気になる武術映画
伝統武術に題材をとった映画二本の製作についての情報が流れてきた。
一つは査拳についてのもので、日中戦争の頃の、馬忠啓という老師の伝記映画のよう。タイトルはそのものずばり『査拳』らしい。
馬忠啓という人についてはあまり詳しい情報がないけれど、以下の記事によると、回族で、河南省沈丘県(周口市に属する)懐店鎮の馬長発という人に師事したらしい。1917年頃、六安州軍営の教官の職を辞して上海に出て、弟子の張業先と振華武館という武館を開いたとのことだけれど、この記事以外の詳細は未確認(後述のように、青海または寧夏で武術教官に任じたとの情報もあり)。張業先は、その後、師の紹介により唐殿卿の教えも受けて一九二八年ごろに技を大成して故郷の豊県に戻り、査拳を伝えたらしい。
張業先はその後、一九三七年一一月に西北軍の後方弁事処処長の汪為哉が豊県に来ると、李貞乾の紹介で武術団を組織して汪に従い陝西省大荔県で訓練を行う。訓練を経た武術団は武術営に再編されて張は営長に任じ、武郷、平遙、太谷、沁源、榆次などを転戦。中華人民共和国成立後は西安に居を構えて武術を伝えたとのことなので、陝西省の査拳は彼とその後継者が伝えたものなのだろうか。
その他、この李尊恭も河南の沈丘出身で、馬忠啓の弟子にあたるらしい。
李尊恭は以下の記事によると、1929年上海で行われた全国擂台(詳細未確認)で頭角を現し、師匠の馬忠啓(記事では馬忠起)とともに、馬歩芳、馬鴻逵の部隊の武術教官に招かれたとのことだけれど、馬歩芳は青海馬家軍、馬鴻逵のほうは寧夏馬家軍なので、それぞれ分かれて着任したということなのか、詳細は不明。その後の馬忠啓の動きはわからないけれど、李尊恭のほうは国民党の黄伯涛の部隊の武術教官を経て、杜聿明の部隊で東南アジアで抗日運動に携わっていた模様。「解放後」ミャンマーから帰国したようなので、日中戦争がおわってからも暫く東南アジアにいたのだろう。中国に戻ってからは嘉興で武術を教えたらしい。同じ記事によると、「古典技法の復元に関するシンポジウム」でメモした、心意六合拳の沈錦康は李尊恭の教え子でもあるとのこと。
馬歩芳、馬鴻逵についての関連メモ
李尊恭の伝えた査拳の動画
李尊思(1918年生)と李尊恭(1901年生)は兄妹、李尊思は師兄弟ということでよいのかな。李尊発と李尊思が同じ頃に上海に出て来たのは、上海からキャリアをスタートさせた李尊恭に倣ったのだろうか。
李尊発の査拳は蘇州あたりで広く伝えられている模様。李尊思は査拳とともに心意六合拳で知られているのかな。 上海には李尊思心意六合拳伝承基地というのがあるらしい。
查拳心意六合拳大师李尊思(1918-2014) ——中国武术在线 名人名家
〇以下の記事には、李尊発と李尊思は師兄弟とある
査拳の関係者についての映画というと、馬永貞などもその系列になるのかな。
と、ここまで調べた範囲では、あまり肝心の馬忠啓についての情報は得られなかった。
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もう一つは形意拳を題材にした『形意英雄』
こちらは中華人民共和国建国70周年の武術抗日映画(武術抗戦片)という位置づけられており、なんだかものものしい感じ。清の光緒年間に、車毅斎が天津で対戦した日本人「板山太郎」の息子の「板山野」が、抗日戦争時代に日本軍の指揮官として山西太谷に来たときに、父が負けたことが記された車毅斎の記念碑を壊そうとして車毅斎の後継者たちと戦うというお話らしい。
天津で車毅斎で戦って負けたという日本の「武林高手」「板山太郎」については特に、詳しい情報無し。
全然関係ないけれど、孫禄堂が戦ったことになっている「天皇欽定」の第一国手は板垣一雄だった。
ちなみに、車毅斎の弟子には李復貞がいて、李復貞の弟子に 陳際徳がいる。陳際徳は楡次国術館を作ったり山西国術促進会の総教練になる、素性の明らかな人だけれど、以下の記事によれば、若い頃に、宣教師と「ニ毛子(中国人信者)」に、義和団員と間違えられて処刑されそうになったところを師匠の李復禎公に助けられ、それから真面目に武術を練習するようになったと自ら語っている。他方、『中国形(心)意拳発展知録』(郭書民、翟相衛、蔡鵬著)には、陳際徳はキリスト教徒で、当地の義和団員に処刑されそうになっていたのを李復禎に救われた、と全く逆のことが書かれている。ことほど左様に人物についての情報はアテにならないことばかりなので、ましてや、武勇伝の中に出てくる通りすがりの外国人の素性なんて、探してみたところでかなり適当な情報しか得られないだろう。
余計なお世話ながら、トンデモ抗日ドラマのような映画にならないことを祈りつつ、これも完成したら見てみたい気がする。
2019.3.16追記
上掲の 『中国形(心)意拳発展知録』をよく見たら、巻末に「車君毅斎記念碑」の内容が記載されているけれど、これによると彼が天津で腕比べをした日本人の名前はでていない。よって、その弟子がご先祖の恥をすすぎにくること自体、在り得ない話だろう。
査拳のほうを調べていたら時間が足りなくなった。やや中途半端だけれどこのあたりでいったん終了。
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そういえば、高占魁を主人公にした『鷂子高三』はどうなったんだろうと思っていたら、中国の動画サイトに、2018年11月にアップされた動画があった。精しい情報はないけれど、完成したのかなあ。
高三記念館の紹介動画。ぜひ行って見たい場所のひとつ。