中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

「三尖照」「三尖到」など

人民体育出版社の余功保編著『中国太極拳辞典』の、「三尖相対」の項目をたまたま見ていたら、

 

太极拳练习基本要领。指在练拳中鼻尖,膝尖,足尖上下在一条直线上

 

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と出ていた。

出典が記されていないので、この説明がどこからきているのかわからないけれど、なんとなく印象として、手(または手にもった武器)の位置(向き)に関する要求が含まれていないのが不思議な気がして、中国武術大辞典、中国武術百科全書の関連項目を確認してみたら、次のように出ていた。

 

中国武術大辞典

三尖照

传统用语。鼻尖,手(指)尖,脚尖为“三尖”;上下一线为照。盖为拳法要领。清苌乃周《苌氏武技书》卷四:“三尖照者,鼻尖手脚尖,上下一线相照也。”枪法中亦有三尖相照说,即上照鼻尖,中照枪尖,下照脚尖。

 

中国武術百科全書

三尖

武术用语。指鼻尖,手指尖,足尖。拳械中大部分定式动作都有“三尖相对”或“三尖相照”的规格要求,即上对鼻尖;中对手尖或器械尖;下对足尖,使三尖上下一线贯穿。清苌乃周《苌氏武技书》卷四云:“三尖照者,鼻尖手脚尖,上下一线相照也。”枪法中对三尖相照的要求是:上照鼻尖,中照枪尖,下照脚尖。(关铁云)

 

やはり、鼻先、足先(脚尖)と揃えるべきなのは手(武器)の先という理解のほうが一般的な気がする。

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槍法の「三尖相照」に関する古い記載としては、戚継光『紀效新書』の「長兵短用説」に槍の三大病の一つとして「三尖不照」がでてくる(注)。この場合の三尖は、上記引用のとおり鼻尖、槍尖、脚尖。

この説は、「古論」として、『長槍法選』や 『手臂録』にも引用されているので、それなりに広く受け入れられているのだろう。

 

〇馬明達点校 中国武術協会審定『紀效新書』(人民体育出版社)

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拳法における三尖論について、両書とも『萇氏武技書』を挙げているけれど、江百龍・林鑫海主編『明清武術古籍拳学論析』によると、萇乃周の三尖(および六合)に関する論述は、(拳法に関する)文献に現れる最も古いものだという(P.311)。そこで、『萇氏武技書』を確認してみると、何箇所かに分かれて「三尖」という言葉がでてくる。その一部は、『紀效新書』以来の槍法の三尖論を拳法に応用したと思われるもので、鼻先・拳先・足先を一直線上に揃えるという内容だけれど(三尖照者、鼻尖手尖脚尖上下一線相照也 「論初学入手法」)、萇乃周の「三尖」論は、「三尖は気の領袖、気の帰着する処(三尖為気之領袖、乃気所帰着是處「十二節屈伸往来落気内外上下前後論」)など、「気」の働きに及んでおり、槍法の三尖論とは異なる部分もある。

また、三尖「到」論になると、鼻先のかわりに眼法と、上肢・下肢の動きを協調させることが説かれている。

 

よく理解できないところもあるけれど、今後の参考のために、徐震の整理による萇氏武技書』(山西科学技術出版社版)から、関連する場所を以下にメモしておく。(近年、国レベルの非物質文化遺産に登録されたせいか、萇家拳に関してさまざまな本が出版されているけれど、高いものが多くて手がでない。)

極端な理解をすると、動作の外形など形式的・静的な側面について述べたのが三尖照、意識のはたらきなど内面的・動的な側面について述べたのが三尖到といえるだろうか。

動的要素になると、「六合」も関係してくる(「静能三尖照、動則六合一斉」(托槍勢))ようで、このあたりの理解は一筋縄ではゆかなさそうな気もする。

萇氏武技書』、以前に途中まで読んで挫折し、今回も流し読みしただけだけど、いろいろ興味深いことが含まれていそうなので、できたらもう少し腰を据えて読んでみたい。

 

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三尖為気之綱領論

編名に「三尖」の語がある。頭、手、足について論じているけれど、本文中には「三尖」の語は見られない。 PP16-18

 

三尖照論

錬形不外動静、動則気擎不散、静如山岳難揺、方能来去無着。毎見俗学、動静倶不穏妥、蓋未究三尖是照與不照也。三尖照則無東斜西歪之患。三尖不照則此牽彼扯、必有揺晃之失。如十字左脚前右手前者、右手正照左脚尖。頭照右手、則中下一線、不歪不斜、必穏。側身右脚前右右手前順勢者、頭照右手、右手照右脚、余倣此。P.18

 

三尖到論

三尖到者、動静一斉倶到也。不此先彼後、不此速彼遅、互有牽扯而不到也。蓋気之着人、落点只一尖、而惟一尖之気則在全体、一尖不到、則有牽扯、身気不入矣。自煉不霊快、摧人不堅剛、皆是此失、凡錬形者、須刻刻留意是三處、方為合竅。PP.18-19

 

十二節屈伸往来落気内外上下前後論

三尖為気之領袖、乃気所帰着之處。人但知之三處宜堅実猛勇、不知落点宜落点堅硬如石、方能不惧人之衝突、不慮我之不敵也。其所以堅硬者、則在逐處之骨節。骨節者、空隙也。乃人身之谿谷、神明之所流注。此處精神填実、則如鉄鋼、屈之不能伸、伸之不能屈、気力方全。手有肩肘腕三節、腿有胯膝脚脖三節。左右相併、共十二節、乃人身之大骨節。手之能握、足之能歩、全頼乎此。如石沙袋、逐層填実、雖軟物可使之堅硬、但気落随勢、有前後内外上下之分。・・・・ PP.19-20

 

合煉中二十四勢

…前此練腿、練膊、練手、練足、練頭、練肩、練肩、練肘、練身、内気、煉引気、煉元気諸説、皆是分練之法。到于頭手脚如何合法。勢已転接、如何連法。宜剛宜柔、如何用法。不経此番講究、此番磨煉、則三尖不照、落不穏当、三尖不到、此前彼後、陰陽舛錯、気不接続、剛柔顛倒、牽上拉下、欲求穏如泰山、捷若狡兎、必不能也。蓋形以寓気、気以催形、形合者気自利、気利者形自捷、非両事不仮借也。錬之之法、勢勢究、則三尖配合;動静験、則三尖畢集。陰転陽、陽転陰、勿隔位而另起爐灶。柔過気、剛落点、須相済而莫失倫次。上気在下、下気在上、詳其牽拉。前気在後、後気在前、理其阻滞。勢無三点不落(原注:頭手足)必三点方落点、気無三催不至、不至三催莫出手(原注:心気神)。…

 

論用功

…第一要三尖照。三尖、頭手脚三尖也。其次要気催三儘。三儘者、頭手脚三[角秦]也。P.49

 

講打法

一.凡側正諸勢、宜将身子擱于両腿中間、三尖照落。不可此前彼後

一.… PP.58-59

 

論初学入手法

…三尖照者、鼻尖手尖脚尖上下一線相照也。三尖到者、眼睛拳頭脚尖不先不後、一斉倶到也。三合者、脚手眼相合也。凡出手要比何勢、打人何処、我眼神所注、手之所打、脚尖所進、須一斉倶進、一斉倶到。凡打勢不論何勢、欲打人着力穏当。前足不拘在人脚内外、須脚尖搶進他身身後、三尖照落、方好。… P.64

 

[托槍式]

側身分虚実、凝神気如虹、左鬆右抽満。杆稍向下垂。静能三尖照、動則六合一斉、霊活催[摧?]堅硬、剛柔自相済 P.130

 

 

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その他、拳法において、身体各部を梢・中・根の三つの部分にわける「三節」説も、槍法理論と少し関係があるような気がする。

たとえば、『手臂録』では、槍を頭、胸、腰、根の四つの部分に分けたり(「沙家竿子用法説」)、「槍是纏腰鎖」(注2)の語を引いて、「「我が槍頭をもって彼の槍根を制す」の理」と解説している。これは四節説とかいう形で総括されている訳ではないけれど、この考え方が梢(頭・上)、中、根(下)に分ける発想と繋がっているような気がする。

 

それにしても、『中国太極拳辞典』 の記述は、どこから来てるんだろう。

 

(注)

戚継光も槍の指南を受けたという唐順之の『武編』巻五にも槍の三大病の記述があるけれど、いま残っているその記述は不完全のように見える。

具体的には、四庫全書中の『武編』の記載は以下のとおりで、『紀效新書』以降の記述と較べると、二つ目の「病」である「当扎不扎」が抜けており、「三つの病」の説明になっていないように見える。かつ、最後の七文字は、文が繋がっていない。『紀效新書』では三大病の直前の箇所にある。

 鎗有三件大病那三件大病一立身法不正二立當不上不照三尖中不照鎗尖下不照脚尖三件大病疾上又加疾扎了猶嫌遅

archive.org

こちらも同じ静岡県立中央図書館の蔵書を国文学研究資料館が撮影したものらしいけれど、ほかにどういうものがあるのか、よくわからない。 

 

(注2)これも、『紀效新書』などに見られることばだけれど、唐順之『武編』では「槍勢浮腰鎖」。