中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

ベルリンオリンピックの国術代表団3(領隊、監督員、選考委員)

調べものをしていて、以下の記事に、「鼻子李」こと李瑞東の弟子の李子廉の弟子に郝明という人がいて、ベルリンオリンピックの国術代表団の引率(領隊)を務めたと書いてあった。おそらくは、張文広『我的武術生涯』等では郝銘と書かれている人物のことだと思われる。当時は南開大学の国術教官を務めており、ベルリンの代表選考時には、褚民誼、張之江、徐致一、葉良、何忠義とともに、代表選考の審査委員も務めている。

国内外300位武术友人齐聚廊坊研讨李派太极_河北新闻网

 

審査委員のうち、褚民誼、張之江、徐致一はいいとして、葉良というのは、上海市国術館の常務董事や教務科主任をつとめた人らしい。何忠義についてはいまのところ未確認。

なお、張文広『我的武術生涯』は、代表選考は上記のとおり褚民誼、張之江、徐致一、葉良、何忠義の6人が選考委員になり、南京国術館の競賽場で選考(初選)が行われたとしているけれど、武術研究院の『中国武術史』(1996)は、褚民誼が招集して褚民誼、張之江、沈嗣良、葉良の四人が選考委員になり、上海申園健身房で選抜の表演が行われたと記している。以下の記事には両方からの引用がある。この間の事情は未確認。

王正廷(1882~1961年)奥运先驱 ——中国武术在线 名人名家

 

〇上海国術館の紹介 葉良の名前がでている

www.wuyitang.com

代表団(男子)左から、張文広、金石生、寇運興、郝銘、顧順華、温敬銘、鄭懐賢、張爾鼎

出典:台湾精武体育会のブログ

f:id:zigzagmax:20171119230435p:plain

 

代表団の監督員をつとめた顧舜華は上海交通大学の体育館の副館長で、入場パレードでも旗手を務めている人らしい。(旗手をつとめている写真は見た気がするのだけれど、見つけられない。)「国民簡易体操」のレコード『太極操教本』(三通書局 1941年)、『国民体操』(中央青年幹部学校, 1943)などに名前が見える。

上海交通大学といえば、その前身の南洋公学以来、いちはやく武術を取り入れた学校として知られることは以前にメモした。

 

zigzagmax.hatenablog.com

 

余談ながら李瑞東の弟子のうち、高瑞周は、京劇の梅蘭芳太極拳の師としても知られ、梅蘭芳との推手の写真が残っている。李派太極拳の代表的な套路・太極八卦奇門拳の動画とあわせてメモ。

 

高瑞周_百度百科

梅兰芳先生练习太极剑片段_腾讯视频

www.youtube.com

 梅蘭芳(右)と高瑞周(左)

出典:https://kknews.cc/history/q24y49o.html

f:id:zigzagmax:20171119230720p:plain

 〇梅蘭芳

出典:https://kknews.cc/history/q24y49o.html

f:id:zigzagmax:20171119230835p:plain

 

 一番上の記事に戻り、廊坊武術協会の主席で李派太極拳の張紹堂の李派太極拳

www.youtube.com

武術賽事の管理強化、ジャック・マーの『功守道』、「峨眉武術発祥の地」など

11月4日に開かれた雲南省武術協会の全体委員拡大会で、胡宝林が全会一致で主席に選ばれたらしい。

胡宝林といえば、自分が武術を始めた頃の現役選手で、四川の任剛とならぶ通背拳の名手だった。ライバル任剛は四川省武術協会の主任としてさまざまなアイデアを打ち出しているけれど、胡宝林主席(トップ役職名は省によって違うのかな)の手腕やいかに。

雲南省將重拳出擊遏制武術界亂象-新華網雲南頻道

 

〇胡宝林

出典:沙国政武術館の公式ウェブサイトより 

 

会議では、8月に発表された国家体育総局の武術の賽事活動の監督管理強化に関する通知が周知された模様。雲南以外の各省でも同じような会議が開かれて、総局の通知を皆で「学習」しているんだろうか。

 

〇国家体育総局の通知

出典:體育總局下發文件 加強對武術賽事活動監督管理-體育新聞-新浪新聞中心

f:id:zigzagmax:20171112205934p:plain

 

 

------------- 

おりしも、同じ11月4日に昆明で行なわれていた『武林風』の試合では、今年の3月以来、 武僧一龍の対戦相手を決めるために参加した8名の選手の中から勝ち上がったムエタイシティチャイ・シッソンピーノン(西提猜)と一龍の試合がついに実現するも、一龍は2ラウンドでKO負けしたことが話題になっている。そもそも『武林風』という河南衛視の番組のために作られた英雄の一龍とシティチャイ・シッソンピーノンではレベルが違いすぎるという声も聞こえてくる。(チェックしていなかったけれど、2015年6月に行われ、一龍が判定勝ちした、プアカーオ(播求)との一戦も大いに物議をかもしたらしい。詳細は以下の鳳凰週刊のオフィシャルブログに詳しい。)

 

blog.sina.com.cn

 

--------- 

 

 8月に発表された国家体育総局の通知は、上記のような賽事活動の監督管理強化という題目だけれど、民間において勝手に新しい流派を作ったり、「宗師」、「正宗」を名乗って大衆を欺いては行けない、といった内容も含まれている。この点について、以下の記事などを見ると、80年代の調査に基づいて、現在武術運動管理中心が認定している流派を129種類と紹介している。90年代にはいって木蘭拳に対して130番目の流派認定が行われているはずなのに、そのことに触れられていないのは、取材を受けた武術運動管理中心の「工作人員」も、裏をとらない記者も、プロとしていかがなものかと思う。(まさか、130番目の流派認定自体が、木蘭拳による宣伝だった、ということはないと思うけど・・・。)

 

www.sohu.com

 

----------

 ふと目を転じると、ちょうど昨日(11月11日)、アリババのジャック・マー主演のショートムービー「功守道」がネットで公開された。

v.youku.com

ジェット・リーは「功守道」はたんなる映画ではなくて、太極拳の発展形(対極推手が太極拳のバージョン2.0だとして、功守道はバージョン3.0だという言い方をしている)であり、大衆向きの種目として普及させ、最終的にはオリンピックの種目にしたいというようなことを述べている。

この作品を見ただけでは、いったい「功守道」がどんな競技なのかよくわからないけれど、こういう新しい競技として普及させようという動きというのは、管理強化を打ち出したばかりの武術運動管理中心の目にはどう映っているのだろう。「雷公太極」という流派を作るのはダメで、「功守道」を作るのはいいのだとしたら、両者の違いは何なのか。そのあたりは気になるところ。

  李连杰介绍,功守道是以中国传统武术太极为基础发展出来的一项全新的运动项目,“如果把推手看作太极的2.0版本,那么功守道就是在推手上再升级的3.0版本。”

   据悉,《功守道》电影推出之后,功守道赛事也将在11月亮相。

   李连杰说,他希望把功守道发展成一项体育产业,不仅有专业联赛,更成为一项全球普及的大众体育运动,最终成为奥运会的正式比赛项目。“

李连杰:终极梦想是中国太极进入奥运会——新华网——湖南

 

------------- 

ちょうど、このメモを描き終えようとしていたら、峨眉山の中峰寺で、「峨眉武術発祥の地」の石碑の除幕式が行われたという記事が流れてきた。

news.sina.com.tw

峨眉派武術の起源については、記事の中でも「峨眉武术究竟起源于哪里,多年以来在武术和文化领域说法不一。」と書かれているとおり、諸説がある状況だと思うけれど、この時期この碑が作られた背景についてはよくわからない。

こうした石碑やプレートに関しては、2007年、河南省温県陳家溝で『中国武術太極拳発源地』のプレートのお披露目が物議を醸したことと、嵩山少林寺に建てられた「世界詠春拳帰山記念碑」をめぐる騒動が記憶に新しい。これも、広い意味で、「正統派」をめぐる混乱が原因であると考えると、きちんと整理整頓してほしい気もする。

baike.baidu.com

 

以上、やや雑多にここ数日気になったニュースをメモ。 

峨眉派趙門と太祖拳、営口の起順鏢局、綏遠の得勝鏢局など

1.紅拳、「峨眉派趙門」、太祖拳

少し前に『全球成功夫網』に載っていた安徽省蚌埠の太祖拳についての記事が面白かった。

 

www.qqgfw.com

 

说起太祖拳,其实是精湛的拳种,属“红拳”,拳术套路和器械套较多,由于传承甚少,为知不多,究其原因还是宣传交流不够,蚌埠的太祖拳系峨嵋派“赵门”拳法,是由上世纪初期由关外营口起顺镖局镖师时忠常40年代初期传入蚌埠的

 

 さらっと書かれているけれど、ここでは蚌埠の太祖拳というのは紅拳の一派で四川につたわった「峨眉派趙門」で、営口の起順鏢局の鏢師・時忠常(山東・歴城の人)によって1940年代に蚌埠に伝わったものだと紹介されている。

 前にメモしたとおり、四川に紅拳をもたらしたのは、『少林拳秘訣』にもでてくる三原の高氏で、「鷂子高三」こと高占魁のことだと思われる。その「峨眉派趙門」が遼寧は営口の元鏢師を通じて蚌埠に紹介されるというのが面白い。このあたり、どういう繋がりになっているのか、もう少し詳しく知りたいところ。

 

2.営口の起順鏢局

 「每日头条」に転載された営口歴史弁公室史の王琬「高手云集的清代营口镖局」によると、営口の起順鏢局は1884年、直隷静海の人・張起順によって設立されたらしい。

 記事では、『実業之満州』(後述)によりつつ、光緒三十一年(1905年)時点で、営口には23家の鏢局、鏢員367人がおり、一流の鏢局には日昇、福順、全也、二流の鏢局には興順、万成、義州、魁成、永発、永元、順成、順声、興隆、金源、三流の鏢局には福成、魁元合、復興東、匯聚、金城があるとしている。起順はこの分類の中にでてこないけれど、かつてはもっぱら(営口と)北京との間を行き来する、最も有名な鏢局であったらしい。鉄道輸送の興隆と鏢師の高齢化によって、1906年には張静海の長子の張永発が「永発茶館」に改業したということなので、1905年の時点ではすでに経営は左前になっていたのかもしれない。鏢局が店をたたんで茶館になるというのは、会友鏢局の李堯臣が鏢師を引退して「武術茶社」を営んだことと似ているけれど、業界の一つのスタンダードな転職のパターンだったのだろうか。

 時忠常は起順鏢局の閉鎖後、張宗昌の済南の講武堂、馮玉祥の部隊で教官を務めたり、北京、丹泰(江蘇)、上海、雲南、四川などを経て安徽に到り、武術の指導と骨董品の販売を営んでいたという。

 ちなみに、営口と北京を結ぶ起順鏢局に対して、営口から奉天の方にゆくのが日昇、錦州の方にゆくのが福順だという。

 

《实业的满洲》记载,清光绪三十一年(1905年),营口共有镖局23家,局员367人。一流的镖局有日升、福顺、全成;二流的镖局有兴顺、万成、义州、魁成、永发、永元、顺成、顺声、兴隆、金源;三流的镖局有福成、魁元合、复兴东、汇聚、金城等。走奉天的日升、走锦州的福顺,专走北京的起顺是营口最有名的镖局。

https://kknews.cc/zh-cn/history/b9gkq9.html

 

 そういえば、『逝去的武林』で傅昌栄が薛顛と腕試しをしたのも、「関東営口的一家糧店」(P.41)。このことも、営口という土地が、この時期、武術家が集まるところであったことを窺わせる。

 

3.営口のその他の鏢局

 王琬「高手云集的清代营口镖局」には、個人名として、起順鏢局の創始者「神腿」張起順のほかに、徳勝鏢局の鏢師で営口練軍営の武術教官も務めたという栄振武、日昇鏢局で鏢師を務めた李茂春の名前がでてくる。

 このうち、栄振武の伝えた武術は、弟子の趙如川に伝わり、趙の武術は「元功拳」として今に伝わるらしい。

 三代人百年传承“元功拳”- -辽宁新闻,第一时间播报辽沈地区新闻,北国网新闻频道

 

 李茂春については、中国人民政治協商会議天津市委員会文史資料委員会編『近代天津武術家』に、やや物語調の詳しい伝記があるけれど、大連の南山武術研究会で指導していた頃に、日昇鏢局に請われて一度だけ荷物警護の任務を引き受けたことがあったらしい。

f:id:zigzagmax:20161210081803j:plain

 李茂春の娘の李文貞は中華人民共和国建国初期の剣術の名手。その教え子に遼寧省武術隊の教練を務めた劉幼貞がいて、劉幼貞が育てた選手に張少芸、劉清華がいる。劉清華はのち呉斌に見いだされて北京チームに移籍。劉清華の北京移籍のことは、現代武術競技のエピソードとして、楊祥全『中華人民共和国武術』にも載っていた。二人とも、現代中国の競技武術界を代表する名選手で剣の名手。こういうところで伝統は受け継がれているようにも見える。

 李茂春を招いた日昇鏢局については今のところ詳しい情報がない。

〇李文貞の「太極十三剣」

f:id:zigzagmax:20171105080047p:plain

f:id:zigzagmax:20171105080123p:plain

 出典:虎父龙女,武林佳话——李茂春、李文贞父女生平大事记(三)_星武太极_新浪博客

 〇劉幼貞の太極十三剣

v.youku.com

 

  徳勝鏢局という名前の鏢局は一つではなさそう。ネットでざっと調べただけでも、(1)営口の徳勝鏢局のほかに、以下のような情報がヒットした。

(2)八卦掌の梁振蒲が義和団事件後に郷里にもどって開設した徳勝鏢局。北京、保定、徳州あたりで活動。1928年活動停止。

 梁振蒲 - 维基百科,自由的百科全书

(3)上海市地方志弁公室の紹介によると、河南の回民で、上海で「得勝鏢局」を開いた王俊亭が、上海に来る前に北京で総鏢頭を務めていたのが「徳勝鏢局」であるという。上海で王俊亭のあとを引き継いだ甥の王效栄は徳勝鏢局を畳んで徳勝武術社に鞍替え。

 :::: 上海市地方志办公室 上海通网站 上海市地情资料库 上海市的百科全书::::

 ここでいう、北京の「徳勝鏢局」と、八閃翻の李徳川の経歴の中に出てくる「徳勝鏢局」とは同じなのかな?

 八闪翻简介

(4)清の同治年間(1862—1874)に吉林市の郊外・船厰にあったもの。河北省豊南県董各荘の肖家の人が設立したと伝えられる。肖家の三男の肖振傑と、「天罡隊」の宋景堂は義兄弟の契りをかわしており、その宋景堂は以前にメモした山東の農民反乱「黒旗軍」の宋景詩と付き合いがあったので、一時は朝廷による関係者処罰の累は肖家にまで及んだらしい。

清同治年间(1862—1874),吉林船厂有个著名的镖局,即德胜镖局,由河北省丰南县董各庄肖家创办。肖家子弟曾拜少林派十三世和尚玄修为师,学得最精熟的是“地蹚刀”。 

镖局传美名_溪汪_新浪博客

(5)(4)と同じ吉林市で「太極元功」を伝えた常晋卿(1979年没)の祖父は天津の徳勝镖局の名镖局であったという。天津にも徳勝镖局と名乗る镖局があったのか?

 第四代传人

 

www.cstjyg.com

 

(2)と(3)、(4)と(5)あたりは、もしかしたら同じなのかもしれない。

海灯法師の師・朱智涵も師事した呉春の紹介によると、呉春が鏢師を務めていた頃の北京の徳勝鏢局には、(3)の王俊亭がいて、さらに「肖么師」こと肖栄松という「肖」姓の鏢師がいたらしい。四川の中江広福あたりに住んでいたというので、四川方面から北京に貨物を運ぶのを請け負っていたのだろうか。この「肖」氏と、船厰で徳勝鏢局を開いた河北出身の「肖」氏の関係はどうなんだろう。

 巴蜀真人朱智涵道长_近古代时期_玄门之音_道长,朱智涵,真人,巴蜀,

「元功拳」とか「太極元功」とか、似たネーミングが出てくることもなんだか気になる。

 

 後述の綏遠の「得勝鏢局」は、湖北の「得勝鏢局」分局ということなので、上記(3)の上海の「得勝鏢局」とは違う模様で、「徳勝」とか「得勝」というのは、とくに珍しくないだけでなく、好んでつけられる名前だったのかもしれない。

 

 営口の荷物輸送業でも、海路をゆくものは、「船会」といわれ、数家があったらしい。

营口市武术协会副主席杨林的论坛发言:向梅花桩拳前辈学武二、三事(1)_昆仑功夫俱乐部_新浪博客

 

 このあたりも、それぞれもっと丁寧に掘り起こしてゆけば面白い気づきがありそうな気がするけれど、とりあえずは今後のために大枠のところをメモ。

 

4. 『実業の満州』、『中国封建社会の機構 : 帰綏(呼和浩特)における社会集団の実態調査』など

 上記の王琬「高手云集的清代营口镖局」で引用されている『実業之満州』とは、実は坂本箕山(辰之助)編集『実業の満州』(明治38年すなわち1905年刊)のことと思われる。『実業の満州』は国会図書館のデジタルコレクションでも公開されていて、239ページに「十一、営口の盗難保険事業」とあり、上記の引用の赤字にした部分に相当する「現今営口には此鏢局二十三戸其局員三百六十七人あり」の記述が確認できるけれど、その他の具体的な記述までは上記のページには記されていない。この本を隅から隅まで見ていけば、あるいは書いてあるのかもしれないけれど、その可能性は低い気もして確認していない。

国立国会図書館デジタルコレクション - 実業の満洲

 

 それにしても、戦前の日本は満州でこんなことまで調査して記録していたのだなあ。

もっと探したらいろんな記録が出てきそうだと思って、国会図書館のデータベースを改めて「鏢」をキーワードに調べてみたら、今堀誠二『中国封建社会の機構 : 帰綏(呼和浩特)における社会集団の実態調査』「第九章 サービス業ギルド」の第四節が「輸送保護の武術師と「鏢局」」と何とも興味深い見出しであることに気付いて、地元の図書館までデジタル版を見に行ってきた。

国立国会図書館デジタルコレクション - 中国封建社会の機構 : 帰綏(呼和浩特)における社会集団の実態調査

 書籍の出版は1955年だけれど、内田直作の書評によると、1944年5月から12月まで現地で行った社会実態調査の成果をまとめたものらしい。帰綏(フフホト)の得勝鏢局はその時点ではすでに活動を停止していたけれど、まだ看板は残っていて、興味をもった今堀誠二が同鏢局の元経理の陳栄祥を紹介され、取材した内容が記されていた。

 下の写真は、「私の希望にまかせて譲られた若ぶりの陳氏の写真」とのこと。馬はどことなくハリボテっぽい気も。こんな写真を名刺がわりに配っていたのだろうか。陳氏は山東出身の武術家の家系で、父親の代から得勝鏢局で鏢師をつとめてきた由。取材時点では、鏢局はすでに廃業して、馬車業を営みつつ、副業として接骨と膏薬を副業としていたという。

 

f:id:zigzagmax:20171104151541j:plain

出典:今堀誠二『中国封建社会の機構 : 帰綏(呼和浩特)における社会集団の実態調査』

 

最後に、営口を中心にした地図を貼り付け。営口を中心に、天津や天津、大連、瀋陽との位置関係が確認できて、なるほどと思う。 

f:id:zigzagmax:20171105074420p:plain

 

安徽の太祖拳をきっかけに調べはじめたら、思わぬところにたどり着いてしまったけれど、それがまた武術史の面白いところでもある。どんどん脱線して風呂敷を広げてゆこう。

 

 

 

「東北三省武術会」、「奉天武道振興会」など

1.海朝英

張作霖・張学良について調べていたら、海朝英という、孟村出身の武術家にたどりついた。

弾腿の名人で、なおかつ回教のアホンであったらしい。

弾腿のほかに鐵(黨)、鐵鞭、虎頭雙鉤が得意であったともいわれる。

百度百科の紹介では、1931年の「東北三省武術会」に参加し、その演武を見た張学良が彼に「名誉第一名」を授け、後に自ら清真寺まで銀盾を持っていったという。

 

宗教與武術的關系

baike.baidu.com

 

海朝英の技は、張貴森を経て、陳建任に伝えられている模様。同氏のプロフィールから。

1980 跟随著名武术击技大家海朝英传人张贵森老师练八极拳、查拳、弹腿、劈挂拳、散打。

 

baike.baidu.com

 

www.wenji8.com

 

張貴森の名前は、孟村で八極拳を学んだ張新倫のページにもでてくる。

www.zgwswhw.com

 

遼寧の海徳庫氏は、叔父の海朝英から、「十路回回弾腿」を学んだとある。

www.huaxiaxingyiquan.com

 

天津の海徳真は、海朝英の息子らしい。武術は伝えているのだろうか。

www.youtube.com

 

2.東北三省の省考

海朝英が「名誉第一名」を授けられたという1931年の「東北三省武術会」が気になって調べてみた。東北地方で最初の国考(省考)が1931年に瀋陽奉天)で満州事変の「前十多天」に行われているらしく、このことを指しているのではないかと思われる。

 

このときの優勝者は尚派形意拳の辛健侯で、長子の辛延海へのインタビュー記事がある。もともとは華北運動会の代表選抜を兼ねていたようだけれど、日本の占領により、その後は計画通り本戦参加とはゆかなかった模様。

 

〇辛延海へのインタビュー記事。辛延海自身も1947年の擂台賽に参加しており、その記述も興味深い。なお、この記事では、冒頭の海朝英についての言及はない。

尚派辛健侯系形意拳传承纪事

 

〇尚雲祥と辛健侯の写真

 1931年の擂台賽での優勝を報告に北京まで行ったときに撮影されたものという。

 出典:形意拳大师尚云祥与辛健侯先生的几张老照片

f:id:zigzagmax:20171029120623p:plain

 

そのほか、百度百科などで査拳の劉宝瑞をする紹介記事では、やはり張学良が、南京で行われる全国武術擂台賽の選手選抜のために1931年に打擂比賽を行い、劉宝瑞が他を圧倒して優勝した(占鰵頭)ものの、満州事変により南京の擂台は中止になった、と紹介されている。細部は別として話の構成が辛健侯の話とよく似ている。擂台賽が二度行われたとは考えにくいので、どこかで混じってしまっているように思われる。

 劉宝瑞は回族で、査拳のほか、双鈎が得意というのは、冒頭の海朝英と重なるところがある。

1931年,南京要举办全国武术擂台赛,为选拔武术高手,张学良在小河沿举办打擂比赛,刘宝瑞和徒弟张贵元也参加了打擂。这次打擂,刘宝瑞力压群雄,独占鳌头。不久“九·一八”事变发生,南京擂台取消。

刘宝瑞(中国当代武术家)_百度百科

  

3.「奉天武道振興会」

奉天を日本が占領すると、もともとあった遼寧国術館などは閉館になり(注1)、日本人を会長とする「奉天武道振興会」が成立、瀋陽では29の武術団体(武館、拳坊)が同会の認可を受けて活動していたらしい。

 

たとえば

・北市場「四海昇平」茶楼の隣の辛健侯の拳坊は第一分会

・北市場関帝廟の張鶴久の拳坊は第四分会

 ※以上は、上記の辛延海の取材記事から

・地功拳の周躍武の武館は「武道振興会十二支会」

 辽沈地功拳曁出征中國香港武术大赛 - 美篇

・大連出身の蟷螂拳家・王慶斎の皇姑区の拳房は「奉天武道振興会第26伝習所」

 【辽宁武术挖掘】王庆斋先生的螳螂拳视频

 武式太極拳の顧胤柯も1938年から奉天武道振興会の教師を務めたということなので、29の組織のうちの一つなのだろう。

 辽沈地区的武式太极拳_沈阳武派_新浪博客

・その他、顧胤柯を紹介する王善徳の文章の中に、「東北三老」の翻子門、回回営の白岐山(この人も三老の一人胡鳳山の弟子だが回族のためか別扱いに)、義兄弟の契りを結んだ10人の武師からなる「奉天十義」なるグループもこの時期活動してたことが記されている。

 沈阳武派太极拳史话_沈阳武派_新浪博客

・梅花蟷螂拳の郝恒禄の大弟子・賀先隆に学んだ桑永茂(注)は「奉天省武道振興会蓋平分会」の許可証(執照)を得ていたという。

 ただし、蓋平は瀋陽市ではなく営口市に属すると思われ、「奉天「省」武道振興会」という記述とあわせて、若干確認を要すると思われる。

 なお、桑永茂の弟子の中には、満映の「武打設計」兼俳優の李希義、李玉祥などがいるという。具体的な作品名は挙げられていないけれど、白馬剣客、黒臉賊、燕青などを演じていたといい、この辺りも興味深いところ。映像が残っていないのかなあ。

东北梅花螳螂拳名师 盖州武术志稿·人物篇-laiyangyiren

2016年11月には、蓋州市の武術研究会が桑師の生誕120周年を祝う活動を行っている。

市武术研究会举行纪念桑永茂拳师 诞辰120周年暨成立21周年活动-百姓关注-盖州市人民政府

 

29団体の許認可台帳のようなものがどこかに残っていたらとても貴重な資料だと思う。

 

なお、1.で記した劉宝瑞などは奉天武道振興会への入会を拒否したものの、「推薦」という形で北市中心区区長の官職が与えられたという。

結果的に官職を得たためなのか、文化大革命時代には「歴史問題」で数年間投獄されたというのはなんとも気の毒としかいいようがない。

日本人占领沈阳后,成立了所谓“武道振兴会“,刘宝瑞拒绝入会,日伪当局以“公选”手段给他封了个“北市中心区区长”的“官衔”。
新中国成立后,刘宝瑞因“历史问题”不清,度过了几年的狱中生涯。后来在天津和平区团结路卫生院当了一名骨科大夫,直到1969年病逝。

刘宝瑞(中国当代武术家)_百度百科

 劉宝瑞は満州国には反対ではなかったようで、満州皇帝溥儀のために通臂門の鄧立根、翻子門の楊福興、少林門の鄭天翔らとともに武術を披露したという記事がある。なお、ここに出てくる鄧立根以下の人物については確認できておらず、この記事自体も事実なのかいまのところ不明。

一九三三年(伪大同二年),爱新觉罗、溥仪,因他喜爱武术,把东北的武林高手召到新京(今长春),在宫中为他演武献艺,被召的除查拳门的刘宝瑞,还有通臂门的邓立根,翻子门的杨福兴,少林门的郑天翔等著名拳师,每位拳师在会上各献绝技,展示自己的武功。
刘宝瑞上场演练的是查拳中“埋伏拳”,只见他搂、打、腾、封、挑、踢、弹、扫、挂、撑、蹚、连、撩、跺、踩、腕、胯、肘、膝、肩,一招一式,快而不乱,慢而不散,真是拳似流星眼似电,身如蛇行脚似粘,手眼相随,神形合一,他练罢收式,掌声四起,这时,溥仪问:“听说你们教门除查拳外,尚有钩、镗、带、镢四绝功夫,能否给朕练趟双钩看看,”刘宝瑞不敢推辞,连声答应,他演练了一趟“殿章双钩”,此钩是明朝大将武殿章所创,赵熙川所传,只见他舞动双钩,前八趟看钺,后八趟看钩,摘钩入扣,推钩献钺,钩搂歪甩,搂钩锁带,眼见钩光闪闪,耳听虎虎生风,大家连连喝采,溥仪点头称赞“好功夫,好功夫”,真是美钩王,从此刘宝瑞美钩王的绰号,从此在武林中流传起来。

沈阳弹腿、查拳的开拓者——刘宝瑞_长恩_新浪博客

 

-------

そもそもこの奉天武道振興会とは何なのか。志々田文明『満州国・建国大学における武道教育』には、満州帝国武道会について紹介されているけれど、奉天武道振興会についての記載はみあたらない。詳細は今後の課題に。

 

関係するいくつかの動画を貼り付け。

〇王慶斎の蟷螂拳と青萍剣

v.qq.com
www.youtube.com

〇王善徳の太極拳(顧胤柯伝)

v.qq.com

 

 (注1)

遼寧国術館がもともとあったといっても、『遼寧体育文史資料第4輯・武術専輯』の記載が正しければ、館長を許笑羽、副館長を張策と紀綬卿として遼寧国術館が設立されたのは設立は1931年の春なので、活動はわずか数カ月ということになる。同じく『遼寧体育文史資料』には、この国術館の場所は西華門の故宮西院で、設立後の最初の大仕事が1931年の省考であったと書かれているけれど、辛延海によると、辛健侯が北市場の中央大劇院のとなりで「遼寧国術館」をはじめたのは1930年前後で、この二つの国術館は別のものらしい。また、辛延海によると瀋陽の人で許笑羽が瀋陽に来たことがあると認識している人はいないという。ただの名義上の館長であったのか、あるいはなにか間違った情報に基づくものなのかは未確認。

tieba.baidu.com

 

以下の記事は、遼寧国術館の設立の事情について詳しく紹介されていて参考になるものの、1931年に設立された国術館が1929年の省考を実施したと書いていて、前後に明らかな矛盾があり、どこまで信用してよいのかわからない。

 为推动各地武术发展,1929年中央国术馆下令各省筹建分馆。同年2月,中央国术馆向辽宁省政府函寄 《省、县、国术馆组织大纲》、《国术馆考试条例》及学员招收《简章》,并敦促辽宁组建国术馆。其中不仅规定了办馆宗旨、机构设置、职能、管理范围、办学内容等。还对国术馆学员招收考试做出详细的说明与建议,即参赛者逐级推荐逐级考试的方式参加预试与正试,考试科目分为国术和国学两部分,国术包括着拳脚、摔跤、器械(指定枪棍刀剑),国学包括国术学、生理大要、卫生要义等。考试以比试拳脚为主(穿手、溜腿、少林十二式等),对各级考试优胜者赋予不同的称号,国考甲等前三名分别授予“捍卫”、“辅卫”、“翊卫”,乙等授以“校卫”,丙等授以“勇士”:省级为“武士”、县(市)级为“壮士”。
  时任东北政务委员会主席张学良一贯重视体育,主张“强身强国”,提倡“强国强种”。加之请立辽宁省国术馆的呼声越来越高,1931年4月18日,由张学良捐助的辽宁中小学教育基金董事王树翰、辽宁省教育会会长王化一等49人发起,联名上书请求建辽宁省国术馆。 5月21曰,辽宁省国术馆召开第一次董事会议,选举辽宁省国术馆董事会董事9人,推举辽宁省政府主席臧式毅为馆长,辽宁省教育厅厅长金毓绂为副馆长,馆内设教务、事务两课,馆址设在辽宁省政府教育会院内 (今沈阳市沈河区怀远门里沈阳故宫西侧),辽宁省国术馆正式成立。

www.chinanews.com

 

(注2)

記事は、桑永茂はほかにも、徳州の楊俊峰から八卦掌を学んだほか、多くの師に学んでいるという。

 

 

4. 回教改革派と日本の対中国イスラム工作

海朝英をきっかけに調べていたら、全然違うところにたどり着いてしまったけれど、こういう展開もまた面白い。

改めて海朝英に話を戻すと、海朝英は同時代の回教徒の中では保守派だったのだろうか。

父親の海宏鋆とともに、天津の一部のイスラム教徒を率いて同時代の改革派で四大アホンの一人といわれる王静斎らに反対する運動を起こし、2カ月の実刑判決を受けたらしい。それらの点を含めて、詳しい情報がないのは残念。

王静斎の経歴の中では、コーランの翻訳について要請を受けた人物として、1914年に済南鎮守史の馬良の名前が出てくることを一応メモしておく。

回教徒の改革派は、関東軍の謀略に利用されたりしており(以前にメモした『支那風俗春秋』の佐久間貞次郎などはそうした動きを扇動していた人のようでもある)、それはそれで深い世界が人がっているような気がする。このあたり、あまり深く立ち入りたくはないものの、避けては通れないような気もして悩ましいところ。

 

   王静斋年谱より

1934年,55岁。
任北京宣外教子胡同清真寺教长,萧德珍阿訇接任其三义庄清真寺教长职。秋季,海宏鋆、海朝英(1902-1981)父子率部分教众发动“天津市驱逐新行运动”,称王、萧等人为“猴都斯”(新行),发表了《天津市驱逐新行运动第一次报告书》,用武力占据了三义庄清真寺,将萧阿訇等遵经革俗者逐出寺外。王静斋闻讯后义愤填膺,接连发表了《海氏父子听着》、《新旧与是非辨》等文;萧德珍也相继发表了第一、二、三号《天津三义庄清真寺教长萧德珍宣言》。王静斋力主具呈天津检察处,控海氏父子“纠众作乱,侵占寺权罪”。结果,海氏被判处两个月徒刑。

http://www.norislam.com/?viewnews-11106

 王静斋年谱 - 伊斯兰之光 中国最早的伊斯兰教宗教信仰网站

 王靜齋 - 维基百科,自由的百科全书

 

 

橋本力、闞文聡、『刀背蔵身』など

ちょっと小ネタが集まったので、まとめてメモ。

 

1.

 『ドラゴン怒りの鉄拳』のクライマックスでブルース・リーと戦い、かつ『大魔神』の(わけのわからない日本語だ(笑))橋本力氏が10月11日に逝去された。

大魔神』三部作は、ブルーレイプレーヤーを買ったときに、最初に買ったソフト(安い海外版だけど)。なぜかこのブログで取り上げたこともある。謹んでご冥福をお祈りする。

news.livedoor.com

 

2.

三皇炮捶の張凱は90歳に。

お若いころはこんな動作もされていたのだなあ。

写真の出典は以下の記事から。

www.qqgfw.com

 

3.

第13届全国運動会の女子の套路チャンピオンの闞文聡が故郷の滄州に、一万元近くの武術器材を寄贈という記事。最近の套路競技はあまり興味がないので、彼女の演武がSNSで流れてきてもスルーしちゃうけれど、 この心意気や、よし。 

news.xinhuanet.com

 

動画は2016年の競技における剣術。比較のために、2016年の女子剣術競技の1位から3位の選手のリンクを貼り付け。(但し、2016年の競技ものもではないので、あくまでのただの参考)。斬ったり刺したりする動作がここまで少ないと、もう手にしているものが剣である必要性はほとんどないような気もするけれど、これも蔡龍雲がいうところの「技巧」表現を重視した套路の在り方と理解すべきなのかなあ。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

www.youtube.com

 

zigzagmax.hatenablog.com

 

4.

クレヨンしんちゃんの次回作はカンフー?

まさか、「トレジャーハンターみさえ」のようなジャキーチェンのパロディじゃないとは思うけど・・・

eiga.com

 

5.

新作で気になる映画といえば、チウ・マンチェクが戚継光でサモ・ハン・キン・ポーが兪大猷を演じている『盪寇風雲』。中国ではもう公開済み?

www.youtube.com

 

 サモハンとチウ・マンチェクの対戦(訓練?)シーン

www.facebook.com

 

6.

徐浩峰監督の新作『刀背蔵身』は2018年公開のよう。これも気になる。

www.youtube.com

今度の内容は、日中戦争時の大刀隊についての内容らしい。 

大刀隊の活躍については、民族精神を鼓舞するための宣伝的要素が強く、実際にはそれほど大きな役割を果たしていなかったのではないか、という指摘もあり、今後の研究が期待される。

view.news.qq.com

 

7.

国家体育運動総局が発表していた格闘技の催事の監督強化に関する意見書。日付は8月24日になっているけれど、なぜか10月になってからいくつかのメディアで報道された。

たとえば、新浪の報道は10月10日で、記事には、徐暁冬、雷公と並んで、閻芳の名前が見える。文書の日付と報道時期がずれている理由はよくわからない。

news.sina.com.tw

 

8.

新刊は高くて手が出なかった『ボクシングの文化史』を中古で購入。

英国で、のちにボクシングになる格闘競技が、田舎で行われていたのが次第に都会でも人気が出て学校教育にも用いられるようになってゆくなかで、ルールが整備され、商業化されて・・・といった歴史的な経緯が紹介されていて興味深かった。さらに、ソビエトが成立したとき、こうした資本主義社会のスポーツを採り入れるべきかどうかあり、推進派は、血なまぐさい戦いという要素だけでなく、健康に役立つことなどを並べたてたことも紹介されていた。

これらすべてのことを、中国武術の近代以降の歴史は100年から200年ぐらい後れて辿っているようにも思える。(中国武術という文化が、ボクシングより劣っているという意味ではない。)

この本、膨大な図版や文学作品を題材にしていて、翻訳するのはとてもたいへんな作業であったと思う一方、翻訳はやや生硬で、意味を理解して翻訳されているのか疑問に思う部分もあった。たとえば、P491で黒人の「言語形式」の例としてあげられている「よびかけの反応」は、普通、ゴスペルとかに見られる「コールアンドレスポンス」のことだと思うので、そう訳すのが一番わかりやすいと思う。翻訳がわかりにくいのは、修飾語が多用されている原文のスタイルにもクセがあるのだと思うけど、たとえば「『パブリック・オピニオン』は、アンチ・ユダヤを表明した汚職をなどを暴く新聞だった。」などという文は、どの語がどの語を修飾しているのかわからず、いちいちそういうことを想像で補いながら読み進めるのはとても疲れた。

また、本文と図版のズレ、同一人物名の表記の不一致、若干の初歩的な漢字の変換ミス(×「回が」⇒〇「絵画」P.500)が気になった。

 

 

ボクシングの文化史

ボクシングの文化史

 

 

 

 

套路という文化 套路運動の生命力

ネットで調べものをしていて、晩年の蔡龍雲が套路運動について語った動画を見つけた。2014年10月、上海体育学院における講座らしい。ということは、お亡くなりになる約1年前だと思われるけれど、ときどき立ちあがって実演してみせる動作や、ウィットに富んだ語り口 からは、この1年後に亡くなられるとはとても想像できない。
 
○動画リンクはこのメモの最後にまとめて掲載。以下は、講演当時の記事。

f:id:zigzagmax:20171015223850p:plain

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)

 ----------

この動画よりも前に行われた、同じく上海体育学院の戴国斌による2009年のインタビューで、蔡龍雲は、

・伝統的な套路はすべて実用的かといえば、必ずしもそうではない。

・実用的な動作と実用的な動作をつなぎ合わせただけでは套路にならない。そこにはなにか修飾的な要素があると考えられる。

・実用的な動作を取り除いたときに何が残るかを検討することで、武術の套路を成り立たせているもの、その生命力がどこにあるのかを探ることができるのではないか。

・歴史的にも、唐代の将軍・裴旻の剣の舞は当時の三絶として有名だが、裴旻自身は名将というわけではない。では、なぜ裴旻の剣舞がよいとされたのか。裴旻の剣はほかの人のものとはなにが違っていたのか。

・また、武術における花拳繍腿は、戚継光の頃から批判されているが、今に至るまで完全になくなっていない。(実戦を重視した)中央国術館でも套路をなくそうとはしなかった。(1930年代、山東国術館の)田鎮峰は「国術革命」を標榜した。革命とは「打(実用性)」にほかならないが、やはり套路はなくならなかった。

・武術の套路を藝術の観点から研究することを武術家たちは恐れる。しかし、恐れることはないと思う。この点(が明らかになって)こそ我々の武術がアート(マーシャルアーツ)になるのであり、武術の価値がより高まるではないか。

 

等といった趣旨のことを語っている。(必ずしも、原文のとおりではない。)

 

f:id:zigzagmax:20170815000932j:plain

 

この動画は、ある意味、このインタビューで自ら提起した、さまざまな問題の一部に、自ら答えてみせているようでもある。とりわけ、「武術の套路の生命力」という言葉で表現していた問題を、講演の中では武術の套路における「主題」という言葉で語っているような気がする。

 
-------------

以下は、動画のパートごとの内容を、大胆に、ざっくりまとめたメモ。

 

その1

世界のあらゆる民族には、軍事上の戦闘技術と、その民族の文化が結びついた「格闘文化」がある。中国においても、角抵、手搏、撃剣、使槍、使棒等がある。そのなかでも、格闘技術と、動作の動静虚実、起伏転折,剛柔などを結びつけた套路という練習形態を作りあげたのは中国だけである。

v.youku.com

その2

 武術の套路の大部分は踢打摔拿撃刺などの攻防格闘技術によって構成されているが、そうでない套路もある。たとえば、動物の生活の形態を模倣することに重点が置かれたものもある。鴨形拳などはその代表である。

v.youku.com

 その3

また、刀剣槍棍などの武器ではなく、扇子、ハンカチ、キセルなどを用いるものや、技撃動作ではなく技巧動作に重点が置かれたものもある。たとえば、九節鞭で鞭を首に絡ませる動作などは、実戦目的というよりは、技巧の表現そのものが目的になっている。飛叉の表演なども、実用技法よりも、技巧を示すことが目的になっている。また、羅漢拳のなかには、技撃動作ではなく、人物の形態の模倣が中心になっているものもある。さらに、技撃動作を含みつつ、物語の再現を目的とした套路もある。(のちの部分で詳述。)

v.youku.com

その4、その5

鴨の動きを観察して鴨形拳を作った先人の想いについて考えるに、技撃ではなく、養生に重点を置いたので鴨を選んだのだと思われる。キセルのような生活用品を用いる套路は、文学や戯曲とも関係がある。「武松脱铐」、「魯智深酔打山門」などは物語を再現するのが主題になっている。

v.youku.com

v.youku.com

その6

「酔漢摛猴」なども物語の再現である。このように武術の套路の「主題」はきわめて多様である。

v.youku.com

その7(終わり)

武術の套路は大きく長拳と短拳に分類できる。

通背、劈掛などは典型的な長拳南拳形意拳などは短拳に分類できる。

明代には長拳と短拳の分類が生まれている。呉承恩は短拳に賛成し、長拳を批判している。

v.youku.com

 

-----------

なお、套路の「主題」ということでは、凌懿文『浙江伝統武術簡史』に紹介されている富陽の天罡地煞拳は、その動作名称から、安徽省歙県西川塢の汪姓の一族が明の万暦八年正月戊寅の雪の日に昱嶺、広州右衛、永昌、新登を経て東図に定住する過程を物語るものであることを紹介していて興味深い。

 

f:id:zigzagmax:20171016011448j:plain

 

実戦派でありながら、実戦以外の部分にも広く目を向けていた蔡龍雲のこの講演から、武術という文化の懐の深さが伝わってくる。

 

zigzagmax.hatenablog.com

 

 

 

形似容易神似難

 ロシアのカザンで開催されていた世界大会では、日本人選手たちもメダルを獲得したらしいけれど、捜狐の記事では、中国チームの厳平コーチのコメントを引用しながら、外国人選手の演武に欠けているものについて指摘している。

 

www.sohu.com

 

 やや乱暴だけど、自分なりにその要点をまとめると、武術の套路というのは、ただ静止動作(肢体、筋肉、姿勢)の美しさ(1)だけではなく、身法や歩法などの動的要素(2)を、攻防意識(3)と結びつけて行なうものだが、多くの外国人選手の演技は、まだ機械的な肢体動作((1)と(2))のレベルに留まっており、(3)の「内涵」がないため、「味」に欠ける(还缺点味道)、といえるだろうか。

 記者は、端的に「有形無神」とも記している。

-----------

このように、外国人の演武を「味がない」と批判するのは昔からあることと言ってしまえばそれまでだけれど、「味」とか風格というのは、見る人の主観・好みに左右されるところが大きく、ましてや外国人には説明がしにくく、武術競技の普及の妨げになるということで、採点の要素から極力排除しようというのがこれまでの流れだったとすると、競技レベルが上がってきて、外国人選手にもいよいよこういう「内涵」が求められる時代になったとも理解できるかもしれない。そう考えると、武術競技の普及が確実に進んでいることをうかがわせる。

 

----------
武術の套路の「味」、「内涵」という点で最近印象に残ったのは、徐雨辰(陝西チームのコーチで、太極王子・呉雅楠の育ての親、徐毓茹のお父さん)が馬鳳図の教えを回想した文章。(『甘粛通備武藝』所収の徐雨辰「文武兼通 風範永存 ---憶馬鳳図先生」。初出は雑誌『武林』の1985年第10期)

 

徐雨辰が、同じ動作をやっても、どうしても馬鳳図がやってみせるようにできないのはなぜかと質問をしたら馬鳳図は、かつて東北で郝鳴九と交流をして劈掛拳を教えたときに、郝鳴九も「どうしてもその味が出せないんだよなあ(我怎么总学不到你的神气呢?)」とぼやいたことを例に、「外形を真似するのは容易だけど、その内面を真似るのは難しい(形似容易神似難)」と答えたことを記している。

 

別の場面で、さらに馬鳳図は

「学びて思はざれば則ち罔(くら)し。思ひて学ばざれば則ち殆(あや)ふし」という論語の語を引きながら、「苦練と勤思の二つを備えて、はじめて武術において堂に昇り、室に入り、純粋な深い功夫に到ることができるのだよ」と徐雨辰にいい、さらに

 

「古人は、師の教えと資質と努力の三者が備わって初めて上乗に到る、といった。・・・略・・・雨辰、きみは少なからずの名師から教えをうけ、資質もまあ聡明だ。師の教え、資質はともに備わっているといえる。形を真似しながらその内面を模倣し、内面を模倣するなかから創新が生まれるのだ。」と語っている。

 完全には理解できていない気がするけれど、条件は揃っているのだから、あせらず「功夫」を積み重ねるしかないのだ、と教え諭しているようで、どの言葉も、とても心に響く。

 

なお、ここで「内面」と仮置きしたのは、「神」とか「神気」。同じ意味で、「神韵」という言葉が使われることもあるように思う。どれも端的な日本語に置き換えるのは難しいけれど、実用技術とかスポーツという世界を越えた「藝の道」に繋がっている気がする。それは、この電子メモ帳を通して確認したい隠れたテーマの一つでもある。

 

序雨辰(左)、徐毓茹(中)、申子栄(右)

f:id:zigzagmax:20171009082947p:plain

“太极王子”吴雅楠恩师徐毓茹的武术人生 - 全球功夫网

 

f:id:zigzagmax:20171010003920j:plain

 

zigzagmax.hatenablog.com