中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

全国国術考試挙行状況報告の件(昭和3年10月24日)

「国術」とか「国考」というキーワードで検索しても出てこないので見落としていたけれど、アジア歴史資料センターのデータベースの中に、昭和3年10月24日付で、南京の岡本一策領事から、田中義一外務大臣宛に、国術国考の実施を伝える公電というのがあった。

 先日見つけた第一届国術国考の開催当時の新聞記事で、3日目に日本人の来賓が二人(井上謙吉、菊地良一。いずれも孫文の盟友ともいうべき支援者)いたことに気づいたけれど、そこには岡本領事の名前はでていなかったので、この報告は実際の見聞に基づくものか、報道をまとめだだけのものか、そのあたりは不明。報告されている内容から判断すると、実際の見聞というよりは、一般的な情報を集めたもののように感じられるけれど、公文書にこんなものが残っていたということだけで、なんだか感慨深いものがある。

 

〇第一届国術国考三日目

Shi shi xin bao (時事新報) 1928.10.18 — Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

 

 参考のために、文字起ししたものを張り付けておく。

 

1351680普通送第416号
昭和3年10月24日在南京
 領事 岡本一策

外務大臣男爵 田中義一 殿

全国国術考試挙行状況報告の件
国民政府は襲に国民体育の訓練奨励を目的とし中央国術館をして第一次国術国考を挙行する為め応試者募集準備方を同館に命じ置きたるところ全国よりの応募者計190名あり。本月十五日より二十日に至る6日間当地公共体育場に於て競技を挙行したるが右は一、空拳徒脚 二、力技 三、棍棒其他武器による競技 四、特科の四種に分類し夫々所定の形式によりて競技せしを(め?)張子(之の誤り)江を主席兼考試委員長に、李烈鈞、馬良、姚以價三名を審判委員長に譚延闓を国民政府代表に夫々任命し蒋介石、馮玉祥、張静江、李済保(原文は王へん)等要路者多数列席し、蒋介石、馮玉祥始め諸名士より体育奨励に関する幾多の演説訓話等ありたるが主席張之江は開会に当たりて「競技者は互いに勝負自体に拘泥することなく、強国、強種、民族精神の発揚、並びに帝国主義打倒等の根本目的を確持し、夫々本来の目的に副う様誠意奮闘せんことを切望す云云」の旨講話し又馮玉祥は「不平等条約取消は単に紙を以って宣伝に力むるのみにては到底その目的を達成し得べきに非ず体育、精神の訓練向上に依る外無之云々」と述べ各方面より見て体育奨励の必要を強調する所あり連日非常なる人気を集め比較的好成績を以って会期を終えたるが其の最終日21日には競技の結果を公評発表し成績を最優等者、優等者及中等者の三階級に分ちたるが右に依れば最優等者15名、優等者38名(正確には優等者は37名?)、中等者82名にして右各階級に依り勇士、武士、壮士の名称を夫々授与し其他各要路者よりの賞品等を授与したる趣なり
右何等ご参考迄報告申進す本信写送付先、在支公使、上海総領事

 

 

出典:体育並運動競技関係雑件 第一巻 8.中国ニ於ケル運動競技関係