中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

中国国術と西洋拳撃の対抗戦(1943)2 (何金章)

以前のメモで、1943年に蔡龍雲も出場したボクシングと中国武術の対抗戦の際、一部の記事では当時の蔡龍雲の年齢を14歳と書いているけれど、15歳が正しいのではないかという疑問を書き留めておいた。

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この点に関して、蔡龍雲自身が生前、「当時、わたしは満十五歳で、中学生だった。一部のメディアは14歳と報じているが、正しくない」と語っている記事を見つけた。

 

…当时我刚年满十五周岁(1928年11月生),在初中读书。他说,有些媒体说是“刚十四岁”,这是不准确的。

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同じ記事のなかで、蔡龍雲は、「第一ラウンド開始の笛が鳴る前に頭部にフック(貫耳拳)を仕掛けてしまって、レフェリーと会場中の観客から笑われてしまったんだよ」(かなり意訳)、という秘話(笑)を語っている。 

第一回合,“还闹了一个笑话”,蔡龙云笑着说,“哨子还没有吹响,我就上去就是一个‘贯耳拳’!”裁判笑了,满场观众也笑了。

また、蔡龍雲は、「私が華拳の打法を用いたという人もいるが、実際のところ、すべては臨機応変に対応しただけで、何々拳の技というものではない。套路の練習と散打は別ものだからね」(これも意訳)と語っていて、なかなか興味深い記事だと思う。

有人说我用的是华拳打法,其实,一切都是随机应变,无所谓什么拳法。练套路与散打不是一回事。

 

蔡龍雲を含む対抗戦の八人の名前も語られている。そのメンバーは

白玉山,孙宝瑞、何金章、潘梓明、张玉峰、丁虎生、黄纪昌、蔡龙云 

 で、最年少の蔡龍雲の活躍はよく知られているとおり。

この対抗戦は、中国側の八勝零敗だったのが、外国人のレフェリーは中国側の五勝二敗一分と宣告したとのこと。

 

 蔡龍雲以外の七名についてはあまり情報がないけれど、何金章は広東の武術世家の出身で、蔡龍雲の父の蔡桂勤が1920年代、広東の国民政府大元帥府で教官をしていた頃に弟子になり、襄樊の国民革命軍の武術教官、襄陽国術館の教官を経て30年代に上海に来た人らしい。蔡桂勤自身も広州を出たあと襄樊、南昌、長沙、開封などを経て1932年に上海に居を定めており、̪この間師徒2人がどういう動きをしたのかは不明だけれど、上海のムーア堂(プロテスタントの教会。慕尔堂とも。現在は「沐恩堂」と記すらしい)国術部では蔡桂勤の助手をしたほか、広東省人の同郷団体と思われる広東同楽会で武術を教えている。1946年の対抗戦ではセコンド兼コーチとして、16歳年下の弟弟子(注)の蔡龍雲を支えている。

 1954年の上海武術界聨誼会の表演会で、洞賓剣、擒拿法(蔡鴻祥と)、華拳対打(おなじく蔡鴻祥と)に名前が見える。

 

何金章の息子・何君崗による

家父自幼跟随蔡桂勤老先生习武,家父比蔡老年长十六岁。

武界精英 一代宗师 —— 纪念我国当代武术泰斗蔡龙云先生逝世一周年_武林资讯-中国武术文化网 邵长华武学院 加华国术馆 龙身蛇形太极拳

 

〇何金章と蔡鴻祥の擒拿

出典:武林先贤一代宗师何金章——写在武术大师何金章先生诞辰105周年之际_武学大师_人物_武博网

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 1945年頃から蔡桂勤を助けて精武体育会でも華拳などを指導していたようで、彼が育てた蘇錦標も精武体育会の教練になっているが、彼自身は文化大革命の際、国民党の軍で武術教官をしていた経歴が仇となり迫害され死に至っている(享年62歳)。息子の何君崗は父の死後、安徽省の淮北での農業に従事しており、のちに淮北市武術隊教練、安徽省武術隊教練を勤めている。兄弟子の息子の動向を蔡龍雲はずっときにかけていたらしい。

 何君崗が、蔡龍雲の死後1年後につづった文章があり、胸にひびくものがある。 こういうものを読むと、技芸の伝承というのは何よりも信頼関係であり絆なんだということがひしひしと伝わる気がする。

 

〇何君崗

出典:何君岗(淮北杨式) - 安徽太极拳

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〇蘇錦標の追悼動画

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