沼野充義編著『世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義』
やや脱線するけれど、地元の図書館にあったので読んでみた。
この本の中で、ウォルター・J・オングの『声の文化と文字の文化』(未見)によりながら、「第一次的な声の文化」(まったく書くことを知らない文化)と「書くことに深く影響されている文化」の間には根本的な違いがあり、「書くこと」が人間の思考様式や文化に与えた影響について触れていた。
著者は、オラリティの時代(声の時代)に創造された文学作品は、ホメロスの長大な叙事詩にせよ、『源氏物語』にせよ、リテラシーの時代(文字の時代)とは構造上も根本的に違うところがあるかもしれない、と指摘する。
これはもちろん文学について言っていることだけれど、武術のような身体文化についてもあてはまるのではないかと思う。
よく言われるように、武術は長いこと文字による伝承によらず「口承身授」されてきたわけで、それがあるときに文字化されたときに、たまたま当てられて漢字の意味に引きずられて、そこに過剰な意味が加わることが、よい意味でも悪い意味でも技術の変化に繋がることがあるのではないか。
仏典が漢訳されたときに、たまたまある用語にある漢字が当てられることによって、中国的な意味の変容が生じたということを、以前何かの本で読んだ気がする。
著者は、いまや時代は「声の時代」から「文字の時代」を超えて「電子の時代」に移行しつつあるが、このパラダイムチェンジは「声の時代」から「文字の時代」への変化に匹敵するような大きな変化であると指摘していて、とても示唆に富む。中国武術も、秘伝といわれてきたものや、名前しか聞いたことなかったような流派の技が簡単に動画で見られるようになってきた。
もちろん、インターネットの動画なんて玉石混交も甚だしいし、断片だけとりだしてみたところで、門外漢にとってはなぜそれが重要なのか、あまり想像もつかないことのほうが多く、断片的な情報だけが飛び交ったり、場合によっては継ぎ接ぎされるによる「変容」があるかもしれない。
- 作者: 沼野充義
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- 作者: ウォルター・J.オング,Walter J. Ong,林正寛,糟谷啓介,桜井直文
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