中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

「約架」事件

GW前後、中国武術関係のニュースでは、「雷公太極」の魏雷とMMAの徐暁冬の勝負についての話題で持ち切りだったけれど、中国武術協会が果し合い(約架)などの「違法行為」に反対するという強い声明を出し、かつ徐暁冬のウェイボーのアカウントの閉鎖など、個人的な言論を封じる強い措置をとったこともあり、それについての強い不満もでているものの、事件そのものは急激に沈静化に向かっている。

 

中国武術協会の2017年5月3日付声明

出典:

http://www.wushu.com.cn/xwzx_info.asp?id=1351&select1=%D0%AD%BB%E1%D0%C2%CE%C5

 

4月27日の勝負から5月3日の中国武術協会による声明とその前後、短い時間だったけれど、太極拳の名誉が傷付けられたということで、河南省から(王西安の息子の)王占海が勝負に名乗りを挙げたという話とか、套路が役にたたないということはそもそもジェット・リーが語っているじゃないかということで、彼の古いインタビューが引っ張り出されたりとか、太極拳だけじゃなくてすべての伝統武術の尊厳が傷付けられたということで武當派の玄炳(賀曦瑞 武當道教玄真功夫院院長)が立ちあがったとメディアが報じると本人がそんな事実はないとあわてて否定するとか、魏雷は例の閻芳の推手は真実であると信じるようなタイプの人間で、職業もマッサージ屋だと暴露されるとか、一方の徐暁冬も、什刹海体育運動学校の散打専攻で教練とされていたプロフィールを什刹海体育運動学校側が正規の学生じゃないし、ましてや教練ではないと否定するとか、いろんな動きがあった。(その後もいろいろあるけれど、きりがないのでいちいちフォローしていない。)

 

徐暁冬が什刹海体育運動学校の正式な学生だったのかどうかはともかく、ジェット・リーの母校でもある什刹海体育運動学校が早くから散打の研究をしていたことは事実で、同じ学校で日々格闘の練習をしている人たちを横目に見ていたジェット・リーが、「競技武術」の套路を「花架子」と捉えていたとしても、それ自体は何ら不思議はなく、極めてまっとうなコメントだという気がする。(競技武術はもともと格闘を目的にしたものではないし、身体能力が高くて何をやってもモノになるような人はさておき、競技武術をやって強くなれると考えている人がいたら、そのほうがよっぽどどうかしている。)かつて、北京武術隊で訓練したことがあるドニー・イェンも自伝(ゴーストライターかも?)のなかで、当時の北京チームの超人的な跳躍力とスピードを評価しつつ、彼らがやっているのは「一種の体操訓練」であって、実用という点ではほとんど役に立たない、と記している。

 

www.youtube.com

 

ジェット・リーの武術観は、全球功夫網の記事「武術についての私の考え(我対武術的理解)」も参考になる

www.qqgfw.com

 

ドニー・イェンの自伝

zigzagmax.hatenablog.com

 

徐暁冬の発言も、一部しか見ていないけれど、以下の記事を見る限り、実戦的な訓練をしていないのに強さを標榜している人たちを「嘘つきだ」といって兆発しているだけで、別に武術全般を否定しているわけではないように見える。結果的には、このあたりが「落としどころ」になった感がある。

 

徐曉冬直言「我現在挑戰的是欺騙。我正在挑戰的是一百年來某些中國傳統武術中的欺騙,一百年來沒有人挑戰,我需要來挑戰,就是這樣。我打的傳統武術中的假。」

http://www.chinatimes.com/realtimenews/20170505001753-260409

 

以下のまとめ記事(日本語なのでとても参考になる。バックナンバーの閲覧は有料になるみたいだから、そのまえに保存)では、魏雷のペテンとして、CCTVの『体験真功夫』で披露された西瓜の果肉を「気」で破壊する技と、鳩を掌から飛べなくする技のトリックが暴露されている。「約架」を違法とし、徐暁冬の個別の発言の機会が制限されるなかで、こういった「ペテン」がなんらお咎めを受けていないことが、徐暁冬とその支持者の中国武術協会への不満につながっているというのは、とてもよくわかる。

 

business.nikkeibp.co.jp

 

もっとも、以下の記事に貼り付けられた徐暁冬のウェイボーの書き込みをみると、尖閣諸島は日本のものだと書いていたり、共産党や解放軍に対する不満が記されている。これを見る限り、アカウントの閉鎖は、もはや武術に対する不満という一線を越えて別の理由であるようにも思える。

 

写真は以下の記事より。

blog.dwnews.com

 

ちなみに、北京散打チームの生み親とされ、什刹海体育運動学校で散打の研究に取り組んでいた梅恵志の伝記には、当時(70年代)から、時々民間の武術家が勝負を挑んでくることがあってそのたびに返り討ちにしていたことや、国内の様々な競技で地元の武術家が参加してくることが描かれていた。彼らは、散打選手のように重たい突きや蹴りを受けた経験がないので、まずは一発、重たい突き・蹴りを食らわせて戦意を喪失させるというのが彼らに対抗する常套手段だったらしい。

 

zigzagmax.hatenablog.com

 

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この騒動に関連して、伝統武術の多くが実戦に使えないことは、1929年に杭州で開かれた杭州国術遊芸大会ですでに証明されているじゃないか、との指摘も少なくない。

この試合では、事前の下馬評を覆して、当時はまだ無名だった中央国術館の若者(今でいうナショナルチームの選手)がベテラン武術家を打ち負かすことになった。

その実例から、目的に応じた科学的な訓練を重ねることが何よりも重要であって、「名人は民間にいるというのは根拠がない」という趣旨の記事が、以前に浙江省武術協会のサイトに出ていた(1929年浙江国术游艺大会纪实」)。以下は、その記事のまとめにあたる部分(注)。

 比赛中的几个现象
1.名满天下的高手名不副实的比比皆是,名气大的不一定能打,或者不敢上擂台,或者经擂台一检验,优劣立显,用赵道新的话来说,就是‘要么被打破了头,要么被吓破了胆”。
2.大部分传统武术不能实战,乃是‘虚设的套子”,不能临场实用,被当时形象地称为“空头拳术”,而优胜者自报家门时虽都是五花八门的传统门派,但无一例外的暗地另搞一套独有的格斗训练,训练内容不得而知,但从个别人身上可推测一二,如亚军获得者朱国禄兼练拳击,其打法当时遭一太极名家非议,说“不合国术”,其弟朱国祯要与名家请教,名家不敢迎战,在深秋的天气里竟满面是汗,看来朱的打法有拳击加腿之嫌;获得第十三名的赵道新搞了个心会掌体系,借鉴了西方的训练体系,赵曾对国术的弊端进行了无情的批判。
3.都说武术门派无优劣,但这次比赛南派选手普遍不敌北方拳师,南拳选手第一轮全部败北,有的刚交手就被打败,有的简直无还手之力,后为照顾南派,抽签时将南北分开;另太极打法毫无建树,四量难拨千斤。
4.比赛对社会上的空头拳术痛刺一针,“要学打擂台的拳术”成为当时练武着的要求,但持艺者看到其真实效果,反而出现一个空前保守的局面,那些为数不多的技艺再也不胥传人。
5.这次比赛没有看到高深的内功,没有发人于丈外的场面,看看优胜者的打法吧,王子庆运用“你打你的我打我的”的战术打法获得冠军,其不招不架甚至中招反击的打法颇像散打,且身高体壮,以力降人,非传统观念的以巧取胜,倒合乎现代比赛分体重级别的观念;朱国禄借鉴拳击打法,善于声东击西,虚实结合,想起了人们对散打的指责:拳击加腿;第四名曹宴海,公认的第一高手,不怕“起腿半边空”,以里缠外踢,勾挂起落易如手便的腿法横扫各路豪杰,因照顾面子,让拳获得第四,与重视腿法的散打还是有着相近的一面。其实现在的散打在试验阶段主要在武汉体院和北京体院进行,其领头人分别是温敬铭和张文广,都是当初中央国术馆的学员,散打和传统的关系他们应该更清楚。
6.高手在民间吗?高手不食人间烟火吗?有一江西老僧上台比试,被打塌头骨,抬上救护车;最后比赛的最优胜者都是中央国术馆的学生,相当于现在的国家队,且多来自河北山东,民间未见高手。 

「1929年浙江国术游艺大会纪实」

http://qttjw.com/show_hdr.php?dname=RE0HF01&xpos=35

 

(注) もとの記事を浙江省武術協会のサイトで見つけることができないけれど、幸い「銭塘太極網」に、エバーノートに保存していたものと同じ記事があった。

 たぶん、上記の記事のベースになっていると思われる、凌耀華が1986年に雑誌『武魂』に発表したという文章(孫禄堂武学文化網より)をついでに以下にはりつけ。この文章をベースに、息子(?)の凌懿文が杭州国術遊芸大会についてまとめたものが、『浙江伝統武術簡史』(学苑出版社)に載っている。

 

www.sunlutang.com

www.sunlutang.com

 

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だいぶ話を広げてしまったのでうまくまとめられないけれど(苦笑)、一連の報道の中から、自分のなかでジェット・リーの武術観と、杭州国術遊芸大会の例を特にメモしておきたいと思ったのは、やっぱり、武術をやる目的は十人十色でいろいろあっていいけれど、競技にしても実戦にしても、それぞれの目的に達するためには、専門的な訓練が不可欠ということが気になったのだと思う。
その意味では、自分の考えは、以下の二つの記事にかかれていることと近い。

 

martialab.hk01.com

 

 

www.ftchinese.com

 

 現代社会において、だれもが、かつての「鏢師」や、要人警護のSPのような覚悟で武術をやらなければいけないとは思わないし、仮にそのような覚悟をもったところで、そう簡単に技が身につくわけでもないと思うけれど、武術の世界では素人とプロの境界があいまいで、怪しげな「功法」や自称「大師」が蔓延している状況はやはり問題があるだろう。「大師」とまでいかなくても、フィットネスの先生や、競技武術の選手まで「武術家」と呼ばれるような状況にも、すごく違和感がある。

その意味でも、今回のような問題は、ある意味、起きるべくして起きた問題提起だとも思われ、「果し合いは禁止」ということで事態の収拾を図るのは業界団体としてはまっとうな判断だったかもしれないけれど、政策的に競技スポーツ化を優先してきたことのツケモ含めて、いろいろな問題が抉りだされたことは間違いなく、そうした問題に真摯に向き合うチャンスを逃してしまった感も否めない。今後どういう展開になるにしても、一つの象徴的な出来事として語り継がれることになる気がする。

とりあえずの備忘録として。

 

書き込もうと思った直前に見かけた以下の記事も、なんだか心に沁みた。

ameblo.jp