曹錕とその周辺2 北寧国術研究会など
「国術週刊」の「第十一十二十三合刊」(注)に、天津の北寧国術会設立三周年についての記載がある。
北寧国術会というのは精しいことがわからないけれど、「中国武術在線」の「天津武術組織」の記事に北寧国術研究会と紹介されている団体と同じ団体であると思われる。だとすると、設立は1932年の6月。設立者の郭寿臣は、以前に、曹錕が北京政変で大総統の座を奪われた際に、曹錕とともに天津に移ったとメモした武術家で、資料によって侍衛長だったと書かれている、ともメモしたけれど、そうだとすれば、この三周年記念大会も、それなりの規模と格式のものであったと思われる。
濒临失传的八极拳“活化石”——王连峰传小架八极拳简介(1)——王树森、刘保龙 口述,杨文学 整理 ——中国武术在线 武术流派
濒临失传的八极拳“活化石”——王连峰传小架八极拳简介(2)——王树森、刘保龙 口述,杨文学 整理 ——中国武术在线 武术流派
濒临失传的八极拳“活化石”——王连峰传小架八极拳简介(3)——王树森、刘保龙 口述,杨文学 整理 ——中国武术在线 武术流派
この三周年記念大会には河北省国術館の面々も参加しており、演武者の中には、日本に河北省国術館の八極拳を伝えた張世忠老師の名前も見える。
その他、記事には上掲の「中国武術在線」の記事に出てこない団体名も演武に参加しており興味深い。
なお、記事で開会の挨拶をしている金警鐘とは、『国術名人録』『実用大刀術』(ともに未見)等の著書の有る金恩忠。中国版ウィキのページでは、北平人となっているけれど、以下の「毎日頭条」の記事では、自称北平人ながら実際は朝鮮半島の人で、日中戦争後は韓国に戻ったらしい。その後は何か武術関係の活動をしていたんだろうか。
金恩忠,韩国人,民国时期在我国多年,自称北平人,抗日胜利后返韩。https://kknews.cc/history/ox6jakm.html
郭壽臣は同じ1935年の5月には山東の第三届国術省考にゲスト(?)として登場し、酔八仙拳を演じている。
北寧国術会は翌1936年にも設立4周年記念活動を行った模様で、開催準備をしているという短い記事が華北日報に出ている。
(注)
東洋文庫所蔵の姜亜沙編『民国珍稀短刊断刊.天津卷』(第8冊)に収録
2020.6.13
華北日報からの引用二か所を追加。