斫削と粘槍 呉殳「単刀図説」の技法についての頭の体操
林伯原先生の『中国武術史』の中に、程宗猷(冲斗)の『単刀法選』と呉殳の『手臂録』巻之三「単刀図説」(以下、「単刀図説」)の各勢を比較した表がある。その中で、例えば、『単刀法選』の「入洞刀勢」と「単刀図説」の「入洞勢」は「勢名は類似するが外形が異なる」とあったり、『単刀法選』の「単撩刀勢」と「単刀図説」の「拗歩撩刀勢」を較べて「程式は刃部が上向き、呉式は刃部が下向き」とあるけれど、実際に両者を自分で見比べてみたことはなかった。
今回、改めて人民体育出版社『中国古典武学秘籍録』(民国28年(1929)に出版された『叢書集成初編』の影印本をベースに、清代の刻本によって校正)に収録されている両者の図を見比べてみたらと、確かに外見が大きくことなっていることがわかって面白かった。
〇『中国古典武学秘籍録』所収 程宗猷(冲斗)『単刀法選』の「入洞刀勢」と「単撩刀勢」
〇『中国古典武学秘籍録』所収 呉殳の『手臂録』「単刀図説」「入洞勢」と「拗歩撩刀勢」
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他方、同じ『手臂録』所収の「単刀図説」でも、手元にある許金印『手臂録校註』の図は、以下のとおり『単刀法選』の図とほぼ同じだった。この本は、雍正十一年(1733)の「校定手臂録序」のある手抄本を底本しているということだけれど、この図版の違いが生じた原因はよくわからない。
〇許金印『手臂録校註』「単刀図説」の「入洞勢」と「拗歩撩刀勢」
呉殳は全般的に程宗猷(冲斗)については辛口で、刀術に関しても程宗猷の刀術は、槍をもった相手に対しては、相手が「単殺手」(片手突き)を使ってきたときにしか役に立たないといい、「その疎かなることを知るべし」などと批判しているけれど、その一方で、自分の刀術は(漁陽老人の)剣術によりながら冲斗の斫削、粘槍の二法を断片的に取り出して用いたものだとも言っているので(「単刀手法説」)、実際には両者の技には共通した部分が多いはずで、初期の抄本の挿図が一致しているのは、そのことを示しているのかもしれない。林先生の『中国武術史』でも、「両氏(程氏、呉氏。引用者注)の刀法は伝承上、同一起源と考えることができる」(P.412)とされている。
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林伯原先生の『中国武術史』では、上にあげた斫削、粘槍の関係について、「「斫」と「削」による「粘槍」という技法」(P.412)と説明されている。実際、「単刀図説 自序」では「斫」にしても「削」にしても、相手の槍のさまざまな動き(「虚」)に惑わされず、槍そのもの(「実」)をたたき斬ること、斬ることができなければこれに粘りつくことを説いているように読める箇所もあるものの(注1)、「単刀図説 自序」に、明確に「斫削、粘槍の二法」と書かかれている点と、続く「単刀手法説」に「斫削とは、刀の大端(を用いる技術)であるが、大があれば必ず小があり、そうしてはじめて堅固であり安泰(逸豫)である。したがって、棍の鶏啄粟、槍の海馬奔潮をもってこれを補うのである」とあるように、斫削による粘槍というよりは、斫削と独立した技法として粘槍が存在するようにも読める。
(注1)
これは、虚を避けて実を撃つ法とされ、槍のように本体が長いが、本来的に軽い武器をもった相手と対する際の戦い方。これに対して、大棒、鉄鞭、鉄斧、木鏜のように、本体が長くかつ重量もある武器をもった相手に対しては、接触されたときのダメージが大きいため、斜歩偏身してその重器(実)を避け、その身手(虚)を撃つ法が推奨されている。
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以上のようなことを頭の片隅に置きつつ、 呉殳の「単刀図説」に紹介されている十八勢について自分なりに検討してみると、呉殳は、この十八勢は「斫」と「削」の二つに集約される、といい、さらに「斫」には上斫と下斫があり、各々に左右の別、子勢・拗勢がある、としている。他方、「削」は上削のみで下削はないが、上削には「斫」と同様に左右の別、子勢・拗勢があるという(「単刀手法説」)。
実際に、呉殳の説明に従って十八勢を分類してみたら、以下のように、斫と削を核とする技法に分けることができた。
拗勢(閏法) | 小勢 | ||||
斫 | 上斫 | 左 | 斜提勢 | ||
右 | 朝天勢 | 独立勢 | |||
下勢 | 左 | 左撩刀勢 | 按虎勢、拗歩単撩刀勢 | ||
右 | 右撩刀勢 | 入洞勢、担肩勢、単提刀勢、単撩刀勢 | |||
削 | 上削 | 左 | 左定膝勢 | 拗歩撩勢(?) | 低看勢 |
右 | 右定膝勢 | 右拗削勢 | 上弓勢、外看勢 | ||
下削は無い |
呉殳によれば、この十八勢に習熟すれば(注2)、本物の倭法には対抗できないが、中国の花法はみな戦意を失わせることができるという。
(注2)小勢に相当する十勢は変化のバリエーションなので、実際には、その他の八勢(六勢+拗勢二勢)で充分に実用に堪えるとされる(「単刀図説 自序」)。
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ただし、上にも書いたように、これらの「斫」と「削」はともに刀の「大端」を使う技法であり、大があれば小があるように、棍から取り入れた「鶏啄粟」、槍から取り入れた「海馬奔潮」によってこれを補うことが前提とされている。
そこで「鶏啄粟」、「海馬奔潮」について調べてみると、『手臂録』巻二「行著」に、「鶏啄粟」は戚南搪(継光)の法で、程冲斗はこれを「寒鶏点」と名付けたもので「一挑一打、緊密かつ細やかに入り込む」技だと書かれている。
さらに『無隠録』を見ると、「役棍法」の中に、
鶏啄粟:一挑一打、連連進歩(連続して歩を進める)、万に一失なし。長(兵)の短(兵)に遇う、軽々しく扎を用いるべからず。ただこの法を用いれば、会家、困(くるし)む。真如の謂うところの「双刀利といえども、打を帯びれば必ず落ちる」とは、これなり。
また、「游場扎法説」に、程真如が「穿帘扎」と名付けた「飛風刺」は、「鶏啄粟」とその意は同じであるとし、「軽く相手の手を刺すようにする」、との説明がある。
以上のことから、「鶏啄粟」は、鶏が嘴で餌をつつくように、上から下に相手の手を刺すようにする技法だと想像される。その際、武器の尖端(刀でいえば切っ先)の部分を用いるのだろう。現代武術では「点」と整理されている技法を、前進しながら繰り返し行うようなイメージだろうか。たしかに、刃部(大端)ではなく、切っ先を使っているので、大あれば小あり、という説明とも合う。
『紀效新書』に採録された兪大猷『剣経』から、「鶏啄粟」らしき技法を探してみたら、
彼、雞啄すれば、我、須らく兇棍を起して入り、彼の手の前二尺の間を剪る、彼、起を連ねれば、我、剪を連ねる。我、雞啄すれば、彼、兇棍を起こすを、我、彼に譲りて先ず起こさせ、彼の小門手上を穿つ(我接ぐに棍に先んじて歩すも亦可なり)
とあって、相手が「雞啄」を使ったときと、自分が雞啄を使う時の要領が述べられていた。
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つづけて「海馬奔潮」を調べると、『手臂録』では附巻上「峨眉槍法」の「行著」のなかに
海馬奔潮:短い武器で長い武器を降すにはこれに恃む。およそ破法としては皆用いることができる。逸もて勢を待つ敵と遭遇したときは敗れる。口伝あり。
とでていて、刀のような短い武器で、槍などの長い武器に対する際に有効な技であることが伺えるけれど、具体的な記述がない。
(2021.2.21追記 ただし、「圓圏形分詳注」から、槍先が「左偃月刀形」を描く技法に、「提虜(正しくは手偏)海馬奔潮」があることがわかる。)
『手臂録』に「口伝あり」と書いてある場合、『無隠録』にその答えが見つかることがあった経験から、『無隠録』を見てみると、「行著」の「提拿」の説明に「海馬奔潮の手法を用いる」とあるけれど、やはり具体的な説明はない。しかも、続く説明の中で「(地蛇槍)、海馬奔潮、(旋雷霹靂)の三法の注は『手臂録』を見よ」となっていて、なんだか、煙に巻かれているように思いながら、「提拿」の語をヒントに、もう一度『手臂録』にもどってみる。巻二「革法」に、「封」「閉」の二法の説明につづいて「提」と「拿」の説明がある。
「閉」の前手を低く、後手を高くしたものが「提」で、自分の「圏里」にある相手の槍を払う技法のようで、そのあと続けて相手を攻撃すると、滴水槍になる、とのこと。確かに、「馬家槍二十四勢説」の「滴水勢」の図は前の手が下、後ろの手が上になっていて、「槍法圓機説二編」にも
滴水は海馬等の法を蔵し、中平、下平を制することができる。
などとある。ただし、『無隠録』の「滴水勢」の訣文をみると、
滴水に跨剣を合す、即ち海馬奔潮なり
とあって、単純に滴水勢=海馬奔潮ではなさそう。ちなみに、上記の訣文は『手臂録』の「馬家槍二十四勢説」の中には見られない。「この勢、進むには必ず鴨踏歩。この勢、前手は陰」などの語も『無隠録』のみに見られるもので『手臂録』には見られない(注3)。
〇『中国古典武学秘籍録』所収 呉殳『手臂録』「馬家槍二十四勢説」の「滴水勢」
〇『中国古典武学秘籍録』所収 呉殳『無隠録』「馬家槍二十四勢説」の「跨剣勢」
他方、「拿」についてはそれほど精しい説明はないものの、「高く来る槍に用いる封法」とのこと。
そのようなことから、「提拿」というときは、槍先を上下させながら、防御を途切れずに行うことを指す、という理解でよいのだろうか(注4)。
その際、
先ず圏槍有りて母とし、のちに封閉提拿あり
といわれるように、圏(円)の動きで、相手の槍と自分の槍を搦めるようにすることが「粘槍」なんだろうな。
(注3)
『手臂録』では、「跨剣勢」の勢名は足編ではなく手篇の「挎」。両勢の訣文から、同じ技法であると解されけれど、挿図は『無隠録』のものと大きく異なっている。この勢以外にも、『手臂録』と『無隠録』の「馬家槍二十四勢説」は図が大きく異なっている場合がある。この違いが生じている理由もよくわからない。
〇『中国古典武学秘籍録』所収 呉殳『手臂録』「馬家槍二十四勢説」の挎剣勢
(注4)
ちなみに、「馬家槍二十四勢説」の「太公釣魚勢」の説明から、腕を回さずに相手の動きにあわせて軽く「提拿」を行うことを「磨旗槍法」といい、程真如は「和槍」と呼んだことがわかる。腕を回転させないからこそ、軽く、緩やかな「提拿」が可能であるとのこと。「腕を回す/回さない」の具体的な操法がわからないけれど、槍の尖端が弧を描くか、描かないかが分かれ目になるものと思われる。
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以上の頭の体操から、呉殳の刀法は、刃部による「斫」と「削」の技法を中核とする八つの勢とその派生技、あわせて十八勢に、棍と槍を応用した切っ先を使う技法を加味したものであることが、なんとなく理解できた気がする。
ただし、「海馬」については、上に言及した箇所以外にもいろいろな箇所で言及されている。たとえば「馬家槍二十四勢説」で、
論に言う「伏虎槍、地蛇槍にて破る」と。夫れ、伏虎はこれ右海馬なり、必ず地蛇でこれを脱す。地蛇もまた海馬を破ること可なるを知るに足る。
となっていて、「伏虎勢」の中にも海馬の技法が入っているようだし、『程冲斗十六槍勢』の中では鉄掃箒の説明に「この法、細に入れば即ち海馬奔潮」とあるように、鉄掃箒の中に「海馬奔潮」に共通する手法が含まれていることが示唆されている(注5)。
(注5)
程宗猷(冲斗)『秘本長槍法図説』には、鉄掃箒という勢はないけれど、地蛇槍勢の訣文の中に「法に曰く鉄掃箒とはこれなり」と出ている。
また、「海馬奔潮」の技法は、相手の攻撃を「提拿」の法で「革」したあとは、「後墊歩」(場所によっては後甸歩 正確には、甸の字に足編あり)の歩法をあわせて用いるらしい。上記のとおり、跨剣勢の説明では、鴨踏歩を用いる、とも言う。これらの、歩の進め方についても今回はまったく検討することができなかった。
ここから先は、具体的な勢に即して検討していく必要があるけれど、このあたりで残念ながら今回の大型連休の時間は使い果たしてしまった(実際にはもう一日あるけど)。いつこの続きに着手できるかわからないけれど、ここから先は今後の課題・楽しみにしておきたい。
中途半端だけれど、妄想全開、楽しい休暇になった。
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いま、『手臂録』「単刀図説」から、改めて具体的な勢に付された訣文を見てみると、たとえば左定膝勢の説明の中には、「削」の技法、「寒鶏点頭手法」、「海馬奔潮」が含まれていることがわかる。
左定膝勢
槍来たれば将に身を後ろに坐し低看勢となり、「寒鶏点頭」手法を用いる。(槍)また深く来たれば、前脚を退け、上弓勢となる。極めて深く来たれば、然るのちにこれを削す。削した後に歩を進め、「海馬奔潮」を用いる。
〇『手臂録』「単刀図説」より、「左定膝勢」と、その訣文で言及されている低看勢、上弓勢。
これらの勢自体は『単刀法選』にもみられる。
2021.2.18
兪大猷『剣経』の「雞啄」についての記述を追記。
2021.2.20
『手臂録』「単刀図説」「左定膝勢」などの訣文と挿図を追記。