中国武術雑記帳 by zigzagmax

当世中国武術事情、中国武術史、体育史やその周辺に関する極私的備忘録・妄想と頭の体操 ※2015年2月、はてなダイアリーより移行

沛声『武林名門尚芝蓉』

掲題の「小説」をネットでたまたま見つけて、読んでみたら面白かったのでメモ。

 

〇全文のリンクはここ。冒頭に、かつて日本で発表されたかのような記載があるけれど未確認。雑誌『武術』で李文彬が尚氏形意拳を紹介していた頃(VHSテープを買った気がする)の話だろうか。

武林名门尚芝蓉

 

話は尚雲祥が夫人を連れて北京に居を構えたあたり(尚芝蓉はその翌年に生まれる)からはじまる。(居を構えるといっても、なんどか転居を繰り返している。)

内容は、筆者が尚芝蓉本人を含む関係者から聞き取ったもののよう。どうやら正式な門人の方ではなく、尚芝蓉と知り合ったのも時期としてはかなり最近のようだけれど、これだけの詳しい情報をどうやって入手されたのか、そのあたりはよくわからない。

 

〇尚雲祥と幼い頃の尚芝蓉(向かって左の少女)

出典:形意拳尚云祥先生之女尚芝蓉拳照_中国传统文化社区_才府

 

幼かったころ、母は、家族の反対にもかかわらず、断固として、尚芝蓉に纏足をさせることを主張。しかし、老齢のため視力がすでに落ちていた母は、足の成長を拘束するはずの手製の靴の制作がうまくゆかず、あやうく纏足にならずに済んだ話(23歳年上の姉は纏足をしている)や、

晩年の尚雲祥が(良性の)腫瘍を患い、皆が手術を勧めたものの西洋医学を信じずに手術をしなかったという話、

尚雲祥の一番弟子で後継者と期待されながら早くに亡くなった満洲族の李闊如とその家族の話、

尚雲祥の葬儀で誰が幟と位牌を持つかでもめた話(夫人の判断により、最年長の陳子江が幟をもち、劉華甫が位牌をもつことに。陳子江は年長ながらもともとは郭雲立という別の師について学んでおり古参の弟子ではないことから、この決定に不服の許笑羽は葬列に加わらず)、

尚雲祥の死後、夫人と幼い娘(尚芝蓉)の世話をした李克友(その後、お金を使い込んだと嫌疑をかけられ、一門を去る。尚芝蓉は濡れ衣であったと回想)の話、

尚雲祥の遺骨を故郷に運ぶ途中の善化橋というところで門人の張玉栄に声をかけられ、どうして今日ここにいるのがわかったのかと聞いたら「師匠が夢枕に現れた」と答えたといい、さらにその後ろには後を追うようになくなった李闊如が付き従っていたと聞いて皆不思議がったという話、

一番世代的に近い李文彬との修行時の話、

李文彬の父から学んだ中医の知識が、文化大革命時に「はだしの医者」として役に立ったという話、

文革後期に地元で武術隊が組織され、尚芝蓉にも声がかかるが、それは、「名家」の出身だったからではなく、身分的に問題のない「貧農」の代表だったからという話、

文化大革命後に各地の弟子たちが連絡を再開してゆく経緯、

尚雲祥の碑文をめぐる韓伯言と李文彬のちょっとしたトラブルの話

などなど、面白い話が満載だった。

 

尚雲祥の死後、生計を支えるために尚芝蓉が勤め始めた警察の女子部隊(ただし、上司からのすすめもあり家伝の形意拳は教えず、李文彬にならった梅花拳を教えていた由)には、尚芝蓉とともにもうひとり通臂拳の「王霞林」という女性教官が招かれていたようだけれど、これは「王侠林」のことだろう。北京の警察で教官をしていたという話は『中国武術人名辞典』や『北京武術軼事』にも載っていない話だったので興味深かった。

 

〇向かって一番左が李文彬、右から二番目が呂克友という

出典:一代宗师尚云祥及门生陈子江之轶事,第三方资料提供-文化频道-手机搜狐

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〇韓伯言

出典:http://shangpaixingyiquan.cn/Item/158.aspx

 

〇尚雲祥夫人を囲んで、左から李文彬、韓伯言、伯言夫人、尚芝蓉、劉華甫、王鳳章

出典:尚派形意拳

 

〇文中にでてくる王霞林(王侠林)

出典:http://www.emwsw.com/index.php?m=content&c=index&a=show&catid=21&id=3166

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 〇尚芝蓉の動画

www.youtube.com

 

https://read01.com/kk6AyP.html#.Wi0XYVVl-Ul