潤訳『匪賊―近代中国の辺境と中央』の表紙

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匪賊―近代中国の辺境と中央

匪賊―近代中国の辺境と中央

 

 

6.東郷隆『【絵解き】雑兵足軽たちの戦い 』

5.とのつながりで「雑兵」のなりたちや装備の変化について解説された本で、とても面白かった。

 以下、「やり」の発生についてかかれた部分をメモ。

 

  多くの研究家は、この種の兵器の起りを、元弘、建武南北朝争乱期に当てている。それ以前からすでに存在していたという説もあるが、現在のところ「やり」に付けられた鍛冶銘などで朧気に推定するしかない。

 それ以前、古代からたしかに有った同種の長柄武器は「鉾(矛)」であった。

 正倉院の御物にも多く現存しているが、その柄は短く、穂の付け根を木部に被せるよう筒型に成形されている。が、この形態が鉾の極まった特徴ではない。鑓にも同型式の「袋槍」というものが存在する。

 最大の区別は、その使用法だろうか。敵を前にして、鉾は両手、または片手で突き出し、引く動作を繰り返す。ところが、鑓はまず左手を前にし、右手で後方の柄を握って構えた後、目標物に対して右手を押し出す。この時、左手は動かさない。鑓の柄は、左手の掌の中でスルスルと滑るばかりである。左掌は単に長い柄のガイドにしか過ぎないのだ。

 この動作を「繰り出す」と称する。こうすると、素早く穂先が前後し相手に柄の部分を握られることがない。また、正確に目標位置を狙え、失敗しても再度のアプローチが可能となる。

 繰り出すという手技には、また隠された威力増加術も含まれている。鑓を右手で前後させる際、手首のスナップをきかせると柄が回転し、穂先も大きく回る。刺突した時の破壊力、甲冑の小札(こざね)を貫通する力も刃先の回転力で増すのである。このあたりが鉾に取ってかわった理由かと思われる。PP.91-92

 

鉾が槍に置きかわってゆくという流れは中国も同じだけれど、ここの部分を読んでいて、もしかすると明代以降の槍術書のなかでしばしば取り上げられる片手突きの技は、「鉾」の時代の技の名残なのではないかという気がしてきた。

それに、「繰り出す」ことを前提としない場合には、片手突きに変化するときのことも考えると、後ろの手が鑓の中段あたりをもっていたほうがバランスが取りやすい気もする。そういう目で『紀效新書』「長兵短用説」の図を見ると、「夜叉探海勢」は明らかに中段を持っているし、その他の諸勢も、中段近くを保持しているように見える。

それに較べると、後世の程宗猷や呉殳の槍の持ち方は、槍を持つ位置が、全体的により後方になっている気がする。

 

〇『紀效新書』「長兵短用説」の「夜叉探海勢」(注)

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『紀效新書』「長兵短用説」の「四夷賓服勢」(中平槍法)、『秘本長槍法図説』の「中四平槍勢」、『手臂録』の「四夷賓服勢」

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『紀效新書』「長兵短用説」の「鉄牛耕地勢」、『秘本長槍法図説』の「鉄牛耕地槍勢」、『手臂録』の「鉄牛耕地勢」

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ただ、この動画などを見ると、最初はやや後ろの部分を握っていて、相手に距離をつめられてからは中段に持ち位置を変えるなど、臨機応変に変化しているようにも見えるので、わずかの図版だけをもとに決めつけることもできなさそうだけれど、とりあえずのメモとして。

 

www.youtube.com

 

〈歴史・時代小説ファン必携〉【絵解き】雑兵足軽たちの戦い (講談社文庫)

〈歴史・時代小説ファン必携〉【絵解き】雑兵足軽たちの戦い (講談社文庫)

 

 同じ著者の安録山についての小説も面白そうなのでメモしておこう。

肥満 梟雄安禄山の生涯

肥満 梟雄安禄山の生涯

 

(注) 『紀效新書』は中華書局の盛冬鈴点校本、『秘本長槍法図説』『手臂録』は人民体育出版社の『中国古典武学秘籍録』より。以下の諸勢も同じ

 

7.加来耕三『刀の日本史』
日本刀の歴史と、代表的な名刀についてかかれた本だけれど、何箇所か中国刀法についても言及した箇所があった。
特に139ページ目以降に、笠尾恭二『中国武術史大観』によりながら、倭寇の刀法について記載した箇所があり、ここで展開されている片手持ち、両手持ち、間合い、拍子についての議論はそれほどの分量ではないながら、とても面白いと思った。この辺について、もう少し詳しく解説してほしいと思いながら、とりあえずメモ。

 

刀の日本史 (講談社現代新書)

刀の日本史 (講談社現代新書)

 

以下は、最近見つけた、このへんのテーマを扱った論文。

大石純子・ 酒井利信 『「紀效新書」における日本刀特性を有する刀剣の受容について:18 巻本と 14 巻本の比較を通して』

 

山本純子『「武 芸 図 譜 通 志 」 に み ら れ る刀 剣 技 の 成 立 に 関 す る 一 考 察 主 として 日本 ・中国 との関係 から―』

 

林伯原『明代中国における日本刀術の受容とその変容』

 

 

 

 

少林寺関係の時事ネタ アップデート

少林寺関係のメモが続いたけれど、情報のアップデートの意味で、最近見かけた記事などの中から、時事的小ネタをまとめてメモ。

 

1.釈永信方丈のスキャンダル関係

 とりあえずメモだけ。

 

news.sohu.com

 

〇関連の過去メモ

zigzagmax.hatenablog.com


2.武僧くん
 今年2月に銀座で公開された少林武僧の写真展に関して、撮影した大串祥子のコラムとインタビュー。武術関係者ではあまり思いつかない視点が新鮮。

 

number.bunshun.jp

 

大串祥子 写真展「少林寺」特別インタビュー | アパートメント

 

「武僧くん」たちがいったい何を目指して少林寺で修行をしているのかは、大串氏ならずとも興味のあるところだとおもう。
「武僧」とはやや異なるのの、武井壮も、河南省の武術学校で学生たちに、将来何になりたいかを質問していた。

 ジャッキー・チェンジェット・リーのような映画スターになりたいという答えが返ってくるのかとおもったら、武井壮が質問した男の子からは「うちは貧しいから家族の負担を減らしたい」「学校に認められれば、学費が免除になるし、教練として学校に残ることができる」といった涙ぐましい答えが帰ってきていた。映画「少林寺」が公開された当時はともかく、いまどきカンフーの腕を磨けば映画スターになれるなんて、それほど現実は甘くないことはみんな承知しているのだろう。

 

〇過去メモにも貼り付けているけど、もう一度貼り付け。

www.youtube.com

 

「強くなりたい」とか「敵を倒す」といった答えがかえってきていないのは、不思議といえば不思議なことだけれど、建国以来、ずっと「技撃」主義を否定し、武術というのはあくまで身体鍛錬のためスポーツであることを強調してきた結果がここにも見られるということなのかもしれない。

ちなみに、以下の短文で、ジェット・リーは、もはや武術で人を倒すという時代ではなく、そんなことをしたら却って警察に逮捕されてしまうよ、と述べている。

www.qqgfw.com

 

3.少林和尚飛行劇場(Shaolin Flying Monks Theatre)

 今更言ってもしょうがないんだろうけど、静かに修行する場所というイメージとはほど遠く、もう何が何やら・・・。

 「風動装置」というトンネルみたいな装置を利用して、本当に人の身体を空中に浮かせるようなことができるらしく、このリンクにある動画の最後のほうに、それらしい映像がある。でも、何のために?

www.borntoengineer.com

 

〇以下のリンクには、風動装置の構造図などがある

www.gooood.hk

 〇日本語で紹介したサイト

tabi-labo.com

 

〇少林カンフーショーの動画

www.youtube.com

「圏外」の敗槍を救う槍法…からの頭の体操

程宗猷の『秘本長槍法図説』(馬力編『中国古典武学秘籍録 上巻』所収)は、「圏里」の「敗槍」を救うのは容易だが、「圏外」の「敗槍」を救うのは困難であるといい、前者には「死掤対」「翻身掤退」のような「死中反活」の方法があるのに対し、後者すなわち「圏外」の敗槍を救う方法は「ただ鈎槍の一着のみ」であるという(「一、長槍説」)。

〇『中国古典武学秘籍録』上・下

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「四、長槍図説」のところで、より具体的に、圏里の敗勢を救う方法は、「活掤対進槍勢」、「活掤退退槍勢」、「死掤対槍勢」、「翻身掤退退槍勢」の四つが紹介されている。前二者はあわせて「掤退救護」、後二者はあわせて「死中求活」の法とされる。以上の四勢に続けて圏外の敗勢を救う方法として「鈎槍」の図と説明がでてくる。その説明(仮訳と原文)は次のとおり。

 

我、まず単手で身を探りて你を圏外に扎す。你(相手)、我が槍を攔し開き、右において敗れしむ。我が前手、槍を持つに及ばず、ただ将に左脚を勢に順じて右辺に移す。左手で槍をもち、仰掌して一縮、肘を左脇下に貼りつけ、相手の槍を鈎し開き、相手を扎す。法に曰う、「無中に生を有す(無中生有)」とはこのことである。

我先单手探身扎你圈外,你拦开我枪败于右,我前手不及持枪,惟将左脚顺势移于右边。左手持枪仰掌一缩,肘贴在左肋下,勾开你枪扎你。法曰“无中生有”是也。…①

 

以上の解説から、「鈎槍勢」というのは、「青龍探爪槍勢」(孤雁出群槍法)のような片手突きの槍を相手に弾かれ、不利になった状態から体勢を立て直す方法であることがわかる。

ただ、ここでは、そもそも「鈎」という技法についての説明がないので、いきなり相手の槍(你槍)を「鈎し開」くと説明されても、あまり具体的なイメージが湧いてこない。

そこで同じ『秘籍録』上巻所収の『手臂録』をみると、巻之二「革法」に「鈎」法について、以下のように出ている。

 

鈎:真如いわく“すなわち攔なり。緊密なる者、肘が脇下に貼りつく”と。滄塵子いわく“高い槍が迫ってきたら、ただ鈎だけがよくこれを開くことができる。すなわち、白牛転角の手法である。肘は脇下に貼り付けてもなお極めて緊密であるとはいえず、須く乳前に巻き到らせる。腕は陽の状態からさらにこれを回転させ、手の甲が上を向く”と。真如いわく‘“鞭、剣を破るに 、前方において用いる。すなわち拿(拏)の手法である”と。

钩:真如曰:“即拦也,紧密者,肘贴肋下”。沧尘子曰:“高枪来迫,惟钩能开之。即白牛转角之手法也。然肘贴肋下,犹未极紧密,须卷至乳前,碗自阳而更转之,至手背向天”。真如曰:“破鞭剑,用于前即拿之手法也”。…②

 

真如いわく」の真如とは程真如のことで、『手臂録』附巻の峨嵋槍法』(峨嵋僧 普恩 立法、海陽弟子程真如 達意、古呉 後学 呉殳 輯)の「倒手篇」に、これに相当する語があり、

鈎はすなわち攔であり、その緊密なるものは肘を脇下にぴったり貼り付けるようにする。

即拦也,其紧密者,肘贴肋下…③

 

と出ている。ここでようやく、「鈎」法というのは肘を折り畳むようにしながら小さく行なう「攔」のことなのかな、と想像することができる。

 改めて、「鈎槍勢」の図を見てみると、確かに前手(左手)の肘はかなりきつく折りたたまれている。

 

 〇「秘本長槍法図説」の「鈎槍勢」(『中国古典武学秘籍録 上巻』)

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峨嵋槍法』ではその他、「身手法篇」に、

「鈎・撲・和・封の諸法は、両手の運用に尽きる

钩扑和封,尽在两手」…④

 

「革法一篇」に、

鈎:圏外より頭を戳し来るを革すものである。中平もこれを用いることがある。口伝あり

钩:革圈外戳头者,中平亦有时用之。有口授。…⑤

などと「鈎」法について言及されている。

 

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②の引用箇所に出てくる「白牛転角の手法」について、『手臂録』の「馬家槍二十四勢説」では「抱琵琶勢」が古訣(『紀效新書』の訣文)でいうところの「白牛転角槍法」であるという。たしかに、この方法もきつく前手(左手)を折り曲げて、脇(胸前)に貼りつけるようにしている。『手臂録』の「抱琵琶勢」の訣語によると、この勢で手法を「放ち尽くす」(「放盡」とは何だ?よくわからないけど仮置き)と「捺」になり、蹲坐すれば「(十面?)埋伏勢」、手を下に放てば「地蛇槍」になるという。古訣でいうところの「地蛇槍」は「馬家槍二十四勢説」では「鋪地錦勢」だけれど、たしかに「抱琵琶勢」から両手を下げると「鋪地錦勢」になるようにも見える。

 

 〇『手臂録』「馬家槍二十四勢説」の「抱琵琶勢」(『中国古典武学秘籍録 上巻』)

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〇「抱琵琶勢」そのものは 『秘本長槍法図説』にも出てくる。「白牛転角手法」についての説明はないものの、絵を見る限り同系統の技に見える。つづく、「地蛇槍勢」と。

(『中国古典武学秘籍録 上巻』)

 

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『手臂録』「馬家槍二十四勢説」の「鋪地錦」(古訣にいう「地蛇勢」)(『中国古典武学秘籍録 上巻』)

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「馬家槍二十四勢説」の「抱琵琶勢」では、このまま蹲坐すれば「埋伏勢」になるという。これを「十面埋伏勢」のことだとすると、古訣にいう下平槍法、 『秘本長槍法図説』では「低四平槍勢」にあたると思われるけれど、前手の折り曲げは見られないので、両者の関係性についてはよくわからない。(「十面埋伏勢」とまったく別に「埋伏勢」がある可能性もいまのところ排除できない。)

 

〇『手臂録』「馬家槍二十四勢説」の「十面埋伏勢」(古訣にいう「下平槍法」)と、秘本長槍法図説』の「低四平槍勢」(『中国古典武学秘籍録 上巻』)

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琵琶を抱いて埋伏する(抱着琵琶埋伏)の語は、『手臂録』「馬家槍二十四勢説」では「辺攔勢」の訣語の中にも見られるけれど、これも「十面埋伏勢」とは違うのかな?

 

『手臂録』「馬家槍二十四勢説」の辺攔勢」

 秘本長槍法図説』には「辺攔勢」はないけれど、同じ程宗猷の『少林棍法闡宗』には「辺攔勢」と「群攔勢」がある。(『中国古典武学秘籍録 上巻』)

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「捺」法については、『手臂録』「附巻」の「行著」(これも『峨嵋槍法』の一部?)には「小提と反対(与小提相反)」と出ていて、「小提」を探すと、その直前に「提の小さき者(提之小者)」とあるのは別として、「革法一篇」に

小提:攔の緊小なるものである。拿・攔に習熟したら次第に(動作の幅を)緊小に収めてゆく。(この勢の)遊場における変化は神の如しである。これは敬岩真如の心血である。冲斗はこれを「小手先の技だ(小巧用耳)」と評したが、少林棍の見識で峨嵋槍を論じるとは、まさに隔靴掻痒である。 

小提:拦之紧小者。拿拦久熟,渐渐收为紧小,游场变化入神,此敬岩真如心血也。冲斗评此曰:“小巧用耳”。以少林棍之见识论峨嵋枪,真是隔靴瘙痒。…⑥

とあって、呉殳はこの技を高く評価していたことが伺える。

ちなみに、「抱琵琶勢」は騎龍、伏虎を畏れるという。 

---------

①の中にでてくる「無中生有」について、『手臂録』では、「馬家槍二十四勢説」の「霊猫捕鼠勢」の説明のなかで

「古訣に曰く‘すなわち、無中生有槍法である。’…」

とでているほか、峨嵋槍法』の中では「扎法篇」のなかで、相手に纏槍された中から退いて、回龍槍を用いることを「無中生有」と説明している。その少し前の記述にも、「相手の槍が来たら、その槍に従ってやや後退し、相手が槍を収めたら、その隙に乗じて入る」ことを回龍扎とし、石敬岩はこれを「就」と名付けている、と説明している。

石敬岩の「就」法については、『手臂録』巻二「戳法」(潘氏抄本)に

就:真如は「回龍扎」と名づく。口伝がある

就:真如名“回龙扎”,有口授。…⑦

 

とあって、『秘書録』下巻の『無隠録』を見ると、もう少しだけ詳しく

就:槍来たり、我、蹲坐して少し退く。彼の槍を収めるを見て、虚に乗じて即ち入る。真如は「回龍槍」と名付ける。

就:枪来,我蹲坐少退,看彼收枪,乘虚即入。真如名回龙枪。…⑧

と書いてある。前手の掌を上に向けているところがポイントのような気もするけれど、少なくとも絵の上では、「鈎槍勢」とはあまり似ていない気がする。

 

〇 『手臂録』「馬家槍二十四勢説」の「霊猫捕鼠勢」(『中国古典武学秘籍録 上巻』)

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…というような感じで、なんとなく「鈎槍」についてわかったつもりになっていたら、『手臂録』附巻峨嵋槍法』では③④⑤の箇所以外にも「行著」の箇所で「鈎槍勢」は説明されているところがあった。その説明は以下のとおりで、地の文は程真如の原文を呉殳が編集したテキスト、カッコの部分はそれに呉殳自身が添えたコメントだとすると、程真如も呉殳も、(特に呉殳は)この技の事を実用的ではないとして、厳しい評価をしていたことがわかる。

 …というよりも、そもそも真如・呉殳は「活掤対」「死掤対」「活掤退」「翻身掤退」「鈎槍勢」の五法について、程宗猷(冲斗)がいうように、敗槍の状態から形勢を立て直すことなど無理だと言っていることがわかる。

 

「鈎槍勢 :圏外に敗槍を救う。前手を失ったとき、前足を急ぎ後方に移す(孟浪(けいそつ)の極みか。必ずや間に合わず)。左手の槍を急ぎ仰掌で一鈎す。左肘はきつく脇下につけ、もって槍を開く(妄語である)。この五法、いずれも冲斗より出る。前の四つがすでに疏ましいが、鈎槍はさらに誤謬である。ここに留めて、執迷を破らんとする。槍法に非ず。

钩枪势:救圈外败枪,失前手者,急移前足于后(孟浪极矣,必来不及),左手急枪,仰掌一钩,左肘紧贴肋下,以开其枪(妄语也)。此五法皆出于冲斗。前四势已疏,钩枪更谬。留此以破执迷者,非枪法。 」…⑨

 

その他、『秘籍録』が底本にしている『手臂録』のテキストには無いものの、許金印『手臂録校註』には、後巻下の『夢緑堂槍(鎗)法』「程冲斗十六槍(鎗)勢」の「鈎槍」の部分で、歩を進めて左手で槍をつかもうとする間に、「相手の槍で十回も刺されてしまうよ」という語が記されている。相当この技が気に入らないのだと思う。

 

〇許金印『手臂録校註』後巻下の『夢緑堂槍(鎗)法』「程冲斗十六槍(鎗)勢」の「鈎槍」

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…ということで、いろいろ調べてはみたものの、これらの技はそもそもあまり実用的ではないということで、振り出しに戻ってきた気がする(苦笑)。でもまあ古典を読みこむ練習になったし、頭の体操というこの電子メモ帳の趣旨には適っている。なので、それもまたよし。

 

〇「秘本長槍法図説」の「活掤対進槍勢」「活掤退退槍勢」「死掤対槍勢」「翻身掤退退槍勢」 (『中国古典武学秘籍録 上巻』)

 

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許金印『手臂録校註』によると、『手臂録』の「騎龍勢」と「長槍法選」の「鈎槍勢」はまったく異なる勢であるのに、故宮本『手臂録』をはじめとしていくつかの写本では、「騎龍勢」の挿図に「鈎槍勢」が使われていることを指摘していて、参考になる。

 

許金印『手臂録校註』

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唐豪『少林拳術秘訣考証』

数年前にメモを書こうと思って読み始め、途中で挫折していた唐豪の『少林拳術秘訣考証』をなんとか読了。

 

少林拳術秘訣考証』(山西科学技術出版社版)

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尊我斎主人の『少林拳術秘訣』とそのベースになっているといわれる『少林宗法』は清末の革命志士が日本の武士道論の影響を受けて書いたものであることを論証したものだけれど、日清・日露戦争後盛んになった武士道論の中国への影響(柔術という名称や、禅の工夫による恐怖心の克服という、中国にはなかった方法が採用されていることなど)を具体的に記したものとしても、とても興味深かった。

ちなみに唐豪によれば中国の伝統的な恐怖心の克服(練胆)法とは、禅の工夫ではなく、戚継光が『紀效新書』に書いたように、人より優れた技を身につければ自信がついて、おのずと恐怖心は消える(=藝高人胆大)ということらしい。そう解釈すると、以下のリンクにあるようなイチローの考え方(「準備とは言い訳を排除すること」)に通じるものがある。

 

tabi-labo.com

 

その他、とりあえず気づきの点をメモ。

1.

本書のなかで日本の武士道論の著作をあげてその影響について論じた主な部分をメモ(長いけど、具体的な書名など含めて興味深い。この議論は個別の箇所で繰り返し出てくる。)

  宗法以禅観練胆、何由見其従日本転販過来呢?査日本古代、分貴族武士平民為三個階級、而皆信仰中国伝来的佛教。武士寄生於貴族、非軽生楽死、貴族即不為用、当源平争覇時代、兵戦靡已、禅宗的生死観、深合於武士們的心理修練、故其宗風、因而大張、成為彼邦武士練胆的惟一法門。時隔七百余載、新渡戸稲造於明治三十二年、為宣伝其甲午戦勝的精神因素、用英文写了一本武士道出版、旧調重弾、此風又開、他們一面体外誇張、一面対内鼓吹、宗法作者受其影響、決不能在明治三十二年以前、這是可以肯定的。

  考清原貞雄武士道十講、謂継新渡戸稲造武士道而出版的作品:有三十四年井上哲次郎的武士道、三十五年佐藤巌英的精神講話武士道、山岡鉄太郎的武士道。三十七年日本武士道研究会的日本武士道之神髄。三十八年久保得二的武士道史譚与少年武士道之訓、井上哲次郎与有馬祐政的武士道叢書、秋山悟庵的現代大家武士道叢論。三十九年安芸喜代香的土佐之武士道、佐賀藩僧侶的葉隠集。四十年秋山悟庵的禅与武士道、蜷川達夫的日本武士道史。四十一年山方香峰的新武士道、葦名慶一郎的日本武士道気質、岡元慶的武士道実話、緑園生的武士道小説叢書、熊田宗次郎的女武士道与少年武士道。四十二年東郷吉太郎的軍人武士道論、大畑裕的武士道与家庭、重野安繹与日下寛的日本武士道、池辺義象的武士道美譚。這些書裏、一定含有宗法所根拠的理論、可資考証、但目前因為日本正在瘋狂地侵略中国、必須等到抗戦勝利以後、方能乗風破浪、去到他們図書館裏、尋找此等史料、以供徴引。茲就手頭蔵有的文献、足為鄙説佐証者、略挙二三、以窺一斑。

  明治四十一年、日本副島八十六所編開国五十年史:大隈重信在本邦教育史要一篇内、謂鎌倉室町時代的武士修養、精神上以死生観念為心的磨礪、身体上以弓馬刀槍為武的鍛錬。藤岡作太郎在同書風俗変遷一篇内、謂日本国民的武士道、是受三種影響所合成:其一、受武家時代連年戦乱生活貧困的影響。其二、受重実行而卑空想的儒教影響。其三、受三界唯心、死生一如的禅観影響。高楠順次郎在同書佛教一篇内、謂武士道的精神修養、多由禅宗的櫜鑰鎔鋳而出。並且指明這是在維新以前、由佛教的余恵所結成的果実(此書商務印書館有譯本、可資参考、惟不尽与原文相合)。其外、光緒二十八年、羅孝高譯日本維新三十年史、第七編宗教史内、也提及「源平由遞興、武士以禅定直入而悟道。」光緒三十年、帝制余孽楊度序梁啓超的中国武士道、謂「日本無固有之学術、自与中国交通以後、乃以中国之学為学、直接而伝中国之儒教、間接而伝印度之佛教、挙国中人、無能出此二教之範囲者。夫此二教者、其義相反、而其用相足者、何以言之?孔子之道、専主現世主義、諄諄於子臣弟友之節、仁義礼智之道、経伝所載、惟於身心性命家国天下之関係、反復言之、而於有生以前、既生以後、皆不過問、故曰未知生、焉知死?又曰吾欲言死有知乎、恐孝子順孫妨生以事死、吾欲言死無知乎、恐不孝之子棄其父母而不葬、故惟言朝聞道可以夕死、無求生以害仁、有殺生以為仁、以此数語為其教戒而已矣。蓋儒教対於生死問題、乃以局外国而厳守中立者也。其切於人事之用、自非他教所能及、故有謂儒教非宗教者。若夫佛教則不然、釈迦本以此死生問題、棄其王子之位、三衣一鉢、入山学道、彼時覩天地念無常、覩山川念無常、覩万物形体念無常、径十二年、而一旦於菩提樹下、豁然大悟、其後広説妙法、普済衆生、皆無不準此問題、以為済度。以三界為火宅、以此身為毒蛇、特立十二因縁、以明生老病死、因果環復、苦業無窮、而以滅去無明、免此生死為唯一之手段、以為身者衆苦之本、禍患之源、又以生死皆由于心、若心滅則生死皆滅、龍樹諸人譯之、又謂所有一切法、皆是老死相、終不見一法、離生死有住、皆対於生死問題而力求其寂滅者也。此与儒教教義、実為大相反対、而日本学之、則反能得二者之長、而相輔相助、以了人生之義務、故其人於成仁取義之大節、類能了達生死、捐躯致命以赴之。」楊氏所言、与藤岡作太郎之語契合無間、可証明治時代、日本武士道諸書中、発揮禅宗的生死観、必甚普遍。楊序又謂:「予聞梁氏将述武士道之死生観別為一書、曰死不死。」梁氏於中国武士道外、至欲再著死不死一書、以励国人。可見満清末造、無論保皇党与革命党、受日本武士道影響的、皆有其人、宗法作者、僅僅之其中的一員而已。

  新渡戸的武士道、為中日戦争而作。日本武士道之神髄、武士道史談、少年武士道之訓、武士道叢書、現代大家武士道叢論、為日俄戦争而作。前者是弱肉強食的侵略戦、後者是新旧帝国主義的争奪戦、日本智識分子不暴露這種戦争的本質、而以宗教色彩的武士道、麻酔其国民、這当然是所謂神国也者的一貫政策。

  沈寂了二十年左右的武士道、他們自九一八以来、又利用這件老法実作宣伝、希図在侵華戦事中発生相当作用。昭和九年横尾賢宗的禅与武士道、其上篇第八章、極力以生死透脱来鼓吹其国民、作盲目的犠牲。昭和十三年梅田薫的精神強化療法、其第六篇以「禅為超脱生死、消滅一切恐怖心的方法」、及「坐禅養成武士的胆量、有巨大助力」等理論、強化其国民的精神。

  読者若将宗法第一第八両篇的禅観練胆法、与以上所引的日本武士道理論作一対比、立刻就能够領会其是転販過来的。

  従宗法的慣用柔術二字来観察、作者一定僑居過日本、其僑居的時期、一定在明治三十四年---即光緒二十七年以後、否則、不会受這種理論影響的。

  宗法作者、為甚麼要採取日本武士道理論入其書中呢?推其用意、大概在激発同志、解脱於恐怖罣礙之中、了却生死関頭、以応其革命的要求。但無意中却留下一個重要証拠、使著者得以証明宗法的撰述時期。PP.35-42

2.

緊那羅伝説に関して、唐豪は当時の碑文などを検証して、緊那羅が紅巾軍から少林寺を守ったという伝説にかかわらず、実際には少林寺は紅巾軍によって占領され(原文では「失守」)、僧侶たちは寺を離れて近くの村に非難していたと考えていることがわかる(「六 秘訣的棍法」)。この説を紹介しているものをほかにみた記憶がないけれど、現在ではどう理解されているのか気になる。

 

3.

また同じように清の康熙・雍正・乾隆年間の碑文や筆記の内容をリストアップし、ここに出てくる僧侶の名前を挙げて検証する手法で、清朝少林寺を弾圧したとする説は成り立たないことを証明しているのだけれど、具体的な碑文とそこに記された僧侶の名前、碑文の年代などを一つ一つ丁寧に掲げるという論証の仕方で、とても説得力があると思った。

 

〇二つの表の、それぞれ一部

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4.

内家拳外家拳という議論に関して,唐豪の説明によると、『少林宗法』の作者は、気功を原則とする少林の武術はすなわち「内家」であると考えているのに対し、『秘訣』の作者は、(その考えが通説とは異なることを気にしてか)少林を直接に「内家」とみなすことは避けつつも、一貫以後の少林武術は馬士龍の気功の要素が加わり、内家と外家が一体化して(内外家合而為一)、両派を兼ねており(以少林派而兼内家)、これによって内家と外家の区分は存在しなくなったと考えていることがわかるという。このあたりの、少林の側から見た内家・外家の考え方は、太極拳などから見た内家・外家の考え方とはやや違っていて、面白いと思った。

 

5.

『行健斎随筆 唐豪太極少林考』に収録されている顧留馨の「憶唐豪」という一文にこの本について触れた箇所がある。それによると、『少林拳術秘訣考証』が書かれたのは1941年だけれど、その後唐豪自身の研究の深まりにより、唐豪は1957年にこの本に対して改定を行っているという(注)。今回参照した山西科学技術出版社版は民国三十年(1941)版で、その後の修正版ではないので、もし修正版というのが公刊されているのであれば、どこが違うのか確認してみたい。

 

(注)その部分の原文

解放后,唐豪的思想有了新的提高,对此书见解也有所发展,有些见解就不同于当年了,1957年,他对此书曾着手进行过修改。

 顧留馨「憶唐豪」『行健斎随筆 唐豪太極少林考』所収 山西科学技術出版社版

 

 6.

5.で 顧留馨がいう「改定(修改)」との関係はわからないけれど、唐豪のその後の著作の中で、このテーマについて触れているもの。上の引用で列挙されている武士道論の本の中では『葉隠』に言及されている。

(1)旧体育史上附会的達摩(1958『中国体育史研究資料』)

  十八罗汉手的附会

  考出少林宗法的著作年代,也就连带考出什么时代开始附会十八罗汉手”为達摩所传。从《宗法》理论上考察,证明这部书作于19世纪末叶,从而证明“十八罗汉手”的附会达摩就在同一个时期。

  书中采用日本柔术名称《宗法》作者在第一编里说:“术以柔为贵”。接着又说:“出手不知师法,举步全无规则,既昧于呼吸运使之精,复不解刚柔虚实之妙”的“下乘拳技,不得混以柔术称之”。从以上理论可以看出,这部书里采用日本柔术来改称我国拳术,是本于“术以柔为贵”这个基本理解出发的。“不得混以柔术称之”,是演绎出来的结论。要不是《宗法》作者曾和日本人接触过,不会采用这个名称。

  书中采用日本武士道理论:《宗法》第一篇“以参贯禅机,超脱于生死怖之域”为柔术“极致所归”的理论,第八篇以解脱生死”为少林“内功”的理论,无一不出于日本武士道,在《宗法》以前我国出版的少林武术书中是根本没有的。“解脱生死”的日语为生死を超脱すろ(ママ)”,源出于日本宝永七年(1711)享保元年(1716)之间的山本常朝语录《叶隐》这部书里。常朝为九州佐贺的锅岛藩家臣,学禅于湛念和尚,42岁出家,是18世纪初年的封建武士。他的理论,被后出的《武士禅机缘集》等书所发挥。日本明治时代利用这类封建武士道理论麻醉其本国人民作炮灰,以达到军国主义侵略的目的---特别对中,朝两国。要不是《宗法》作者曾和明治时代的日本人接触过,不会采用这种理论。

  书中的五拳即洪拳:主编天铎报》副刊的陈铁生说:在辛亥革命前夕未刊出的《宗法》“图像手法,纯是广东之洪拳“。洪拳是洪门假托少林传习的一种拳术。在清朝,加入洪门时要作如下的问答:”武从何处学习?在少林寺学习。何艺为先?洪拳为先。”又:“尔武从何处所学?武从少林寺学。学乜件为先?洪拳为先”。同盟会和中华革命党的洪门秘书,也有这样的回答。《宗法》第六篇和第九篇,以”洪门”为拳中的正门,即暗示此拳的来历。由此可以推定,《宗法》作者是洪门中的成员。

  《宗法》作者接触的日本人:1956年11月10日,《中国青年报》4版曾刊载孙中山,郑士良,陈少白等合摄的一张照片,并附以说明:”1885年中法战役,中国失败给孙中山以很大刺激。在这一时期他结识三合会洪门)首领郑士良和陈少白等人,倡导革命。”据《中国秘密社会史》作者说,日本宫崎寅藏,可儿长一,平山周,山田良政是在光绪二十三年(1897)参加孙中山领导的资产阶级民主革命的。《宗法》作者可能在1897年就和她们有过接触。

  《宗法》作者与孙中山的思想:《宗法》作者在第二篇中说:”吾宗之练习此术(洪拳),乃有爱国思想存乎其间,诚恐筋肉废弛,不能报国,东海可移,此志莫易,磨练筋骨,留以有待,故吾人歹夜孜孜,以俟机会。”孙中山在自传里说:”二十余年之前,革命之成否尚有问题,故未敢表示兴中会之本旨为倾覆满清者。”兴中会会章第八条,称其筹集革命运动的经费为”爱国之诚”,《宗法》称其革命活动”有爱国思想存乎其间”,这正和孙中山的初期革命活动思想一致。

  《宗法》作者的附会:根据 《宗法》作者的采用日本柔术这个名称和日本武士道理论以及表现的思想,我推定这部书的著作时期当在公元1897年之后的兴中会革命运动时期。作这部书的目的,在于联络洪门成员参加孙中山领导的资产阶级民主革命。

  但辛亥革命前后以孙中山为代表的知识分子,由于他们身受狭隘的资产阶级利益的局限性,这种民主主义革命便不能不以失败告终。”

  根据以上考证,现在来对十八罗汉手”的附会达摩作分析。《宗法》第八篇说明  “十八罗汉手”“挽弓开胸”一势:“此与世俗所传之八段锦中‘左右开弓如射雕’正复相类。”这一种八段锦,最早出版的是上海同文书局石印本。从《中国近代出版史料》二编考出,同文书局的开设在光绪七年(1881)。《宗法》所说的“世俗所传之八段锦”袭用光绪十六年(1890)盛宣怀《幼学操身》序文中“世俗所传八段”之语而加上一个“之”字,这是我推定《宗法》作于1897年之后的兴中会革命运动时期的佐证。附会达摩在少林传“十八罗汉手”的《宗法》第八篇,其中有日本武士道理论,这是我推定《宗法》作于1897年之后的兴中会革命运动时期的又一个佐证。十八手的附会达摩,从而也可以推定在这个时候。

  继起的附会:1915年出版的少林拳术秘诀》,它的第九章就是《宗法》的第八篇,所以附会相同。1919年出版的《中国体育史》作者,倾心行销近三十版的《秘诀》“十八罗汉手”的附会是真事,在第四编第三章里作出结论说:“少林拳实始于达摩之十八手,其动作姿势为(少林)拳术之基础,后人推衍,终不能畔其藩篱。”又在第十编第二章里作出结论说:“技击之为术虽古,而有一定之成法足资人以学习,则自少林始。达摩之罗汉十八手为拳术之基础,故我国国技之发达,以释家之功为巨。即宋人之八段锦,亦自达摩十八手脱胎而出--如所谓‘两手托擎天理三焦’,即‘朝天直举’之二手,‘左右开弓如射雕’,即‘挽弓开膈’之一手,可知吾国体操术之发明,皆释氏之力矣。”把19世纪末叶附会达摩的“十八罗汉手”,当做6世纪时达摩所创所传,作出的结论自然不会对头。达摩根本没有传过什么体操给少林僧,我国的体操和拳术远在达摩之前就有自己的发展历史,与达摩毫不相干。宋朝的坐式八段锦,还没有“两手托擎天理三焦”和“左右开弓如射雕”这类名称。开始有这两个名称的立式八段锦,出现于公元1881-1890年之间,“十八罗汉手”里面类似的三手,只能说它脱胎于立式八段锦,这才不至于颠倒事实。我国拳术的基础,我国体操的发明,何尝“以释家之功为巨”,何尝“皆释氏之力”。前面所说5世纪末少林小和尚们爱好的摔跤,跳跃,拳击,都是我国早有的体育活动,也不是跋陀从印度带来。19世纪末叶洪门附会的达摩传“十八罗汉手”给少林僧是假托的。洪门成员并不是少林僧,更谈不到它的传播是“释家之功”和“释氏之力”。『行健斎随筆 唐豪太極少林考』所収 山西科学技術出版社版 PP.33-36

 

 

(2)中国医療体育概述

5.1915年出版的《少林拳术秘诀》,书内的达摩十八手强身术,原文说明中“挽弓开膈”一手,与光绪初年“所传的(立)八段锦‘左右开弓如射雕’正复相类”,可见十八手是在光绪初年后才附会达摩的。辛亥革命以后,陆续出现的,还有《达摩剑》和《达摩派拳诀》等书,都假托一千几百年前达摩所传。『行健斎随筆 唐豪太極少林考』山西科学技術出版社版 P.44

 


笠尾恭二編訳『宗法図説 少林拳術秘訣 いま甦る秘密結社の少林拳』が中古版でアマゾンに安価ででていたのでとりよせてみた(右)。

 全訳ということになっているけれど、大意に影響のない範囲で個別の語句の訳が省略されている気がする。

 

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〇メモとは直接の関係はないものの、羅漢十八手の動画

www.youtube.com