武術学校は出稼ぎ世帯にとっての託児所? 武術学校の現在3
例の事件から、どうして大陸の武術はいまのような姿になってしまったのかという議論がまだ続いている。「土逗公社」に掲載された「武打靠演技,武校戒网瘾:中国武术的被KO之路」という記事では、競技スポーツ化が武術の套路の意味を変えてしまったこととあわせて、武術の姿を誇張して描く映画・ドラマと武侠小説の影響、商業主義の影響を挙げている。
商業主義の例として挙げるのがふさわしいのかどうかわからないけれど、後半に触れられている武術学校の現状についての記述が興味深かったのでメモ(注)。
(注)記述は、主に「生源不足学生出路不佳致武术学校遇办学瓶颈」(教育中国)と「甘肃省武术学校生源结构研究」という記事・論文に基づいているらしい。どちらも最新のものとはいいがたいのはやや残念。
記事に書かれているのは主に河南省と甘粛省の事例だけれど、両親の多くは農民や低収入の労働者・小売商で、もともと教育にお金をかける経済的ゆとりもなく、武術学校は学力的に普通の高校に進学できない子供たちや、子供を置いて大都市に働きにゆかざるを得ない家庭にとっての「託児所」的機能を果たしていると説明されている。
確かに、記事で紹介されている一部の学校の募集広告では、あからさまに、「外地に働きに出ている間、お子さんの教育はお任せください!」(意訳)と宣伝されているものもある。
武術学校のほとんどは、宣伝しているような就職に繋がっていない(「畢業(=卒業)すなわち失業に均しい(“毕业就等于失业”)とは、この記事が参照している穂レポートに出てくる言葉)ように思われれるにもかかわらず、どうして引き続き学生を集められるのか、この記事を読んでその理由が少しわかった気がした。
すでに何度かメモしたけれど、以前見たテレビ番組で、武井壮が武術学校に体験入学して、将来何になりたいかを質問するやりとりも、こういった背景を考えると少し違ったものが見えてくる。
なお、この記事が参照したもとネタの一つ「生源不足学生出路不佳致武术学校遇办学瓶颈」から、具体的なデータを挙げて説明しているところをメモ。
・安徽省の武術学校は80年代半ばから90年代がピークで、最盛期には200校を超えていた。2000年以降、看板をかけかえるところもでてきて、現在(いつの時点か不明)は60校にも満たない。
・河南省登封市の武術学校は、少林寺の影響で80年代初期に増え始め、80年代中期に整理して6校だけになった。90年代から観光業の成長などに随って外地(外国も含む?)からの学生が増え始め、2000年前後にピークを迎え、一時は100校を超えた。その後整理を行い、現在(同上)では48校が登録されている。
・登封武術学校の卒業生は2,000~3,000人の間。2010年にはそのうち数百人が進学しているが、職業教育であったり、体育系の特待生など、ごく一部にすぎない。
・武術学校の学生の90%は農村から来ており、両親の教育水準は高くなく、家庭教育は手をあげたり罵倒するのが主体で、学校のこともせいぜい託児所としか理解していない。