中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

河北省国術館、天津市国術館、『形意拳術講義』など

 河北省国術館の設立と館長について、ふたつの説があることに気づいた。

一つは、李書文と関係の深い許蘭州が1928年に天津で設立し、自ら館長に任じたという説。
許蘭洲の故郷でもある南宮の南宮広播電視台のサイトの以下の記事には、日本で著書も出版された張世忠氏の名前も見える。

  

1928年许兰州将军捐资在天津创办河北国术馆,他亲自任馆长。河北国术馆的宗旨是“继承中华武技,强种强国”。许兰州将军创办的河北国术馆,入选学员不但不教学费,一切由许将军全面供应,每月还发津贴。国术馆以传授八极拳为核心,封闭训练,培养了鲍有声、张世忠、王绍先、吴玉昆、杨国茂等大批闻名全国的武术人才。河北国术馆是1928年后中国影响最大三大国术馆( 即南京国术馆、河北国术馆、山东国术馆)之一。

 

 

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もう一つの説は、設立時期は同じく1928年ながら、館長は当時の河北省政府主席の商震という説。商震館長の名義で、教務長に形意拳家の李星階(李文亭)を招いた文書も公開されており、文書の日付や文書番号からも、こちらの説に分があるように見える。

 

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〇出典:民国十七年李星阶先生任河北省国术馆教育科(后改称教务处)主任的聘书_李洪钟_新浪博客

 

李瑞林の「商震自幼学练形意拳 曾入军界成立河北省国术馆」には、商震館長以下、董事、顧問、教職員の名前が多数紹介されているけれど、このなかに上の記事に上げられている李書文らの名前は見られない。名簿部分を貼り付けておくと以下のとおり。

河北省国术馆董事:李景林 傅作义 崔廷献 曾延毅 高志仁 贺芝生 蒋馨山 郭铸山 张宪武 霍双立 刘善菁

河北省国术馆顾问:孙禄堂 于风顺 马贵 冯俊义 居庆元 叶潜国 门宝珍 李梦瑞 脱鸿逵 刘庆福 张古尘 于殿鳌 刘印樑 毛维才

河北省国术教职员:姬凤祥 张辅臣 张式涛 何金奎 尹金玉 尹成章 尹玉章 李秋轩 刘斌 程有信 毕爵 杜汉升 修显 梁忠慎 卢书魁 阮玉书 于环 何忠麒 黎雪樵 刘殿臣 王丹林 李性和 武承烈 杜之良 孙传桂 高星樵 郑玉亭 居文耀 高克兴 贾宝华 董文修 刘宝琦 孙梦麒 张德荫 唐煜南 谢燕南 郭向荣 黄沛庭 于继瑞 于继璋 李金科 盛启辉 张国栋 严元生 蔡国英 陆启明 于家凤 卢明亮 杨卓华 俞辉如 沈达文 宫金祥 于升阶 韩世勋 许泰征 李振如 张芾南 刘西川 沙云祥 王景孟 孙锡 何寿康 何寿堂 王少田 张恒 王镜清 张子连 王席珍 张宝鼎 王沐堂 王景山 邱式俭 田庆升 田凤鸣 史文瑞 钱茂林 刘来考 张宝善 刘益三 王才臣 张宝年 王景安 李午山 张西川 赵积善。

 

 どういうことかと思ってさらに調べると、同じ李瑞林の「民国政要津门挺武术(下)」に、河北省国術館は馬良の干渉により、1929年の夏から秋ごろ(つまり設立から半年あまりで)、北平に移転を余儀なくされ、1932年8月に再び天津に戻ってきたが、その際に許蘭州を館長に奉じたと書いてあった。

1928年秋天,商震耳闻目睹“南京中央国术馆”搞得热火朝天,如火如荼,立刻招兵买马,在天津组织成立了河北省国术馆,并担任馆长。时任北平警备司令兼陆军42师师长的张荫梧被聘任河北省国术馆副馆长,天津警备司令傅作义也在河北省国术馆有任职。武士会第三任掌门李星阶任河北省国术馆教务长,部分武士会员过渡到河北省国术馆任教员。从遗留下来的河北省国术馆组成人员的名单中,我们可以了解到中华武坛“黄金年月”的辉煌。
因为受到马良(汉奸)的干扰(另文介绍),1929年夏秋之交,河北省国术馆迁址到北京(平)西城太仆寺街七十号。
1932年8月,河北省国术馆又迁址回天津,落居中山公园,并设立演武场。原奉军将领许兰洲任馆长。抗日战争爆发后,河北省国术馆解散,原址建为“觉民学校(堂)”。

 

この説が正しいのかどうかわからないけれど、馬良はこの頃、1928年9月に設立された天津市国術館の館長に任じているようで(注)、天津市国術館としては、最後の会長の李星階をはじめ、中華武士会の人員を引き継ぐ形で河北省国術館が設立されることに脅威を感じただろうことは想像に難くない。許蘭州が1928年に河北省国術館を設立したという説は、1932年以降の話と混同されてしまっているのかもしれない。(上に引用した記事とは違って、着任時期を明確に書いていない記事も散見される。)

 

(注)

天津地方志網の記事参照

天津地方志网

 

この件に限らず、形意拳の関係者の書いているものと八極拳の関係者の書いていることは、微妙にズレていることがあるような気がする。

天津中華武士会の100周年にあたっては、李瑞林や閻伯群、李洪鐘をはじめ、形意拳の関係者の書いているものが多く、従来の八極拳関係者による説明と比べて、形意拳家の活動がかなりわかってきた気がするけれど、どちらにも身内びいきのようなものがあるかもしれないので、注意しておこう。

 

なお、 李瑞林の上の記事では、傅作義(河北省国術館では董事に名を連ねている)が樊瑞峰の『形意拳術講義』に序文を寄せた、と書いているのだけれど、『形意拳術講義』は薛顛の本じゃないのかな。

しかも、傅作義が樊瑞峰の『形意拳術講義』によせたという序文(以下の①)は、薛顛の『形意拳術講義』にある傅作義の序文(以下の②)と、「山西樊瑞峰君」が「束鹿薛君」にかわっている以外ほとんど同じなのはどういうことなんだろう。

頭の体操として大胆に想像してみると、傅作義は中華人民共和国でも水利部長を務めるなど第一線で活躍した人だから、処刑された薛顛の『形意拳術講義』に序文を書いているのでは都合が悪く、『形意拳術講義』自体が樊瑞峰の著作ということにされていて、関係者もそれが事実だと信じていたのが、近年の薛顛の再評価と著書の復刊でようやく事実が明らかになった、などということがあるだろうか。

 『薛顛武学辑注:形意拳術講義』ほしいけど高くて手がでない・・・。

 

① 傅作義が樊瑞峰の『形意拳術講義』によせたという序文(李瑞林「民国政要津门挺武术(下)」による)

“吾国以积弱不振,受辱列强。其原因固非一端。而国人轻视体育,忽于运动,尽亦致病之由。拳术者,中国古来之国粹也,最良体育之法也。昔管子重拳勇,齐人隆技击,拳术之兴,乎尚已降,及隋唐少林派出,外家始盛说者,谓太平之宗,王世充、昙宗等亦已有刀焉。迨至宋时而张三丰以绝技名世内家祖,到明代张松溪为最著,而陈元赟乃传其术于扶桑,彼日本之谓柔术、武士道者,皆国术之流派也。迩年,张子岷、李芳辰先生懔国势之凌夷,悯国术之衰弱,力加提倡,特立专馆,各省闻风兴起,颇不乏人。而河北省国术馆成立最早,唯自来精斯道者,传授心法多层,面授口传,承学者钻仰为难。今山西樊瑞峰君著以拳术讲义说明,使学者易懂,得以研究深造。用科学之方法,容易领悟其中之奥妙用,教诸般剌密谛之释,易筋经与夫前人之著内功图说者亦何,多让吾知。付梓后,其有稗益于体育,而可以强国者,必非浅鲜。
宁谨个人健身之助而己哉,惜作义于国术未窥门径,扣扣盘扪烛之谈,因知其无当于要奋也,是以为序。
荣河傅作义叙于天津市警备司令部
中华民国十八年十月十五日”

 

② 傅作義が薛顛の『形意拳術講義』によせた序文

吾国以积弱不振受侮列强,其原因固非一端,而国人轻视体育,忽于运动,盖亦致病之由。拳术者,中华固有之国粹,最良之体育运动法也。昔管子重拳勇,齐人隆技击,拳术之兴,夐乎尚已。降及隋唐,少林派出,外家始盛。说者谓太宗之平王世充,昙宗等亦与有力焉。迨至宋时,而张三丰以绝技名世,内家祖之。明代则张松溪为最著,而陈元赟乃传其术于扶桑,彼日本之所谓柔术、武士道者,皆吾国拳术之流派也。迩年张子岷、李芳宸诸先生懔国势之凌夷,悯国术之衰微,力加提倡,特立专馆,各省闻风兴起者颇不乏人,而河北省国术馆亦早成立。惟自来精斯道者,传授心法,多属面命;承学之士,钻仰为难。今束鹿薛君以国术之名家,阐师传之秘奥,编为讲义,解以详图,俾学者得以研究科学之方法,领悟其中之妙用,较诸般刺蜜谛之译《易筋经》与夫前人之著《内功图说》者,亦何多让!吾知付梓后,其有裨于体育而可以强国者必非浅鲜,宁仅个人健身之助而已哉!惜作义于国术未窥门径,扣槃扪烛之谈,固知其无当于要旨也,是为序。

中华民国十八年十月

荣河傅作义叙于天津警备司令部

出典:傅作义:形意拳术讲义序_搜狐历史_搜狐网

 

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八極拳―中国伝統拳の精髄 (中国伝統拳シリーズ)

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