中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

「勢法」について

少し前に、SNS経由で茅元儀の朝鮮勢法とヨーロッパの剣術を対比させたブログが流れてきた。ヨーロッパの剣は柄(crossguard)が大きく張り出している点が中国の剣と異なり、当然ながら技法も異なるだろうということで、技術的な影響関係云々がいいたいわけではなさそうだけれど、こんな対比ができるだけでも面白いと思う。

 

Interesting parallels between Chao Xian Shi Fa (朝鮮勢法) and European swordsmanship | Great Ming Military

上記のサイトから

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この記事では「勢」をstanceと訳している。「stance」 は辞書的には 「(立った)姿勢, 構え」、「(ゴルフ・野球などの)スタンス, 打者の足の構え.」などと説明されているけれど、「勢」は、ただの構えではないような気がする。

野球でいえば、オープンスタンスとかクローズドスタンスで立つだけでは「勢」とは呼べず、そこに「流し打ちを狙っているとみせかけておいて、思い切り踏み込んで引っぱる」とか、「プッシュバントする」とか、心理的な駆け引きや変化まで含めたものが明代武術の「勢」なのではないかと思う。

 

唐順之『武編』の有名な「勢」についての説明。

拳に勢があるのは変化を行うためである。横と邪(=斜)、側と面、起と立、走と伏、みな墻戸(=門・塀)がある。以て守ることができ、攻めることができる。ゆえにこれを「勢」という。・・・・拳に定勢はあるが、用いるときは定勢がない。しかしながら、まさに用いようとしたとき、無定勢に変じていても実は勢を失っているのではない。ゆえにこれを「把勢」という。 笠尾恭二『中国武術史大観』P.292

 

林伯原『近代中国における武術の発展』巻末の用語解説には「拳勢」についての説明がある。そこでは端的に「拳勢」とは「応用変化を内包したポーズのこと」とある。なるほど。

 【拳勢】

 応用変化を内包した拳法のポーズのことである。「拳勢」は主に明代から登場したものである。拳勢とは単に動作の姿勢を指すのではなく、主として変化することのできる(変化を内在した)姿勢のことを指すことばである。つまり、それぞれの拳勢の中には攻防の各種の変化が含まれているのである。「拳勢」は宋代にすでに現れているが、宋代の文献には具体的な各種の拳勢に関する記載はほとんどみられず、したがってこれら「拳勢」は主に明代になって発展しはじめたのであるといえる。例えば、『紀效新書』に記されている七星拳勢、埋伏勢、神拳勢、当頭炮勢、朝陽勢、鬼蹴脚勢はいずれも当時流行していた重要な拳勢である。清の時代から各武術流派の分派にともなって“拳勢”の名前はさらに多くなっていった。

 林伯原『近代中国における武術の発展』P.470

  ※原文の「鬼蹴足」を「鬼蹴脚」に修正 

 

林先生の近著『中国武術史 -先史時代から十九世紀中期まで-』では、上に引用した唐順之の説を解説しつつ、以下のとおり総括されている。

・・・「勢」とは単一の動作ではなく、様々な応用変化の可能性を内在させた武術の中核的な技法群を指す用語である P.382

 

これは、武器術の「勢」についてもあてはまると思う。

  

 たとえば、『単刀法選』の第三勢「埋頭刀勢」

 左の門戸を開き、体の左側を敵に向け、彼の鑓を誘う。剳入(突入)してくれば、刀で横に鑓を攔開し、右足斜めに進め、左手も柄を握り、思うがままに斬りかかる。笠尾恭二『中国武術史大観』P.341

 

 

ちなみに、最近アマゾンで購入した、『単刀法選』の英訳をみると、ここでの「勢」はstanceではなくpostureと訳されている。stanceとのニュアンスの違いなど、よくわからないけれど、postureもやはり同じように「ポーズ」や「姿勢」と訳されることが多いようだ。

 

Dandaofa Xuan - Chinese Long Saber Techniques Anthology (English Edition)

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とはいえ、「勢」にもいろいろあるようで、同じ程宗猷の著作でも、『続刀勢図』の「勢」になると、単なる套路としての手順の説明になっているものもある。

 三、圧刀勢

 右手陰で刀を持つ。実を下にかがめ低勢となる。左手は後ろに伸ばす。刀尖は斜めに上向け、刀を放り上げやすくする。

 笠尾恭二『中国武術史大観』P.350

 

 

呉殳は、『手臂録』巻三に十八勢の刀法を収録するにあたって、主要なものはそのうちの八勢で、その他の十勢は人を惑わすための小さなバリエーションにすぎないとしている(「単刀図説自序」)。

『手臂録』の別の箇所ではさらに、勢には主要な勢と派生的な勢(子勢)があるとしており、たとえば独立勢は朝天勢の子(勢)、低看勢は左定膝の子(勢)などとしている(「単刀手法説」)。その他、主要な勢から、前後の足の位置だけが変わったものに、拗勢がある、などと、「勢」についての言及がいろいろな箇所に見られる。(呉殳の刀法には、漁陽老人から得た「剣」術が混じっている。)

 

そうしたことを 考えると、一言で「勢」といっても、主要な勢、派生技としての勢、などがあるのだろう。以前にメモした、「虎抱頭」と「推山塞海」の技が合体して、最終的に「抱虎帰山」という名前に落ちついたという説も、この流れの中で理解できるかもしれない。

zigzagmax.hatenablog.com

 

『紀效新書』の長槍習法を朝鮮に導入するにあたり、中国の軍隊を視察した韓嶠は、視察した許国威将軍の軍隊では、『紀效新書』に記載された二十四勢のうち半分しか訓練されていないことを疑問に思い、半分欠けているのはなぜかを質問したのだという。その問いに対して許将軍は・・・

「二十四勢は一勢の変のみ。これ百勢に至るを推(おしはか)るべし。奚(なん)ぞこれを約して24に止めん。すなわち進退剛柔の一勢、これに盡(つ)く。十二勢を連ねるはまた多なり」と答えた。ここで言う「一勢」とは中平槍勢を指し、すべての「勢」はその応用なので、訓練では十二勢だけで十分だと述べたのである。『中国武術史』P.484

 

 

 なお、「複数の「勢」あるいは「勢」以外の付加的な動作を攻防の原則に基づいて組み合わせたもの」が「路」、「日本武道における一人稽古用の「形」」になる。「路」の別称に「套」(注)があり、「「套」と「路」の語が拳法の主要な練習法および表現形式として定着」するのは明代のこと(『中国武術史』PP.383-384)。

 

 日本刀の中国化を、勢と路に即して考察した部分は、 中国武術史』の中でももっとも興味深い考察の一つだと思う。以下に、その箇所を少しメモしておく。

 …中国武術の根本技術としての「勢」の概念が成熟し、さらに複数の「勢」を連続させて練習する「路」という訓練法が発達したことに伴って、外来の武術の受容と変容に明確な中国化のパターンが見られるようになったことは見過ごすことができない。端的に言えば、日本刀術は中国に受容される際に「勢」の概念によって解釈され、「路」という訓練方法が導入されることによって中国的な武術である倭刀術へと変容したのである。

 

…日本刀術が中国化する過程において軍隊および民間の双方で「路」は非常に重要な役割を果たしている。いわば、日本刀術が中国の倭刀術に変容していった最大の要因が「路」という訓練法の採用にあり、逆説的に述べれば「路」こそ中国武術を特徴づけるもっとも重要な要素であるということがわかるのである。また、学習者は「路」の訓練を通じて倭刀術の各種変化および手法・歩法・身法・進退といった技法を習得することができたが、それぞれの目的の差により軍隊と民間で「路」の構成に明確な差が生じたことは特筆に値する。軍隊の「路」は集団戦闘を目的とした簡素かつ実用的な技法から構成されたものとなり、民間の「路」は個人戦を目的とした武術教育の立場から、学習者の綜合的な武術能力の向上を図るべく工夫が凝らされていたのである。

 一方、日本刀術に見られた実戦における優位性が中国的な「路」中心の訓練によって淡化されたと捉えることも可能であろう。「路」は学習者の技術習得を容易にすると同時に身体鍛練にも優れた効果を発揮する画期的な練習方法であったが、同時に「路」を中心とした武術訓練に容易に「花法」の入り込む余地があったことは否定できない。当初、その実戦における有効性が注目されて明軍に導入された日本刀術であったが、明代末期には早くも衰退し、戚継光時代に培われた訓練法もまた失われてしまっている。そして、このような急激な衰退を日本刀術本来の実践性が「路」を中心とした訓練によって形骸化された結果として捉えることもできるであろう。すなわち、「路」という訓練法の長所は武術学習者の技術習得と身体鍛練に非常に有効な点であり、短所は武術指導者の見識が不足すると容易に「花法」によって実戦性を喪失してしまう点にあったということができる。

 明代を通じて中国武術は実戦的な「勢法」と装飾的な「花法」のせめぎ合いの中で発達し、戦闘技術としての価値と演武・健身・娯楽的な価値とが錯綜する中で発展してきた。それを考えれば「路」をめぐって行われた「勢法」と「花法」の葛藤もまた中国の武術文化に他に類を見ない多様性と複雑性を備えさせた主たる要因の一つと言えるであろう。いずれにしても「勢」すなわち後世の套路中国武術の精華というべきものであり、もっとも重要かつ特徴的な訓練法として明代以降の武術体系の中心を占めるようになっていったが、明代における日本刀術の受容と変容の過程には「路」という中国武術に独特な訓練方法の持つ様々な特徴がまざまざと浮彫にされているのである。pp.413-414

 

本書では、引用箇所に先立って、軍隊と民間のそれぞれにおける日本刀術の中国化が具体的に検討されており、同じ「勢」にも軍隊武術と民間武術のそれでは、重視されるポイントが違っていることにも気づかされる。

 

 以上、多少は「勢」(および「路」)についての頭の体操になったけれど、まだまだ基本的な古典の読み込みが決定的に足りていないと思う。 

 

(注)

「套子」はもともと、一人で行なう型ではなく、二人一組で行なう約束組手のようなものとして宋代の文献に現れる。現在も見られる拳法を単練するための「套子」に関する記載は明代の史料に現れる(『中国武術史』P.384。)

 

近代中国における武術の発展

近代中国における武術の発展

 

 

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