中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

井勿幕、井岳秀など:「鷂子高三」の関係者たち

以前にメモしたけれど、『少林拳術秘訣』に出てくる「三原高氏」について、唐豪はその実在を疑問視していたけれど、近年の研究でこの「三原高氏」は「鷂子高三」こと高占魁らしいとされている。その高占魁の弟子に魏金鐘がいて、魏の教え子の中に井岳秀がいる。清の武庠生で陕西武備学堂を卒業し、かの地では刀客と称されていた江湖遊侠たちと交流があったらしい。

井岳秀:被自己手枪走火打死的陕北“土皇帝” - 政治 - 水煮百年 - 打捞麻辣鲜活的历史细节

 

関連の過去メモ

zigzagmax.hatenablog.com

 

彼の弟の井勿幕は1903年12月に日本に留学して大成中学、経緯学堂で学び、1905年8月に東京で同盟会が成立すると陝西省の同郷の康心孚の紹介でこれに入会、孫文に同盟会陝西支部長に任じられ、さっそく西安に帰っている。

鳳凰テレビが彼ら兄弟を特集した番組(以下にリンクを貼り付け)では、井勿幕は西安に戻る際に、孫文から地元で顔のきく兄の井岳秀宛の手紙を托され、手紙を読んだ井岳秀はその趣旨に賛同して最初の会員に名乗りを上げたことになっている。

こうして井勿幕は、兄の協力を得ながら、周辺の知識青年のみならず会党、刀客(ヒ首会)および河南、甘粛、四川省の同志に連絡し勢力の拡大を図ったらしいけれど、そうしたことが可能だったのは、上記のように、兄がそちらの人脈と繋がっていたことと関係があるのだろう。

井勿幕は「侠魔」、「大無畏」などのペンネームで宣伝を行うなど文章も書けた人のようで、彼らが会党、刀客らをを仲間に引き入れるときのキーワードが、もしかするとこれらの地域で名の知られた大武術家「鷂子高三」であり、そのことが『少林拳術秘訣』に反映されていると考えると、スッキリする。(ただし、知識青年たちは、こうした人たちを仲間に引き入れることには必ずしも賛成ではなかったらしいことも、鳳凰テレビの番組から伺えた。)

 

 〇井勿幕(左一)、井岳秀(右一)

 出典:井岳秀统治陕北的20年--人民政协报

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井暁天『乱世云烟:井勿幕、井岳秀昆仲史事钩沉』は今年1月1日に出版されたばかりのよう https://www.amazon.cn/dp/B0788WV2RV

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井岳秀、井勿幕兄弟についての鳳凰テレビの番組。残念ながら高占魁についてはふれていない。

www.youtube.com

 

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あらためて高占魁の関係者を調べてみると、会党関係者がぽろぽろと見つかる。

たとえば、陝西省の第一届政協委員を務めた郝鵬程は、息子の范明(郝克勇)の回想録によると高占魁の弟子であり、同時に洪幇のメンバーであった。結拝した義兄弟のなかに上述の井岳秀、井勿幕のほか楊虎城史可軒魏野畴恵又光李徳(李煙杆子)らがいるという。

『范明回忆录:1914~1950』「第二节 我的父亲郝鹏程」

 

このうち、楊虎城は、叔父が哥老会のメンバーで、彼自身ものちに哥老会に加入している。西安事件のあと、アメリカに一時身を置いたとき、蒋介石の刺客に命を狙われて致公堂のボスの司徒美堂に助けを求めたというけれど、そのことの背景に、互いがもつ会党の背景があるのかないのかは未確認。なにかそういう繋がりがあると考えたほうが面白そうではある。

 杀军统特务保护杨虎城

  1936年西安事变后,杨虎城将军被迫出国,前往欧美进行军事考察。1937年7月30日,杨虎城到达纽约,司徒美堂发动侨团为其接风,然而在一个风雨交加的深夜,杨虎城突然造访司徒美堂家里,称军统特务欲加害于他,希望得到司徒先生的保护。司徒美堂先生立即派出安良堂的成员对杨虎城严加保护,甚至不惜与军统翻脸,亲手杀掉了受戴笠之命准备在美国暗杀杨将军的4名特务杀手,让杨虎城在纽约安全地度过了6天时间,并在8月份顺利前往伦敦。

司徒美堂传奇:毛主席搀扶下轿 杀特务保护杨虎城

 

胡景翼もかつて父の仕事の関係で三原にいたときに魏金鐘を師として武術を学んでおり、同盟会加入後に哥老会や刀客への連絡を担い、自分自身も哥老会に加入したらしい。

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その他、高占魁の弟子の馬旭武、姜保(姜老五、姜宝とも)の教えを受けた楊傑(杰)や楊振西らは大道芸人の姿で積極的に連絡工作に協力したことがうかがえる。

会党のメンバーであったという記述はないけれど、なにやらそういった匂いがする。

为了联络志士,杨杰与他亲如弟兄的高家拳习练者的王振西经常掮扛着耍武术器械“把子”,在渭北一带各县,以卖艺耍权为名,作些有益于反清革命的秘密工作。

1910年,也是“辛亥革命”的前一年为例于专期的进行反清秘密活动,在“同盟会”的同意下,他报名参加了陕西新军。1911年10月“武昌首义”成功,杨杰便参加了西安的“反正”斗争,胜利后,任“秦陇复汉军”东路招过使张钫(伯英)麾下游击营营长之职。在推翻清朝统治的斗争中,杨杰以胆略、武功,带领队伍,衙锋陷阵,为民主革命作出了应有贡献。

宝鸡市武术协会,武术协会--欢迎您的来访!

 

楊傑(杰)はのち、陝西省国術館の教練にもなっているけれど、同国術館の館長は同じく姜保の弟子の楊瑞軒。以下の記事によると、同館は共産党の秘密連絡処で、学員の多くが共産党員であり、楊虎城はその活動を支援して、楊傑に春秋大刀と、長年愛用した単刀を寄贈したという。

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同じく姜保に紅拳、炮捶を学び、韓慕侠に形意、八卦、呉鑑泉に太極拳を学んだ郭叔蕃は、従軍期間中、爆薬を一人でかついで呉佩孚公館を爆破したのだという。この人自身が会党のメンバーであったかどうかは未確認ながら、「青幇之起源」と言う文章を書いているらしく(未見)、興味がもたれる。

なお、この人は 「鉄襠功」でも有名らしい。

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いろいろと芋づる式に名前がでてきて、視界が開けてきた気がする。まだまだ消化しきれていないけれど、とりあえずのメモとして。

 

なお、小ネタとして、陳亜斌『三秦武術』では、高占魁自身のエピソードとして紹介されていた、セクハラ作戦で師母から技(裙攔腿)を盗んだのと同じ話を、郝鵬程は、息子の范明に、姜老五(姜保)が高占魁から学んでいたときのエピソードとして語っている。そこでは、姜老五が高占魁の奥さんから盗んだ技は「美人照鏡」とされている。「美人照鏡」は、ちょうど映画『少林小子(少林寺2)』にでてきたこの技と同じ気がする。

 

映画『少林小子(少林寺2)』から

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本メモの内容とは直接関係ないものの、致公堂・司徒美堂の顧問弁護士を大統領就任前のフランクリン・D・ルーズベルト が担っていたというところも興味深い。

 

〇致公堂とルーズベルト

至公堂与罗斯福 -- 华侨历史文献档案馆