中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 。頭の体操なので、たまたま立ち寄られた方は決して鵜呑みにしないこと(これ、肝要)※2015年2月、はてなダイアリーより移行

『台湾、街かどの人形劇』

台湾の人形劇(布袋戯)の陳錫煌に10年間密着取材した話題のドキュメンタリーを、先日鑑賞。

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 祖父と同じく、彼の父・李天禄も「入り婿」であったために、長男である自分は父の姓ではなく、母方の姓である陳を継がなければならなかった。そのため、人形劇の名人として知られる父がつくった一座は次男が継ぐことに。
 父の一座の座長を継ぐことができないことが宿命づけられた状況で、彼が人形使いとしてどのような苦労を重ねてきたのか、そのあたりはあまり深く触れられていなかったけれど、多少想像で補うとすると、だからこそ、父は、一人の人形師として独り立ちできるように、弟よりも徹底的に技を仕込んだようにも感じられた。教えられたとおりにできないと、硬い木でできた人形の頭で、遠慮なく殴られたというのは、そういうふうに解釈することができないか。

 そういう「宿命」を背負うことを前提に伝えられ、深められた名人芸を今度は自分が伝える番になったときに、気がつくと台湾社会は大きく変わっていて、すでにおおくの劇団は活動を停止している。こちらから各地に出かけていって技を伝えようと思っても、そもそも受け皿になる団体や、人形使いとして活動している人材自体がいない。再び考え方を転換して、集中指導を行うための場を一念発起して立ち上げてみても、活動実績のない団体にはなかなか公的な支援が受けられない。

 とはいえ、研修施設ができたことで、外国からも研修生がやってくる。国内の弟子たちは現実の生活を維持しながら教えを受けているのに対して、外国からきた研修生は、より純粋に人形劇と向き合っているように見え、師匠の目はますます外国から来た弟子に向けられる。ただ、そうなると、古い弟子たちの心中は必ずしも穏やかではない。もしかすると師匠の衣鉢は外国人の弟子が受け継ぐことになるのではないか、という思いも生まれてくるが、現実に人形劇一本で食べていけない以上はどうしようもない。

 そうこうしている間にも、同じ世代の演奏家人形遣いたちが次々に世を去ってゆく。この記録を撮っている監督と一番弟子の間にも、次第に、技芸の継承についての自信がゆらぎ、もしかしたら自分たちは文化の消滅を記録しているのかもしれない、などと語りあうところはなんとも重たく感じられ、そのせいか映画の最後に演じられる見事な人形劇もどこか悲しく思えた。


 そのほかにも、国民党の政策の中で、演じるべき内容・主題が政治的に決められたり、もはや時代遅れの娯楽だと批判されたかと思えば、優秀な文化遺産だと持ち上げられたり・・・といった、人形劇をめぐるいろいろな問題が断片的に詰め込まれていて、決して一つのストーリーがうかびあがってくるような上手な編集がされているとは思えなかったけれど、それだけに、この伝統劇が直面している状況の複雑さがわかる気がした。

 一回見ただけなので、たぶん、ちゃんと理解できていないこともあると思うけれど、衰退しつつある伝統文化という点では、武術をめぐる状況と似たところも多く、機会があれば、もう一度といわず、何度でも見てみたいと思える映画だった。
 

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