中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

佐藤忠男『キネマと砲聲 日中映画前史』

以前にメモした、川喜多大治郎大尉がスパイ容疑で射殺された事件について興味をもって調べているうちに辿りついた本。川喜多大尉の事件については、石川忠雄の論文によりながら、冒頭に一章を割いて触れられていた。

それ自体についてはとくに新しい情報は得られなかったものの、映画にまつわる日中交流に関してとても興味深かった。

このブログの観点からは、特に以下の点が興味深かった。

 

1.川喜多長政のドイツ留学時のドイツ人の反応
川喜多大尉の息子の長政は最初、北京大学に留学するも、二十一か条要求などで対日感情が悪化して勉強どころではなくなりドイツに留学しなおす。ドイツに到着すると街の人たちの様子がおかしく、あとでドイツ語の先生に聞いたところ、街の人たちは川喜多が「纏足をしていて足が小さいだろう、とか、弁髪をしているだろう、とか、皮膚は黄色だとか、あれこれ話し合って想像をたくましくしていたのに、いっこうに想像どおりでなくがっかり」していたということらしい(P.23 岩波現代文庫版 以下同じ)。

川喜多長政のドイツ留学は1923年で、筆者は「おそらく、当時ヨーロッパやアメリカに留学した日本人は多かれ少なかれ似たような経験をしているのであろうが、川喜多長政は、いきなりまず、誰も日本人をみたことがないというヨーロッパの田舎町に行ったために、とくにそれが強烈だったのであろう」(PP.23-24)としているけれど、その13年後、国術代表団としてベルリンに行った劉玉華が、おなじように、女性の足元や男性の頭をじろじろ見られたと回想しているので、とくに田舎かどうかということは関係なかったのかもしれない。

 

2.ボクシングの「殴られ役」

岩崎昶が上海を訪問したときに案内役をした全昌根は、「映画監督を志して日本の植民地だった朝鮮から上海にやってきていた人物」で、のちに朝鮮映画界の指導的な人物のひとりになったらしいけれど、上海に来た当初は「ボクシングの殴られ役のアルバイト」(P.46)などをしていたらしい。殴られ役のアルバイト、という表現が、その場合の相手が欧米人だったのか、中国人だったのかという点を含めて、なんとなく気になるので、メモしておく。

精武体育会の鄭吉常、周士彬を育てた陳漢強がオーストラリアから帰国するのは1928年。

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3.『街角の天使』

この時期、上海で作られていた中国映画は、アメリカ映画の影響を強く受けていたらしい。たとえば、袁牧之監督の『街角の天使』は、「古いアメリカ映画に通じている者には一見してサイレント時代のハリウッドのヒット作『第七天国』(一九二七、フランク・ボーゼージ監督)から、相当な影響を受けていることが分かる」という。ただ、その一方で主人公には「命がけで苦難を分かち合う盟約を結んだ四人の義兄弟」がいて、「この義兄弟の盟約の固さは明らかに義を重んじる中国の伝統的精神の発露である」などの分析がされている(「5 アメリカ映画を日中映画人は学んだ」)。どっちも見たことも聞いたこともない映画で、正確なところは判断できないけれど、こういった専門的な視点はとても興味深い。

 

4.『木蘭従軍』

3.のような中国の映画人による作品もすでに公開されているなかで、満映が現地で急ごしらえで作った映画は、満州国内でも、中華民国でもあまり受け入れられなかったらしい。そこで、日本軍部は、満映とは別に、川喜多長政に中国人向けの映画会社の設立を依頼される。

中国人に喜ばれる映画は中国人にしか作れないと考えていた彼は、映画の製作は拒否しつつ、配給会社の設立には同意し、制作は張善琨ら映画人の協力を仰ぐ。彼の会社が制作し、川喜多が配給した映画の中に『木蘭従軍』がある。

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この映画、異民族による侵略に立ち向かう主人公ということで、軍部は問題にしたらしい。この映画がどうやって検閲を通ったか。検閲を担当していた辻久一を引用しながら筆者は以下のように記す。

 当時、上海では上海軍報道部、上海憲兵隊、日本領事館警察の三者から係員を出した検閲機構があり、上映される映画を検閲していた。そこに上海軍報道部から出向していたのは、雑誌『映画評論』に健筆をふるっていた気鋭の映画評論家で、陸軍歩兵一等兵として召集されていた辻久一であった。彼は戦後、大映に入社して溝口健二監督の一連の名作のプロデューサーとして映画史に名を残すことになるが、それはのちの話である。当時彼は、宣撫班(中国人を日本側に手なずける宣伝工作をする部隊)に配属される予定で中国語の特訓を受けていたところを、彼の前歴を知る有力者の指示で急遽上海に転属になったのである。

 辻久一は川喜多長政とすでに接触しており、その考え方を知っていたから、『木蘭従軍』は歴史上の故事だから問題ないのではないかと憲兵側検閲官を説得しようとしたが、憲兵は応じない。しかし、この問題の解決は次のように行われた。辻久一はこう書いている。

 

 その当時、報道部の私の上司で、宣伝班長のもと陸軍大尉伊地知進が、大変明快な裁断を下した。「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」とは、教育勅語に示された、日本人の義務であり、精神であって、われわれはそれを大切にしている。その日本人が、中国の歴史的女性が、国家存亡の危機に際し、「義勇公に奉じ」た事蹟を讃美的に描いた映画を、抗日的などとケチをつけるのは、矛盾しているのではないか。愛国の観点からすれば、これは日中共通のものであって、教育の見地からも、占領地区の中国民衆に見せて何ら差支えない。日中提携をいう以上、中国民衆も強固な愛国心の持主でなければならない、という意見だった。私がその意見を憲兵に口うつしに伝えたところ、漸く憲兵も妥協した。(『映画史研究』第6号)

 

 伊地知進大尉の態度を、いかにもサムライらしい立派なものだと言うべきところであろうが、これはあるいは、映画の力をたいして評価していなかったからなのかもしれない。アメリカの映画史家ジェイ・レイダは、日本占領時代の租界にいたイギリスの女性が、あの映画が日本の検閲を通過したのは信じられないことだったと彼に語ったことを、その中国映画史❝Dianying(電影)❞に書いている。 PP.175-176

 

 逆のことが今の中国で起こったら、ぜったいに上映されないだろうと思う。

 出典:80年前,《木兰从军》连映85天,制霸全国_影视工业网

 

筈見恒夫の「支那映画印象記」をもとに、筆者があげている、似た題材の映画には次のようなものがある。

 

呉永剛監督『岳飛精忠報国』(一九四〇)

「金の侵略に徹底抗戦した南宋岳飛と、和平派の秦檜とを対比して描き、岳飛の愛国精神を強調しているもの」

 張善琨監督『明末遺恨』(一九四〇)

漢民族である明と、侵入者である清の対立をとりあげている」

朱石麟監督『碧蘿公主』(一九四一)

「南中国のある王国のお家騒動を扱ったお伽噺のような内容の作品であるが、そのなかにしきりに「民族に告ぐ」というようなセリフが出てくる。

卜萬蒼監督『西施』(一九四一)

「物語は有名な故事で、越王勾践の臣范蠡に選ばれて、呉王夫差のもpとに贈られた美女西施をヒロインとしている。呉王はこの美女におぼれ、忠臣を退けて軍備を怠った。そこで越は臥薪嘗胆の末に呉に勝つ。(略)この傾国の美女西施を抗日スパイにたとえて見ればこれは抗日映画ということになる。(略)中国の一般観客はこれを抗日の寓意を含んだ映画として見たであろうことは容易に想像できる。(PP.209-210)

 

木蘭(ムーラン)というのはなんだかディズニー映画でにわかに注目されはじめたかのように思っていたけれど、この当時から、岳飛と同じように抵抗のシンボルになっていたことがわかって興味深かった。

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なお、梅蘭芳古楽府『木蘭辞』をもとにした梅蘭芳の京劇『木蘭従軍』の初演は、以下の記事によると1912年3月17日。

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5.『武訓伝』

最後は『武訓伝』。この映画の、武訓による支配階級による闘争の仕方が妥協的だと毛沢東が批判して、かわりに黒旗軍の宋景詩の闘争が持ち上げられ、映画まで作られたこと、フフホトに今も伝わる「陰把槍」は、宋景詩が「趙老同」と名を変えてかの地に潜伏して広めたという説があることは以前にメモしたけれど、毛沢東による唐突な『武訓伝』批判は、国民党の息のかかった上海の映画拠点の影響力を削ぐため、という面もありそう。

 長い伝統と豊富な人材を要する上海の映画界は、一九五〇年に国民党支配から脱し、さすがに、新興勢力である東北や北京とは違う、芸術的完成度のはるかに高い緻密な洗練された名作のかずかすを生むことになる。石揮監督主演の『わが人生』(一九五〇)、鄭君里監督、趙丹、孫道臨主演の『鳥と雀』(一九五〇)、戦前に抗日映画の名作を数多くつくっている孫瑜監督、趙丹主演の『武訓伝』(一九五一)などである。これらは上海の撮影所がすべて国有化される以前の私営の映画会社で作られたこの時期の中国映画のもっともすぐれた作品群であるが、まず『武訓伝』が、左翼イデオロギー的な立場から見て欠陥があるとして毛沢東から名指しで批判されたのをはじめ、のちの思想闘争の中でその関係者たちがもっとも激しく攻撃されるものとなった。(P.354)

 

 

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