中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

老舎『断魂槍』2

先日、老舎の「断魂槍」についてメモしたけれど、その後たまたまあるサイトで、実は老舎自身、武術の心得があることを紹介していた。(最後に全文を引用。)

その記事に日本の作家の城山三郎の名前が出てくるので、興味を持って調べてみたら、老舎は「私は国を愛したが、誰が私を愛したというのか」という悲痛な言葉を残して入水自殺する一年前に来日して、その会合で、井上靖広津和郎ら日本の作家たちに、「壷」をめぐる話をした。そして、その話に触発されて、井上靖が『壷』という一文を記している。その原文をまだ見ていないのだけれど(『井上靖私的小説集5』に収録されているらしい)、井口潔氏の『ヒトにとって教育とはなにか?: 心の行脚』から関連する部分を引用してみる。

老舎は、死ぬ前の年、日本を訪れ、井上靖広津和郎等の作家の会合に出席している。そこで、彼は美術談義の折にさり気なくある話をしている。
「中国で、ある金持ちが落ちぶれ、老いて乞食になったが、一つの名品の壷だけはどうしても手放そうとしなかった。別の金持ちがその壷ほしさに乞食に家を与え面倒をみてやり、死ぬときを辛抱強く待っていたところ、乞食は死ぬ直前にその壷を割ってしまった」
広津和郎氏が、
「日本では名器はどんなときでも決して壊すようなことはしない」
と批判し、老舎は戸惑ったような顔をする場面が書かれている。自分の真意が広津氏に通じなかったことについての戸惑いを井上靖氏はみて、なぜか頭から離れずこの短編となったようだ。

紅衛兵は、中国の著名な知識層を総なめに襲った。作品の意図するところを勝手に反革命的と断じ、これを抹殺することが「大乱は大治につながる」との毛沢東思想の具体的表現と考え、狂乱した。紅衛兵がどのような理由で老舎を襲ったか知らないが、繊細、孤独で誇り高い老舎の魂には紅衛兵の侮辱は許し難いものであったろう。「壷」は
「老舎は壷を抱いて飛び降りた。壷を砕いて死んだと思ったのである」
と結んでいる。
 老舎は自分の魂を名器に見立てていた。土足で勝手に神聖なるべき魂の座に上がりこむ文革という野暮な無礼者を、「壷を砕く」という話に托して憤りをあらわそうとしていたのであろうか。その乞食の気位の高さと最後の決断は、老舎自身の決断であったにちがいない。

ここでいう「壷」は、まさに沙子龍にとっての「槍」である気がする。

当時と同様にいまも一つの時代の変わり目。商業主義が蔓延する中国で、伝統武術は無形文化遺産として「保護」の対象になりつつある。心ある武術家が、商売目当てで近づいてくるさまざまな人々に警戒心を抱き、「俺の魂の結晶である○○は、この俺が墓場まで持ってゆく」と頑なな態度になり、その結果ある技が失伝されるということもあるかもしれない。しかし、それも悪いこととばかりはいえないだろう。
たとえ似て非なるものになってもいいから、形だけでも後世に残るのがよいのか、実物は失われても、伝説として人々の心に残るのがよいのか、どちらがよいかは、一概にいえないと思う。

老舎という作家になんだか興味が涌いてきた。

著名作家老舍是武术高手

据老舍的儿子舒乙介绍,老舍有四个子女,舒济、舒乙、舒雨、舒立。舒乙是老舍先生的唯一的儿子,现任中国现代文学馆馆长,老舍。老舍原名舒庆春,字舍予。当年的老舍家境贫寒,自幼身体不壮,22岁那年,一场大病几乎要了他的命。病好之后,想起了锻炼身体,从此就和打拳结下了不解之缘。

老舍最先练的是剑术。老舍不仅会舞剑,而且舞得颇有心得,居然编写了一本《舞剑图》。

1933年4月,老舍忽患背痛,痛得很厉害,医治无效,大夫无策。这使他下决心加强锻炼,便拜济南的著名拳手为师,开始系统习武。武术和狗皮膏药的夹攻果然奏效。从此,老舍不再间断拳术锻炼。他学了少林拳、太极拳、五行棍、太极棍、粘手等,并购置了刀枪剑戟。1934年迁居青岛。老舍在黄县路租了一套房子。房前宽敞的院子成了他的练拳场子。通客厅的小前厅里有一副架子,上面十八般兵器一字排开,让初次造访的人困惑不解,以为闯进了某位武士的家。这一时期的老舍,生活安定,身体说不上健壮,但无大毛病,创作旺盛,写出了像《骆驼祥子》这样的优秀作品。

抗日战争爆发后,刀棍都丢在了青岛,但太极拳始终没扔,走到哪儿打到哪儿。重庆北碚蔡锷路24号房前有一个大操场,1943年秋至1946年初,每天清晨,人们都可以看见一位戴眼镜的清瘦中年人在操场中央打拳,姿势优美,动作娴熟,功夫到家,这便是老舍。

老舍虽爱好拳术,但很少谈起,只是偶遇懂行的人才深谈。1965年他访问日本,遇到一位叫城山三郎的日本作家,不知道怎么就扯到了武术,谈得非常投机。城山先生无论如何也不信他眼前这位拄着手杖的瘦弱老者会精于此道,一定要和老舍比试比试,哪怕试试手劲呢。老舍猛出一掌,打了城山先生一个趔趄。城山先生大叫:“真有功夫哇!”一时在日本文学界传为美谈。老舍不幸逝世之后,城山三郎先生写了一篇悼念文章,其中还提到了这场不寻常的文人“比武”。

由于和拳师们有过交往,老舍装了一肚子拳师们的传奇故事。在小说里,老舍把三位出场的拳师和他们各自的拿手戏——王二腾的刀技、孙老者的拳术、沙子龙的“五虎断魂枪”,描写得活灵活现,读起来仿佛耳边都能听到刀棍在空中嗖嗖的响,但是,《断魂枪》的妙处并不在这儿。沙子龙断然拒绝传授“五虎断魂枪”。夜深人静,他关好门一个人独自在院中,一气把六十四枪刺下来,望着群星,想起当年在野店荒林的威风,用手摸着凉滑的枪身,微微一笑,“不传!不传!”故事到此戛然结束,你只听得“不传!不传!”的声音在空中飘荡,使你的神经为之震颤。沙子龙的“不传”后来居然成了一种因时代变迁而无法施展绝技的人们所特有的心理状态的同义词。更有趣的是,有人还把老舍的文学称作“不传的文学”,意思是说,表面容易了解,实际很难把它的深刻含意完全吃透。

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