スコット・M・ビークマン『リングサイド プロレスから見えるアメリカ文化の真実』
アマゾンで二束三文で購入。
このブログの観点から、読み終わって興味深かった点をいくつかメモ。
レスリングのスタイルは「ラフ・アンド・タンブル」、「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」、「グレコ・ローマン」などいくつかあったのだけれど、南北戦争の頃「カラー・アンド・エルボー」という、もともとバーモント州で行われていたスタイルが北軍で兵士たちの「健全な余暇」として導入された。軍中でこの技術を身につけた人々が退役して故郷に戻ってゆくなかで、全国的なスタイルとして広まっていったという。
このあたり、戚家軍の訓練内容の一つであった三十二勢長拳が、のちの民間武術のベースになっているところと似ている気がする。
なお、その後、アメリカ的なスタイルとして定着するのは、「辺境地区でのけんか、ラフ・アンド・タンブルの刺激、カラー・アンド・エルボーのテクニック、グレコ・ローマンの要素を融合」させ、さらに「1880年代後半に日本から渡来した柔術を加えた“アメリカ的”キャッチスタイル(P.69)。辺境地区でのけんか、っていうのは、クリント・イーストウッドの「ダーティ・ファイター」みたいな世界なのかな?それともジャッキーチェンの「バトルクリーク・ブロー」みたいな世界?あるいは、全く別のもの?
レスリングのもう一つの流れとして、カーニバルの一座の中で怪力を誇示していたレスラーの伝統があるらしい。
彼らは、訪問する土地土地で公開挑戦状を出すことで対戦者を見つけ、自らの怪力、技術を誇示したらしい。
公開挑戦状を出して挑戦者を見つけるといっても、実際には、事前に仲間を次の興行地に送り込むなどして、様子を探らせるということもしていたらしい。時には、先回りして乗り込んでいたその仲間が挑戦に名乗りをあげ、「真剣勝負」を演じるということもあったようだ。このあたり、あまり個別の具体例は示されておらず、概説的に紹介されているだけだけど、いろいろ気になる点が潜んでいる。
たとえば、カーニバルにおけるレスラーの位置づけは、角抵戯、百戯における力士たちの位置づけと似たようなものかもしれない。あるいは、軍隊の訓練を土台にしたレスリングとカーニバルをにおけるレスリングの関係は、軍事武術と民間武術の関係を彷彿させる。
それから、公開挑戦状という形式。この方式は、英国のボクシングに由来しているという。思えば、精武体育会設立のきっかけは、「西洋大力士・奥皮音」(国籍不明)の公開挑戦表明だったし、こういう公開挑戦状の例はほかにもいろいろあったような気がする。
蔡龍雲と戦ったロシア人マスロフ、アメリカ人ボクサー「黒獅子」ルサールなどは、中国人の民族感情を大いに刺激したわけだけれど、彼らはボクシングなりレスリングで生計を立てる人間として、母国でも行っていたごく当たり前の「興行」をやりたかっただけで、公開挑戦状で対戦者を募るというのは、彼らにとってごく当たり前のことであったのかもしれない。このあたりは試合に至る経緯など、資料が手に入らないのでいまのところこれ以上突っ込んで調べることができない。(蔡龍雲とマスロフの試合は8対8の対抗戦であったらしい(笠尾恭二『中国武術大観』)。だとすると、立派な規模の興行になったといえなくもない。
(蔡龍雲のインタビュー)
「真剣勝負」を演じるところも面白い。プロセスをどこまで細かく決めるかは別として、このあたり「対練」と似た趣がある。
「筋肉的キリスト教運動」というのも面白かった。
これは、「競争と接触をよしとするイギリスの伝統的スポーツマンシップや、身体的完璧さを科学的に探求しようというドイツ式体操の中核的な考えに、フェアプレイと道徳的行為を尊ぶキリスト教精神が結びついたもの」(P.39)として1880年代に支持を得たらしい。こうして欧米で形成された体育、スポーツという考え方が中国にも輸入されたところに「東洋体育」としての武術の再生がある。(現代中国武術には、このほか、ソビエト的身体文化の影響があると考えているのだけれど、このあたりの資料をなかなか見つけることができない。)…というのが自分なりの仮説。
- 作者: スコット・M・ビークマン,鳥見真生
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/06/25
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