奉天省武道振興会から満映、シルク・ドゥ・ソレイユへ
いろいろな超人技を動画で紹介しているフェイスブックの「People are awsome」というページで、珍しく中国武術関係の動画が流れてきたと思ったら、シルク・ドゥ・ソレイユで活躍している、 “JJ” Zengjiao Jian の紹介だった。
どこかで聞き覚えのある名前だとおもって調べてみたら、どうやらかつて遼寧チームにいて、劉清華の紹介もあって北京チームに移籍した簡増蛟のことらしい。
002 男子刀术 简增蛟(辽宁)-凤凰视频-最具媒体品质的综合视频门户-凤凰网
1993年全运会武术套路比赛男子棍术 006简增蛟-凤凰视频-最具媒体品质的综合视频门户-凤凰网
改めて簡増蛟について調べてみると、6歳の頃から、叔父の簡瑞海に武術を学んでいる。簡瑞海は桑永茂に学んだ人で、桑永茂が「奉天省武道振興会蓋平分会」の許可証を得て武術を教えていたことは以前にメモした。そのときのメモをみると、桑永茂の弟子の中には、満映の「武打設計」兼俳優(李希義、李玉祥)もいるようで、桑永茂を通して満映からシルク・ドゥ・ソレイユまでが繋がることに改めて驚かされる。
奉天省武道振興会の全体像について、もっと詳しい情報が入手できないかなあ。
それがわかると、1940年の東亜武道大会に際しての、「満州武術」代表団の詳しい素性もわかるかもしれない。
〇「奉天武道振興会蓋平分会 会長桑永茂教授弟子演練」
なお、蓋平というと、石光真清は牛荘を根拠にした海賊の丁殿中を、日本人本間徳次の仲介で匿い、海賊業を合法化しようとして蓋平の漁業の有力者・黄家傑に協力を求めるが、これが裏目に出て丁殿中の兄貴分の高貴賢は殺され、本間徳次も残酷な折檻を受ける(『望郷の歌』新編・石光真清の手記(三))。この本は子孫によって脚色されている部分もあるようだけれど、当時の東北地方の馬賊や海賊の様子について、とても参考になる。