中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

騎士道、武士道、国術魂・・・

何かのついでに目にとまった佐伯真一『戦場の精神史 武士道という幻影』を読んでみた。

 

戦場の精神史  ~武士道という幻影 (NHK出版)

戦場の精神史 ~武士道という幻影 (NHK出版)

 

 

全体は序章・終章を除くと4章からなり、うち前3章は日本における合戦のルールと、だましうちに関する論考、第4章が近世以降の武士道論に関する内容だった。
終章の説明によると、当初は第3章までの内容をもとに本書の執筆を構想していたのが、次第に第4章が膨らんできたのだという。

そうした経緯はともかく、「合戦のルールとだましうち」について考察した部分は、第3章の最後で以下のようにしめくくられている。

 

日本の武士は「武士道」即ちフェア・プレイ精神に満ちていたと考えている人は、現代の知識人層の中にも少なくないように思われる。しかしながら、右でみてきたような武士たちの価値観は、いわゆるフェア・プレイ精神とはおよそ対極的なものといわねばなるまい。だが、実は「武士道」は、本来このような謀略肯定・虚偽肯定的な考え方と共に生まれ育った言葉だったのである。それが逆転してフェア・プレイ精神のように解され、さらには日本の武士たちは正々堂々たる「武士道」に生き、虚偽など用いなかったというように考えられるようになったのは、いつごろ、どのような事情によるのだろうか。(P.190)

 

上の引用箇所の最後に呈された疑問に関し、筆者は続く第4章で、武士道とフェアプレイ精神を結び付けたのは新渡戸稲造であったと述べる。新渡戸の武士道がもともと英語で、欧米人向けにかかれたものであることはよく知られているけれど、『武士道』は、あまり日本史に詳しくなかった新渡戸が、近世以降の武士道・「もののふの道」をめぐる日本国内の文脈とほとんど関係なく、「自己の脳裏にある「武士」像をふくらませて」(P.256)かいたものというのが筆者の分析。

 

武士道 (岩波文庫 青118-1)

武士道 (岩波文庫 青118-1)

 

 

新渡戸はなぜ武士道とフェアプレイ精神を結びつけたのか。この本では、新渡戸の武士道はヨーロッパの騎士道(シヴァリー)を基礎に置いていると指摘するだけで踏み込んだ考察はされていないけれど、それは新渡戸独自の考察というよりは、19世紀半ばから後半にかけて、英国のパブリックスクールラグビーフットボールなどのスポーツが重視されるようになるなかで起こってきた騎士道精神の再評価や、のちの「スポーツマンシップ」、クーベルタンの「オリンピズム」にも繋がる議論のなかで、フェアプレイが論じられていたことと繋がっているような気がする。

 

フェアプレイ論や英国流の「スポーツマンシップ」自体は、新渡戸『武士道』による逆輸入(日本語訳の出版は1908年)よりも早く日本に紹介されていて、そこに流れている精神は武士的気質と似たものとして共感をもって受け止められていたようだ。たとえば、阿部生雄は、F.W.ストレンジ(1875年に来日、1889年に急死するまで、英語教師を勤めながら英国流の運動技術と精神を伝えた)の教えをうけ、英国流スポーツマンシップの考え方から「競技道」を提唱した武田千代三郎が、「英のスポオツマンシップは、我国固有の武士気質と能く合致するものがありましたので、その頃の書生等には、教えて貰う迄もなく、直ちに消化され吸収され…」と述べていることを引用しつつ、「スポーツマンシップは、明らかに「武士気質」という日本的精神を媒介項として理解された」と述べている(『近代スポーツマンシップの誕生と成長』P.263)。

 

◎19世紀イギリスのパブリックスクールにおけるスポーツの重視や、「スポーツマンシップ」の理念形成(それを支えた、アスレティシズムや筋肉的キリスト教etc)については次の本がとても参考になった。

近代スポーツマンシップの誕生と成長

近代スポーツマンシップの誕生と成長

 

 

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だからどうした、それと中国武術とどんな関係があるのかという気もするけれど、日清戦争後に日本で武士道論が盛んになってくると、それは梁啓超などの亡命者や日本留学生によって注目され、中国に持ち帰られているし(梁啓超の「中国之武士道」など)、日本経由か欧米から直接かはわからないけれど、近代中国の武術団体のはしりである精武体育会が明確に、ハーバート・スペンサー流の知育徳育体育の三育併重を標榜していること、のちの国術運動の中で騎士道、武士道との比較が意識されているようなこと(ただし、具体的な例がすぐ思い出せない。なんとなくの印象)を考えると、19世紀イギリスの筋肉的キリスト教やアスレティシズム、スポーツマンシップから、日本の武士道論を経由して国術魂という流れ(並べてみるとすごい 笑)は、中国武術史オタク的には無視できないものがある。

義和団事件以降、近代スポーツ・体育の枠組みのなかで「再生」した武術(国術)が、オリンピズムへの接近を目指す理由が、また違った角度から見えてくる気もする。 

 

まあこのあたり、正直いって、当たっているのかいないのかはわからないけれど、このブログはあくまで頭の体操なので、細かいことはあまり気にしないでおく。
(こういう空想が楽しかったりもする。)

 

少し真面目に今後の参考としてメモしておくと、上述した梁啓超の「中国之武士道」のほかに、中華武士会の設立にかかわったり学校教育課程への武術の導入に貢献したといわれている張恩綬早稲田大学に留学していること、同じく日本に留学していた唐豪の『少林拳術秘訣考証』に、唐豪が目にしたと思われる当時の武士道論の著作の名前が列挙されていることに注目しておきたい。(最後の点、以前にもメモしたけれど手がつけられていない。)

 

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ちなみに、パブリックスクールにおけるスポーツ導入を支えた理論でもある「筋肉的キリスト教」についてはじめて知ったのは、アマゾンでタダ同然で購入した、『リングサイド プロレスから見えるアメリカ文化の真実』。いまアマゾンを見たら6,000円近くになっていて、ちょっと得した気分。

 

zigzagmax.hatenablog.com

 

 

◎筋肉的キリスト教については、この以下の本に掲載の阿部教授の「筋肉的キリスト教の波紋」も参考になった。
ちなみにこの本には林伯原先生の「近代中国の学校教育課程における武術の導入とその展開」も収録されている。

 

多様な身体への目覚め―身体訓練の歴史に学ぶ

多様な身体への目覚め―身体訓練の歴史に学ぶ

 

 

 ◎ラグビー校における体育重視の教育実践の様子を描いた『トム・ブラウンの学校生活』(著者のトマス・ヒューズ自身がラグビー校の卒業生)は、新渡戸稲造の『武士道』でも言及されている。

 

トム・ブラウンの学校生活 (上) (岩波文庫)

トム・ブラウンの学校生活 (上) (岩波文庫)

 

 

 

トム・ブラウンの学校生活 (下) (岩波文庫)

トム・ブラウンの学校生活 (下) (岩波文庫)