中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

ベルリンオリンピック代表団 番外編(ボクシング)

南京図書館の画像データベースをみていたら、「32軍西洋拳術隊」の写真がでてきた。

 

正確にいうとキャプションは「32军西洋拳术队赵允诸等一行五人,1936年抵沪参加西人青年会业余拳术比赛,图为选手合影」。

出典:http://www2.jslib.org.cn/was5/web/detail?record=35&channelid=6851

 

どうやらこれは、商震の国民党三十二軍のボクシングチームが、1936年2月に、上海で「青年会」(YMCA)主催のアマチュアボクシング大会(业余拳术比赛)に参加したときの写真らしい。

趙允諧(写真のキャプションでは「赵允诸」)は、南京国立国術体育(専科学校)の教師から綏遠省体育督学に任じたあと、三十二軍の体育部主任に任じた人物で、選手は王潤蘭、靳桂、靳貴第、李夢華(注1)の四人と思われる。

 

 

baike.baidu.com

 

baike.baidu.com

 

上の百度百科の記事や、下のブログ記事によると、この競技会はベルリンオリンピックの代表選考の意味があった模様。四人のなかでは一番年下の李夢華が勝利したほか、王潤蘭、靳桂、靳貴第の三人は外国選手に負けたらしい。それでも、技術的にみるところがあったのか、四人はベルリンへの派遣を前提にしたが強化訓練に参加することに。

以下のブログによると、中央国術館の唐豪もこの競技を見に来ていたらしい。

 

zhuanlan.zhihu.com

 

上海での強化訓練は、英国人コーチ「丁格爾」と、以前にメモした精武体育会の陳漢強が指導にあたった模様。

これも以前にメモした郭守靖『浙江武術文化研究』によると、韓慶堂、劉百川、田兆麟、劉金声らに学んだ何長海は予選参加を経て、ボクシングの強化訓練のメンバーになっていたのではないかと思われるけれど、三十二軍の4名以外の参加者については詳細を確認できていない。

また、英国人コーチ「丁格爾」に関しても、上記の百度百科の記事では三十二軍がもともと天津からやとって訓練していた英国人ボクサーと読めるのに対して、「知乎」の記事では上海のYMCAのコーチとも読め、本名の正式な表記とあわせていまのところ情報不足。

 

zigzagmax.hatenablog.com

 

zigzagmax.hatenablog.com

 

最終的に、ベルリンには、三十二軍の四名が参加したらしい。上述の何長海や、当時すでに一定の競技実績があり、実際に一行の指導も担当した陳漢強の愛弟子の鄭吉常が参加しなかったのは、三十二軍の商震がスポンサーであることが関係しているのかもしれない。鄭吉常の家庭は富裕で、旅費を負担できないわけはなかったはずだが、当時、鄭はボクシングをめぐって家族との関係が断たれていたため、旅費を無心できなかったという話も(注2)。

 

なお、このうち、実際に競技に参加したのは王潤蘭と靳貴第のふたりらしい。

王潤蘭の成績に関して、以下にリンクを貼った河南大河網の記事のように、一回戦で日本人に判定勝ちしたあとに二回戦でオランダ人選手と対戦してこれにも勝利、つづけて行われた決勝参加者を決めるイギリス人との試合では第三ラウンドでダウンを奪い、2対1で判定がちしたはずだったのに、なぜか三日後に判定が覆り、決勝にすすめなかったというような記事が散見されるけれど、実際には、重量級一回戦でオランダ人選手Wim Fockに判定負けしている模様。

靳貴第は中量級の試合でイギリス選手Richard Shrimptonと戦い、一回戦でKO負けしている模様。これまた相手のRichard Shrimptonはタイトル保持者であったとか、レフェリーが不公平であったなどと書いている記事があるけれど、よくわからない。

四人のうち、李夢華を除く三人は、帰国後に戦線に戻り、日本との闘いの中で戦死しており、伝説となるなかで尾ひれがついていったのかもしれない。

Republic of China at the 1936 Summer Olympics - Wikipedia

 

日本代表と戦績は以下のとおり。

1936年ベルリンオリンピックの日本選手団 - Wikipedia

役員:鹿毛善光
役員:坂口信夫

永松英吉(明大)
 ライト級:2回戦敗退
宮間佐治郎(三重)
 フェザー級:1回戦敗退
橋岡俊平(法大出)
 バンタム級:準々決勝敗退

中野千代人専大
 フライ級:2回戦敗退
李奎煥京城中東)
 ウエルター級:1回戦敗退  

 

なお、上海の青年会ボクシング倶楽部が中国武術界に挑戦したというのが、1943年に蔡龍雲も参加した中国武術とボクシングの対抗戦のようで、上海では名門クラブだったようで、なんだか話が繋がってくる。

 YMCAによる近代スポーツの普及や競技会の開催の影響についても、きちんと調べてみたほうがよさそう。

 

 

〇王潤蘭についての情報

www.baike.com

 

〇王潤蘭についての河南大河網の記事 

www.dahe.cn

 

〇靳貴第

www.krzzjn.com

 

注1

李夢華は、代表団についてとりあげた「体育季刊」1936年第二期の写真には「李夢蘭」とあり、どちらが正しいのかは未確認。

なお、「体育季刊」掲載の同写真は赵唯佳、修德平 采写、郑沙坚、袁杨晓龙、冯明昌 口述「“亚洲毒蛇”郑吉常几则事件资料补正」にも見られる。

http://www.shtyky.cn/tykycn/ch/reader/create_pdf.aspx?file_no=20180401&year_id=2018&quarter_id=4&falg=1

 

 

〇件の写真入り記事が載っていると思われる「体育季刊」1936年第二期の表紙

 出典:体育季刊_不限_孔夫子旧书网

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注2

上掲「“亚洲毒蛇”郑吉常几则事件资料补正」より

赵: 郑家有钱袁 那为什么没有资助郑吉常参加
1936 年的奥运会呢?
杨:这个事情我有所了解。 问郑吉常本人、他是
说自己没有钱。 那我想不通袁怎么会没钱遥 他们家那
么有钱的呀。 国民党的一个军长、叫商震、他比较喜
欢拳击、他就从他部队挑了几个人、放到上海来训
练、主要由西侨的拳击教练丁格尔和精武的陈汉强
来指导他们。当年郑吉常也带过他们训练。按照其他
人的讲法、那几个人的水平跟郑吉常要差一个档次。
只因为是商震出资的、不可能让别人去比赛、所以郑
吉常就因为出不起路费、结果没去成。后来我侧面地
了解了一下、郑吉常打拳、家里人是反对的。最后为
了打拳、跟家里等于是脱离关系了、所以那时候又不
好意思再问家里拿钱。但是按照郑吉常当时的水平、
可能我们中国体育的第一块奥运金牌就能诞生。