中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

張大為『武林掌故』

出張時に北京空港内の書店で購入。

作者の張大為は、呉斌楼のお弟子さんで、体育関係の新聞記者として70年代に北京を中心に多くの取材をされたようで、この本はそれをまとめたものらしい。(ただし、それぞれの内容がいつ、どのような媒体に発表されたのか、具体的な説明は無し。)

同時期に同じ著者の、『武林叢談』という本も出版されたようだけれど、そっちの方は空港内の書店には置いてなかった。したがって未見。

武術史上の有名人をとりあげた伝記スタイルの本は、平江不肖生の『近代狭義英雄伝』(未見)など少なくないけれど、1970年代ぐらいまで活躍していた人たちの評伝となると、(特に調べた訳ではないけれど)必ずしも多くはないのではないかと思う。
その点、この本で扱われているのは、北京周辺で活躍していた武術家に限られるとはいえ、現代にも繋がる武術家たちの評伝ということで、とても参考になる。それぞれ、数ページで簡潔に纏めてあるのはうれしい。

記載内容については、それぞれ関係者の確認を得ているということで、比較的信憑性が高いように思うけれど、悪く言えば、筆者と個人的つながりのある範囲に限定されているような気もしないではない。

作者の師匠でもある、呉斌楼について紹介した部分で、呉が国術代表団の一員として来日したこと(注)について触れられている。このとき、演武のみならず「農民道」の「嘉廷真雄」に勝負を挑まれ、戦ったと書いてある。果たして、1930年代にそんな団体が実在したのかという点を含めて、やや疑問が残る。
「嘉廷真雄」というのは、加藤真雄の間違いだろうか?著者によると、嘉廷真雄は同団体の「頂尖高手」で、皇室に拝謁を許されるという「特殊恩遇」に預かっていたという。いずれにしても怪しい。

・・・

ところで、この本を読んで、ここで取り上げられている多くの武術家は、それぞれ実に多くの流派の武術を学んでいる点に気づかされる。中国武術というと、入門の儀式があったりして、他の流派の武術を学ぶのは難しいというイメージがあるけれど、そういう一般的な保守的イメージとはやや印象が異なる。それは、もしかしたら、19世紀後半から20世紀初頭の時期、「流派」というものがまだ形成途上であったためかもしれない。(『中国武術伝承研究 −非物質文化遺産視角』では、伝統武術を定義して、「1911年(辛亥革命)以前に比較的成熟した形で存在し、理論と技術体系が比較的整っていた武術」といっている。)

たとえば、この本を読むと、劉志俊が「岳氏散手」として伝えたものは、六合門、八卦掌にも精通した劉徳寛によって八つの套路(母拳)に編集(「岳氏八翻手」)され、それをさらに劉徳寛の弟子の劉恩綬が六路にまとめたものが「岳氏連拳」となった。上記のとおり八卦掌にも精通していた劉徳寛の流れからは、これとは別に「直趟八卦六十四手」が伝わっている。また陳子正の手によって劉正有、劉徳全の「翻子拳」と融合して「鷹爪翻子拳」に発展するなど、わずか1・2代の間に、もともとの「岳氏散手」が他流派との交流・融合の中で、複数の体系が生じている。
まさに作者がいうとおり、、1920年代から30年は、ナショナリズムの高まりの中で、中国武術がひとつの黄金期であったことの証拠かもしれない。

最後に、このメモを書いている途中で、北京の現代武術家についてのより網羅的な資料として、『燕都当代武林録』(北京武術院編)を見つけた。中国の各種ダウンロードサイトから無料で入手可能。

八翻手

八翻手(「真定老人」焦建国

八卦六十四手

(注)
呉斌楼の来日時期について、本書では、「一説によると1939年」としながら、第六回全国運動会のあと、とだけ記し、具体的な時期が記されていないけれど(P.21、66)、劉正「意拳史上重大疑難史事考」で触れられている東亜武道大会のことと思われる。だとすれば、来日時期は1940年になるはず。

八卦掌精華  中国伝統武術八卦掌 ─六十四手に込められた技と理

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